第十七話 破れた靴
ルミシャ
朝の土の匂い。 鶏の声。 霜の溶ける、湿った光。
畑は街の外れにあった。
畝が何列も掘り返されていた。 作物が、根こそぎ。 ゆうべの仕業だ。
男と、その後ろに小さいのが二人。 痩せた子どもが、あたしたちを見上げていた。
ティユラはしゃがんで、掘り跡に触れた。 土を指でこすって。 匂いを嗅いだ。
「……穴熊の類。魔物化してる。一匹」 「退治、できますか?」 「夜にならないと出ない。待つよ」
それから、日が暮れるまで。 やることはなかった。
ティユラは畑の縁に、封じの陣を引いていく。 逃げ道を塞ぐように。 あたしはその線を、ただ見ていた。
手伝うことはない。 あたしが本気を出せば、夜を待つ必要もない。 穴の底ごと消してしまえる。
でも。 そんなことはしなかった。
急ぐ理由がどこにもなかった。 二千年、時間だけは嫌というほどあった。 なのに、こんなただの一日は。 一度もなかった。
土の匂いと。 誰かの線を引く音と。 畑の向こうで遊ぶ子どもの声と。
そういう日を、あたしは知らなかった。
小さいのが一人、寄ってきた。 あたしの銀の髪を、じっと見て。
「おばあちゃんみたいな、いろ」 「……は?」 「でも、かおは、わかい」
返す言葉に詰まった。 うしろでティユラが噴き出した。 声を出して笑うのを、初めて見た。
夜が来た。
土の盛り上がる音。 陣の内側に、それは出てきた。 牙の伸びた、土まみれの獣。 思ったより、ずっと小さい。
「あれが?」 「舐めないで。数で、村を潰す」
ティユラの両手が上がる。 光の鎖が伸びて。 獣を難なく絡めとった。 慣れた手つきで。
獣が暴れて。 陣の杭が一本、はじけ飛んだ。 線が途切れる。
あたしはそれを拾った。 もとの穴に挿し直す。
「……助かった」 「荷物持ちだからね」
鎖が締まった。 獣がおとなしくなる。 封印の完成だった。
朝、男がなけなしの金を差し出した。
ティユラはそれを見て。 半分だけ取った。
「子どもの靴、買いなよ。破れてた」 「……よろしいので」 「次は、ちゃんと払って」
男は言葉をなくしていた。
昨日の酒場を思い出した。 誰も、この女を見ていなかった。
でも、この女は。 痩せた子どもの、破れた靴を見ていた。
畑を出る。
ティユラは振り返らなかった。
「あなた、案外役に立つじゃない」 「杭、挿しただけだけど」 「それでも」
朝の光が、まっすぐ落ちていた。 ずっと、見られなかった光だった。
ただの、なんでもない一日だった。 ――悪くなかった。




