第十四話 薄い指先
ルミシャ
ティユラの手は、まだあたしの腕をつかんでいた。
「あなた、何なの?」
二度目だった。
あたしは答えなかった。
「……ただの」
言いかけて、やめた。
通りすがり、とはもう言えない。 通りすがりは、片手で世界をねじ曲げたりしない。
だから、黙った。
ティユラは答えを待っていた。 取引だ。 「何者か、納得するまで」。 いま、それを訊く権利がある。
あたしは何も言わなかった。
ティユラの手が、ゆっくりと離れていった。
何か言いかけて。 その口も閉じる。
そして、くるりと裂け目のほうへ背を向けた。
「……仕事が、残ってる」
声が硬かった。 さっきより、ずっと。
ティユラが両手を上げる。
光の鎖が、また伸びた。 今度は錆びなかった。 化け物は、もういない。
金の裂け目の縁に、鎖が絡む。 縫う。 ひと針、ひと針。 ほどけた縫い目を、もとに戻すように。
ネルフィの魔法だ。 世界の傷を塞いでいく。
あたしはそれを見ていた。
この魔法は傷を治せる。 村を救える。 時間に呑まれかけた人を引き戻せる。
――あたし以外、ぜんぶ。
ネルフィ。 あんたの魔法は、こんなにたくさんを救うのに。 あたし一人だけ、どうしても間に合わなかった。
裂け目が縮んでいく。 金の文字がひとつずつ閉じて。 最後に、ふっと消えた。
村に、音が戻った。
止まっていた洗濯物が風に揺れる。 犬が上げていた足を下ろした。 何ごともなかったみたいに。
あたしの指先は、まだすこし冷たかった。
戻ったはずの輪郭が。 さっきより、ほんの少し薄い気がする。
気のせいかもしれない。 気のせいじゃないかもしれない。
どっちでもよかった。 もとから、長くはない。
ティユラが振り返った。
あたしの顔を見て。 それから、指先を。
気づいたみたいだった。 さっき、あたしが薄くなったこと。 消えかけたこと。
「何者なの」とは、もう訊かなかった。
そのかわりに。
「……歩ける?」
何者か、より。 歩けるかを、先にした。
いつもの硬い声じゃなかった。
あたしは頷いた。
ティユラは、それ以上何も言わなかった。 荷を拾い上げる。 あたしのぶんも、一緒に。
歩きだした、その背中に。 あたしはついていった。
何者か、まだ言っていない。 たぶん、これからも言えない。
それでも、この女は。 あたしが消えないか、気にした。
――それだけは、嘘じゃなかった。




