第十話 南の軒先
ルミシャ
ギルドは、騒がしかった。
人の声、椅子を引く音、硬貨の鳴る音。
酒と汗と、羊皮紙の匂い。
ティユラが、討伐の証を受付に出している。 牙が、二本。 役人が、帳面に何か書き込んでいる。
「しばらく、ここにいて」 ティユラは、振り向きもしなかった。 「報酬の手続きがある」
あたしは、頷いた。 頷いて、窓の外を見た。
街が、広がっていた。
――南。
ネルフィの声が、よみがえる。 街の南に、新しい甘味処ができたって。 一緒に行こう、って。
リストの、二番目。
二千年、唱えてきた。 場所まで、覚えている。
ティユラは、まだ役人と話している。 背を向けたまま。
あたしの足は、もうドアのほうを向いていた。
知るか、と思った。
ギルドを出て、南へ歩いた。
知らない街だった。 道が違う。 建物の高さも、石の色も、ぜんぶ。
それでも、太陽の位置だけは変わっていない。 南は、南だ。 二千年経っても、そこだけは動かない。
あたしは、それを頼りに歩いた。
南の通りの、いちばん奥。 ネルフィが指していた、はずのあたり。
そこに――
何も、なかった。
甘い匂いも。 菓子を並べた硝子も。 店のかけらも。
知らない誰かの洗濯物が軒先で揺れている。 桶を抱えた女が、横を通り過ぎていく。 どこかで、子どもが笑っている。
ぜんぶ、知らない暮らしだった。 あの約束の上に、平気な顔で乗っている。
ここで合っているのかも、わからない。 道が違いすぎる。 目印になるものが、何も残っていない。
あたしは、立ち尽くした。
指先一つで、世界の理屈は捻じ曲げられる。 縫い目も結べる。 化け物も消せる。
でも。
潰れた店も。 あの日の、二人も。 ネルフィの、ふにゃっと笑う顔も。
どうやっても、戻せない。
力では、どうにもならなかった。
二千年、最強になって、帰ってきて。 何もない場所に、突っ立っている。
「勝手に、出てったね」
声に、振り返った。
ティユラが、立っていた。 息が、少し上がっている。
「契約違反でしょ」 「……ごめん」
謝ったのは、たぶん、初めてだった。
ティユラは、何か言いかけた。
「あなた、ここで何を――」
そこで、口を閉じた。 あたしの顔を、見て。
何を見たのかは、わからない。 でも、その先を、訊かなかった。
訊けば、答えさせられた。 「何者か、納得するまで」――そういう取引だ。 なのに、引いた。
ティユラは、何も言わずに、隣に立った。 あたしが見ているほうを、一緒に見た。
何もない、ただの軒先を。 それが何なのかも、知らないまま。
ネルフィ。
あんたの行きたかった店は、もう、ない。 場所も、わからない。
二千年かけて、ここまで来て。 あんたの好きだったものを、何ひとつ、見つけられなかった。
風が、洗濯物を揺らした。
知らない街の、知らない匂いがした。




