第十八話 月の床
ルミシャ
宿の狭い相部屋。 藁と、消えかけた蝋燭の匂い。 階下の喧噪が、床越しにぼんやり届く。
窓から、月の光。
寝台は二つ。 ティユラは壁際で、もう横になっていた。 規則正しい寝息。
あたしの眠りは、まだ浅い。
二千年、眠らなかった。 眠り方を思い出したのは、つい最近のことだ。 だから夜のあいだ、何度も浮き上がる。 水の、すぐ下を漂うみたいに。
夜の半ばだったと思う。
衣擦れの音で、浮き上がった。 ティユラが起きていた。
あたしは目を薄く開けたまま、動かなかった。 寝たふりをするのは、たやすい。
ティユラは、こちらを一度うかがった。 あたしが眠っていると思ったんだろう。
蝋燭に火が灯った。 小さな、橙の光。
荷の中から、帳面を出した。 いつもの、貸し借りをつけるやつ。
膝の上で開く。 頁を繰っていく。 あたしの名前のところで、止まった。
ペンを持って、インクに浸して。
――書かなかった。
ペン先が、紙の上で止まったまま。 インクが一滴、落ちた。 それでも動かない。
何を書こうとして書けないのか。 あたしにはわからなかった。
肉一切れ。 半分この野菜。 靴の半分。 軽い荷物。 歩けるか、と訊いたこと。
――たぶん、それを貸しにつけようとして。 数字に、ならなかった。
いや。 あたしの勝手な想像だ。 ただ眠れないだけ、かもしれない。
ティユラは帳面を閉じた。 書かないまま。
かわりに、別のものを出した。
古い本だった。 革の表紙が、ひび割れている。 あたしの知らない本。 でも、ずいぶん古い。
ティユラはそれをめくっていく。 あるページで、手を止めた。 じっと、読んでいる。
それから、こちらを見た。 眠っているあたしを。
蝋燭の灯に、瞳が光った。 琥珀と、深い緑。 こんな時でも、ネルフィの色だ。
また、本に目を戻す。
何かを見比べているみたいだった。 本と、あたしを。
何を確かめているのか。 あたしにはわからない。
ただ、ティユラの横顔が。 さっき笑った、あの顔とは違っていた。
訊きたいことがあるんだろう。 でも、訊かない。
あたしにも、言えないことがある。 だから、寝たふりを続けた。
蝋燭が短くなっていく。 ティユラはまだ、本を見ている。
眠れない夜を、この女も知っているのか。
二千年、夜はいつもひとりだった。 あの庭には、あたしのほかに誰もいなかった。
なのに今は。 同じ暗闇に、もう一人起きている。
それが、すこしおかしかった。
やがて、ティユラは本を閉じた。 蝋燭を消した。
闇のなかで、寝台の軋む音。 規則正しい寝息が、戻った。
――でも、たぶん、あれもふりだ。
月が、床をゆっくり移っていく。
訊きたいことと、言えないこと。 それを抱えたまま。 あたしたちは、朝を待った。




