第十六話 隅の席
ルミシャ
煮込みと、こぼれた酒の匂い。 食器の音。 誰かの笑い声。
蝋燭の灯り。
ティユラは隅の席にいた。 壁を背にして。
気づいたのは、座ってすぐだった。 誰も、ティユラの近くに座らない。 混んでいるのに。 彼女の周りだけ、席が空いている。
飯が来る前に、男がひとり来た。 帽子を両手で握りつぶすみたいにして。
「封印使いの、ティユラ様で」 「何の用」
男は堰を切った。 畑が夜ごと、魔物に荒らされている。 家族がいる。 金は、これしかないが。
ティユラは聞き終えて、帳面を開いた。
「場所と規模。明日、見る」 「で、ですが、報酬が」 「見てから決める。払えるぶんでいい」
男は何度も頭を下げた。 ティユラの顔を、まともに見ないまま。 逃げるように去っていった。
礼の言葉はあった。 感謝も、たぶん本物だった。
でも、誰もこの女を見ていない。 見ているのはいつも「封印使いのティユラ様」のほうだ。 化け物を縛る、便利な力のほう。
ティユラは何ともない顔で飯を待っている。 これがずっと普通なんだろう。 周りに人がいて。 誰も隣に来ない。
飯が来た。
あたしは自分の皿から肉を一切れ、ティユラの皿に放った。
「……何?」 「そっち、野菜ばっかり頼んでたから」
ティユラがその肉を見た。 それから、あたしを。
「貸し?」 「またそれ」 「……」 「ちがう。分けただけ」
ティユラはしばらく肉を見ていた。 便利でもない。 報酬でもない。 ただの肉一切れ。
扱いに困っている顔だった。
「あんた、いつもそうやって勘定してんの?」 「……職業病」 「じゃあ今日は、休みにしときな」
ティユラは答えなかった。 でも、肉は食べた。
しばらくして、ティユラのほうから口を開いた。
「さっきの古字」 「……」 「どこで覚えたの?」
訊き方が、違った。 「何者なの」じゃない。 ただ、知りたいみたいだった。
その目を、見てしまった。 琥珀と、深い緑。 ネルフィの、目。
あの目に見られると。 嘘が、つけなくなる。
あたしは少し考えて。
「……先生がいた。昔。とても昔」 「どんな?」 「うるさくて。よく笑うやつ」
ネルフィのことだ。 名前は言わなかった。 でも、嘘もつかなかった。
ティユラはそれ以上は訊かなかった。 かわりに、自分の皿から野菜をこっちに寄こした。
「半分こ」 「……へえ」
勘定じゃなかった。 たぶん、生まれて初めての。
火が揺れた。 酒場の喧噪が遠くなって。
この隅の席だけ、すこしあたたかかった。




