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~still~  作者: 友崎沙咲
第四章
7/13

彼の本音

「エレナさん、次の日曜日空いてますか?」


エレナは二人で作ったカルパッチョをコクンと飲み込んでから、頷いた。


「空いてるよ」

「午後から野球の練習と飲み会があるんです。もしよかったら、エレナさんもいかがですか?」


颯太はそう言ってから、ハッとしたようにつけ加えた。


「あ、練習は駄目ですよね、日焼けとか怪我とか考えると」


エレナは颯太を見て首を左右に振った。


「日焼け止め塗ればいいし。それにね」


エレナはそこで一旦言葉を切ってからニヤリと笑った。


「私、バッティングは得意なの」


颯太が以外だと言うように眉を上げた。


「ホントですか?」

「しかも強肩なの。物凄いレーザービーム!」

「ホントなんですか?」


颯太の凄く驚いた顔。

エレナは何食わぬ顔で料理を口に運んだ。

その間、じっと颯太の眼を見つめ続ける。

やがて、


「嘘よ」

「フッ……」


瞬間、颯太が甘く睨んだ。


「けど、私もやりたい」

「怪我したらどうするんですか」

「しないわよ」

「その根拠は?」

「何で誘ったのよ?」


それは。


「色んなエレナさんを見たいし、僕の事も見てもらいたいからです」


エレナはゆっくりと微笑んだ。


「うん、行く」


◇◇◇◇


日曜日。都内の総合グラウンド。


「……いるいる!」

「いるわね、確かに子供達が」


颯太がニコニコと笑いながらエレナに言った。


「……実は球場の予約が取れなくて、メンバーが知り合いの少年野球チームの監督に頼み込んだんです。夕方1時間だけ一緒に練習させてほしいって。日曜はここの区民の少年野球チームが優先的にグラウンドを使えるので、急きょお願いしたらOKがもらえたんです」


そう言うと颯太は、颯爽と少年野球チームに近付き、監督らしき人物に深々と頭を下げて挨拶した。


「いいよ、1時間だし!子供達の指導協力って事で話は通したからさ!」


監督は大きな声でそう言うと、颯太に笑いかけた。

次第にメンバーが集まり始め、最終的に15人の大人が少年野球チームに合流した。


指導協力という名目を守り、子供達にバッティングやキャッチボールなどを軽く教えた後、大人だけのキャッチボールが始まる。

それから少年野球チームの監督が、


「これから休憩はいるからバッティングしていいよ!」

「ありがとうございます!」


颯太のチームのみんなが礼を言い、バックネット付近に集まる。

エレナは離れたところからポツンと見ていたが、


「私も打たせて!」


皆が一斉に声のした方向を見つめ、エレナは全員の視線を一気に浴びた。

キャップを目深にかぶり自分達よりはむしろ、少年野球に近い位置に座り込んでいたエレナを誰も気に止めていなかったのだ。


「誰、あれ?」

「リトルリーグの付き添いじゃないの?」

「打たせてって(笑)」

「エレナさん、ホントに打つんですか?」


颯太のその一言で、メンバーが颯太を見た。


「なに、颯太の連れ?」

「なんだよ、彼女かよ」

「最初に紹介しろよ!ビックリしたじゃん」


エレナは走って皆のところまで行くと、キャップを脱いでペコリと頭を下げた。


「城田エレナです。颯太くんとは古くからの知り合いなんです」


皆を見回しながら、エレナは口角を上げて微笑んだ。


「古くからの知り合いなんですか?」


メンバーの一人が驚いたようにそう言うと、エレナは颯太を見ながら言葉を返した。


「かれこれ、六年ほど前からの知り合いなんです。どうぞよろしく!」


再び頭を下げたエレナを見て、各々が返事を返した。


「エレナさん、やっぱりやめた方が」

「どうして?邪魔しないから。3球だけ」


颯太は困ったように斜め隣をチラリと見た。


「……うちのピッチャー……木佐さんは凄く球が早いんです。女性には無理です」

「いーじゃん、颯太」


颯太の斜め隣にいたサングラスの男が、スッとエレナの前に立った。

それからおもむろにサングラスを外すと、真っ直ぐにエレナを見つめた。


「俺、木佐隆也。ピッチャーやってる」


奥二重の涼しげな眼でエレナを見ながら、隆也は帽子を脱ぎ、頭を揺らして再びかぶり直した。

漆黒の髪がサラリと揺れて柑橘系の香りが辺りに漂う。


「打てるなら打っていいぜ」


隆也がニヤリと笑った。


「ほんと!?」

「ああ。女だし多少は手加減してやる」

「嬉しい!ありがと!」


エレナは背の高い隆也を見上げるとニコッと笑った。


「エレナって呼んでいいか?」

「もちろんいいわよ!木佐君」

「隆也でいい」

「OK、隆也!」


「呼び捨てかよ」

「あはは!ごめん。隆也くん」

「いいよ、呼び捨てで。じゃあエレナ、5分後な!」

「うん!」


ああ、バッティングなんて何ヵ月ぶりだろう。凄く嬉しい。たった3球でも。

思い思い素振りをする皆を眺めながら、エレナはその一人に声をかけた。


「あの、ちょっといい?」

「ん?」


人懐っこそうな男性が眉を上げてエレナを見た。


「私のバッティングフォーム見てくれる?」

「いいよ」


エレナは借りたバットを振ってみせた。

途端、彼がヒュッと口笛を吹いた。


「エレナちゃん、女子なのに本格的だね!」

「だって私、打ちたいもん!」

「あはははは!」


エレナは少し口を尖らせて彼を見上げた。


「なに!その笑い!私は本気よ?」


わーわーと二人で話している時、


「エレナ!いいぞ!」


隆也がエレナを呼んだ。


「誰も守らなくていいぜ」


隆也の後ろには誰一人としていず、エレナはポツリと呟いた。


「屈辱!」


隆也はニヤリと笑った。


「一球でも打てたら、一杯おごってやるよ」


エレナもニヤリと笑った。


「結構よ。でも私が一球でも打ったら、一緒に飲んでもらうわ。テキーラをね!」


隆也は真顔でエレナを見つめた。

なんだこの女は。勝ち気で、陽気で、綺麗で。


「いくぞ」


エレナは構えた。


「いけー、エレナちゃん!」

「木佐さんにテキーラ飲ませよーぜ!」

「エレナちゃん、頑張れ!」


……打ってやる!

隆也が振りかぶった。


「……っ!!」


エレナのバットが空を切った時には、投げられた球は既にキャッチャーミットの中であった。


「まだ2球あるからね!」

「頑張れ!」


エレナは隆也を見つめた。

互いの視線が絡まる。

エレナは僅かに眼を細めると、静かに構えた。

……2球目。


「くっ……!」


1球目同様、球はミットに吸い込まれたが、僅かにバットにかすった気がした。

……いける、絶対!


「あと1球!」


エレナは大きく息を吸うと、静かに吐いてからバットを構えた。

3球目。


「……!」


隆也が投げた瞬間、エレナは思いきりバットを振った。コン!と良い音が響いた。


「おわっ!?」

「まじか!」

「ははははは!やったあ!」


隆也の投げた球はエレナのバットにあたり、空に舞い上がった。

完全に力負けしたフライであったが、球はポトリと地に落ち、転がっていった。


「クソッ!」


隆也が大袈裟にグローブをマウンドに叩き付ける真似をしてからエレナを見て、白い歯を見せた。


「やったあ!」


エレナは両手を高くあげた。

それからマウンドの隆也と、周りにいたメンバーに頭を下げた。


「練習の邪魔してごめんなさい。それと、ありがとうございました」

「いえいえ!隆也さんがテキーラ飲むの見るし!」

「いや、いー試合だった!」

「さあ、練習再開!」


エレナは再び離れたところから皆の様子を眺めた。

あー、面白かった。

……。

颯太くんはどこかな?

エレナは颯太を探した。

ふふ。すぐに分かる、颯太くんは。

一際スタイルがよくてカッコいいから。


エレナがジッと見つめると、颯太がこちらを振り向いた。

一瞬眼が合ったが、颯太は駆け出していってしまった。

エレナは、遠くにいる颯太をずっと見つめていた。

青い空が、綺麗だった。


◇◇◇◇


「……じゃあ飲み会、八時に六本木のYU-GEYAな!神谷の名前で予約とってるから!」


メンバーのひとりが皆を見回しながら声をかけた後、


「解散ー!おつかれ!」

「んじゃ、後でな!」


それぞれ自分の野球用具を担いで、メンバーが帰りだした。


「エレナ」


名を呼ばれて振り返ると、近距離に隆也がいた。


「お前も飲み会来るだろ?約束だからテキーラ一緒に飲んでやるよ」


そう言った隆也にエレナが答えた。


「だいぶ手加減してくれたでしょ?無理しないでいいわよ」

「俺に二言はねぇ」

「ショットガンにしといてあげてもいいわよ」


ショットガンは、半分が炭酸水だ。

隆也は不敵な笑みを浮かべながらエレナを見つめた。


「バカ言え!ストレートで勝負だ」

「あはははは!かっこいー!」

「じゃあ、後でな!」

「うん」


隆也と会話を終えた直後、エレナはグイッと後ろ手に腕を掴まれ、倒れそうになった。

うわっ!

ところがすぐに固い胸に頬がぶつかり、降り仰ぐと颯太であった。


「颯太くん」

「帰りましょう。急がないと渋滞に巻き込まれる」


チラッと颯太はエレナを見て、早足で歩き出した。


「うん」


◇◇◇


駐車場につき、車を走らせている間、颯太は無言だった。


「颯太くん」

「……なんですか?」


僅かに咳払いしてから、颯太は低い声で返事をした。


「颯太くん、運動神経いいんだね!かっこよかった」

「…………」


颯太は前を向いたまま、尚も黙り込んだ。


「……どうしたの?疲れた?」


エレナは助手席から颯太の横顔を見つめたが、颯太は何も言わなかった。


……なんだろう、怒ってるっぽい。こんな颯太くん、初めて見た。

まだ24歳だというのにいつも落ち着いていて、余裕があって歳より大人びて見える。


……なのに今はユニフォーム姿でどこか拗ねているみたいで、機嫌が悪い。

その姿がいつになく幼く写る。


信号が赤に変わり停車中だというのに、颯太は片手をハンドルにかけたまま前方を凝視していて、エレナはそんな颯太をジッと見つめた。


「なんで黙ってるの?大丈夫?」


エレナは運転席に身をのりだし、颯太の額に手を伸ばした。


形のよい額に掌を押し当てたが、熱はなかった。


「……熱はないみたいだけど……気分でも悪いの?」


エレナが呟くようにそう言うと、颯太が突然エレナの手首を掴んだ。


「……!?」


エレナの指に自分の指を交互に絡め、颯太はしっかりエレナと手を繋いだ。

前を向いたまま。何も言わず。

けれどまるで離すまいと決心したように、颯太はエレナの手を強く掴んでいる。


エレナは、何だか胸が高鳴るような苦しいような感覚がして落ち着かなかった。

ただ、颯太の大きな手から熱が伝わり、温かかった。


◇◇◇◇


YU-GEYAは、ミッドタウンから徒歩数分のカジュアルな居酒屋である。

颯太とエレナが到着した時にはまだ数名しか集まっておらず、貸し切りにした奥の座敷はガランとしていたが、全員が集まった頃には隙間なく席が埋まった。


エレナは颯太の左隣に座っていたが、彼は右隣のメンバーと何やら楽しそうに談笑していたので、彼女はテーブルを挟んで丁度正面に座った隆也を見て、口を開いた。


「テキーラ飲めるの?」


隆也は苦笑しながら答えた。


「正直、飲んだことはない」

「……じゃあ、お酒には強い方?」

「……ビール程度」


ビール程度……。


「なにか食べてからの方がいいわよ」


隆也は頷くと箸を伸ばし、料理をいくつか口に運んだ。

しばらくすると、


「エレナ、飲もうぜ」


隆也がニヤリと笑った。


「いいわよ」


エレナは、丁度料理とビールを運んできた店員に声をかけた。


「テキーラをショットグラスに2つ持ってきてもらえますか」


エレナの声に、颯太が二人をチラリと見た。


「おー、はじめるのか!」

「木佐さん、大丈夫ですか!?俺、木佐さんが酒飲んでるの見たことないっすけど」

「美人に誘われて飲めないなんて、言えないすもんねー」

「バカか!俺は余裕だ」


数分後、テキーラが運ばれてきてエレナと隆也の前に置かれると、すぐに皆が静まり返った。


「いくわよ」


エレナはそう言うと、グルッと全員を見回してニヤリと笑った。

左の手の人差し指と親指の間に塩をおき、そこにギュッとライムを搾ると、エレナはそれを一気に舐めとりショットグラスを豪快に傾けてテキーラを飲み干した。


その仕草は実にサマになり、皆が息を飲んだ。

エレナは顎を上げて微笑むと隆也を見つめた。


「エレナちゃん、かっこいー!」


隆也はショットグラスをひとつ指先で持つと、塩も舐めずライムも噛まずにグラスを空にした。

たちまち喉が焼けるように熱くなり、隆也は叫んだ。


「うわっ!」


思わず眉を寄せて大きく口を開け、咳き込む隆也にメンバー全員が爆笑し、彼は首を振りながらエレナを見つめた。


「参った」

「エレナちゃんの勝ちだ!」

「今日はいーもん見た!」


エレナは隆也に手を伸ばして、握手を求めた。

隆也は少し驚いたようだったが、照れたように手を出してエレナの手を握った。


「私こそ、打たせてもらってありがと」

「お前、やるな」


隆也は涼しげな眼で優しくエレナを見つめた。


「隆也こそ!」


ふたりは笑いあった。


◇◇◇◇


飲み会が始まって30分が過ぎた頃、エレナはチラリと颯太を見て話しかけた。


「あの、颯太くん」

「はい」


颯太の表情は、相変わらず固いままだった。

なんだ、まだ機嫌悪いんだ。


「私、そろそろ行くね。長居すると申し訳ないし」

「何処にですか?」


エレナはテキーラ以外手を付けなかった。


「……適当に夕飯食べて帰るよ。ここのお金、後で颯太くんに払うから立て替えといて」

「…分かりました」


颯太は軽く頷いた。

わかりました、だって。いつもと違って感じ悪ぅ!

エレナはジーッと颯太を見つめた。

颯太は相変わらずよそよそしい眼差しで、


「なんですか?」


なんですか?だって。こっちが聞きたいっつーの!!


「後で話しましょ」


エレナは静かに立ち上がると、そっとその場を抜け出した。

……お腹すいたなー。お酒も飲みたい。


「エレナ!」


店を出て歩道を進もうと歩き出した時、隆也が店の出入口からエレナを呼んだ。

フッと振り返ったエレナは凛とした佇まいで、隆也はそんなエレナの姿に見とれた。

……綺麗なヤツ。


「あのさ、」


隆也はエレナを見つめて思いきったように口を開いた。


◇◇◇


カタン!という音で、エレナは目覚めた。

腕時計を見ると午前1時だった。

颯太くんが帰ってきたんだな。

エレナはベッドから抜け出して、リビングに向かった。


「颯太くん……」


……バスルームみたい。

広いリビングのソファに腰を下ろして、エレナは腕組みをした。

なんで颯太くんは怒ってるわけ?私にだよね、多分。


……思い当たる事と言えば、バッティングに参加した事だわ。

やっぱり1時間しかない貴重な練習を邪魔したのはよくない。

謝ろう。


一方颯太はゴシゴシと頭を拭きながらバスルームを出ると、裸の肩にタオルを引っ掛け、冷蔵庫から水を取り出してソファへ向かった。

あ……。

途端颯太は、エレナに気付いて足を止める。

微妙な沈黙。


エレナはスッと立ち上がり、颯太を振り返った。

真っ直ぐに颯太を見つめたが、颯太は視線を落として横を向いている。

先に口を開いたのはエレナだった。


「颯太くんごめんね。打ちたいだなんて言って……練習の邪魔だったよね。飲み会だって、私、部外者なのに……ほんとにごめん」

「……」


颯太は答えない。

エレナにはこの沈黙が長く感じた。

……嫌われちゃったみたい。


エレナはこっちを見てくれない、おまけになにも言わない颯太を見て、胸が潰れそうだった。

次第に息が苦しくなり、片手で胸を押さえる。


「どうして何にも言わないの?

私を嫌いになったなら、正直にそう言ってよ」


……っ…!!

颯太は弾かれたようにエレナを見た。

迫った眉の下の、切れ長の眼が射るようにエレナを捉える。


「練習に参加したのをどうこう言うつもりはありません。僕が誘ったんですから。……でも……あなたは分かってない」


一歩、また一歩とエレナに近づきながら、颯太は掠れた声でそう言った。

見ずに置いたペットボトルが直ぐにテーブルの上で倒れ、床を転がる。

エレナの目の前まで来た颯太の髪から小さな雫が裸の胸に伝い、スッと透明な線を描いた。


「……僕が、どんなにあなたを好きか」


精悍な頬を傾けて颯太は僅かに瞳を細めると、ユラリと片腕を上げて手の甲でエレナの頬に触れた。


「僕は……俺は……」


ダメだ。妬けて妬けて我慢できない。

言いたくない本音が口を突いて出そうになる。

颯太はグッと唇を引き結んだ。


エレナは、そんな颯太を見ながら凛とした声で言った。


「私と颯太くんが一緒に居られるのは一ヶ月だけで……颯太くん、私に自分を知ってほしいから何でも聞いてって言ったわよね?」


颯太の喉が上下に動いた。


「颯太くんを教えてよ」


颯太は一瞬眼を閉じて、それから苦しげな顔でエレナを見つめた。


「ねえ、颯太くん」


……なんだよ。俺が妬いてるって気付いてないのかよ。

俺以外の男を見つめるな。俺以外の男にそんな魅力的な笑顔を見せるな。俺以外に名前を呼ばせるな。


こんなガキっぽい俺はきっとまた『年下』として嫌われるんだ。

颯太は胸が焼け付くようで我慢できず、エレナを引き寄せて抱きしめた。

シャツを着ていない颯太の肌は熱く、エレナはドキッとして反射的に離れようとした。


「ダメだ、逃げんな」


一瞬だけ見えた颯太の瞳は苛立たしげで、それでいて艶っぽく熱をはらんでいて、エレナはコクンと息を飲んだ。


「…まってっ」

「逃げんなって!」


普段は自分に使わないような、僅かに荒っぽい颯太の口調に、エレナは心臓が跳ね上がった。

腕から逃れようとしたエレナを素早くソファに押し倒すと、颯太は彼女の首筋に唇を押し付けて這わせた。


「颯太くんっ、待って、」

「待たない」


待てないんだよ、エレナ。

颯太は短く答えると、エレナの体に顔を埋めた。

首筋に這わせた舌が鎖骨に力強く沿って、エレナは反射的に息を飲んだ。


「颯太くん、ねえ待って」

「………」


颯太の大きな手がエレナの内腿を撫で上げ、その指が優しく遊ぶ。


「やめて、待ってっ」


エレナの両腕が颯太の胸に突っ張るようにして伸びた。


「酔ってるんでしょ?大丈夫?」


……大丈夫だって?大丈夫に決まってる!

颯太は短く答えた。


「酒なんか飲んでない」


至近距離から瞳を覗き込まれ、颯太はエレナから眼をそらした。


「木佐さんのがいいですか、俺より」


木佐さん?木佐さんって……あの、ピッチャーの、隆也……。


「どうして隆也が出てくるの?」


隆也……。

颯太は苦しげに笑った。


「あのほんの一時の間に、あなたを拐われそうになった俺の気持ちが分かりますか?」


颯太は自嘲的に笑った。


「出会って間もないのに『エレナ』『隆也』と呼び合い見つめ合い、酒を飲み合ったあなたたちを、俺がどんな思いで見ていたか分かりますか?」


颯太は尚も続けた。


「俺は……年下を嫌うあなたにそれを感じさせたくなかった。

年下だって思われたくなかった。

いつだって余裕があって、頼れる男だと思われたかった。なのに」


颯太は切なそうに笑った。


「俺より四歳上の木佐さんは、アッという間にあなたの心に入り込んで俺よりも近い距離に……」


「違うよっ!」


エレナは、悲しかった。


「あれは簡単に言えば、演技だよっ」


颯太は凍てついたような眼差しをエレナに向けた。


「演技?……嘘だ」


エレナは眉を寄せて颯太を見つめた。


「じゃあ、どうして僕の恋人だと言わなかったんですか?どうして、古い知り合いだなんて」


「そんなの決まってるじゃん!一ヶ月しかいられないんだよ?私はアメリカに帰って夢を追いかけなきゃならない。颯太くんだってわかってるでしょ?私が居なくなってから回りのみんなに色々聴かれなきゃならなくなったら申し訳ないと思ったから、恋人だとは言えなかったよ」


エレナは一旦言葉を切ってから、颯太の端正な顔を見つめた。


「皆が楽しい気分になって盛り上がるなら演技だってするよ。誰だってそうでしょ?折角誘ってもらったんだから、張り切りたいって気持ち、あるでしょ?でも、颯太くんを不愉快にしたなら謝るよ。……出過ぎたまねしてごめん」


颯太はギュッと苦しげに眼を閉じた。

ああ、俺は……!

エレナを誘って気を使わせた挙げ句、焼きもちを妬いて苛々して、拗ねて、こんな……。


颯太はエレナから離れて床に膝を着いた。

二人に距離が生まれて、フワリと空気が動く。


「俺、ガキみたいだ」

「ガキじゃないよ。颯太くんは素敵だよ。歳よりも落ち着いた態度も、たまに子供っぽい顔をするところも。

……分かってたよ、ほんとは。私に気を使って無理してるのも……ほんとにごめんなさい、私のせいで」


エレナは、胸が苦しかった。

自分の昔の傷が、自分だけでなく愛する人間にまでも拡がってしまった。


私のせいだ。私がちゃんと立ち直れないまま颯太くんを好きになってしまったから。

ケイレブとの過去に決着が着いていない自分の心が、颯太くんを苦しめてるんだ。


「エレナさん、ごめん」


エレナは首を振った。


「颯太くんのせいじゃないの。私が悪いの」


エレナは、ソファから身を起こすと、床に膝を着いたままの颯太に抱きついた。


「ひとつ聞いてもいいですか」


颯太はエレナに問い掛けた。

声は堅く、ぎこちない。

二人で並び、ついていないテレビを見つめる。


「なに?」


エレナが短く答えた。


「……エレナさんが帰るとき、木佐さんが後を追いかけましたよね」

「……うん、店を出たところで声を掛けられたよ」


颯太は躊躇しているのか、口を閉ざした。

真っ直ぐ前を向いたまま。

整った横顔がとても綺麗だった。


「確かに、追いかけてきたよ。それがなに?」


それがなに?分かってるだろ、俺が訊きたい事。


「……なんだったんですか?」

「……」


颯太はたまらずエレナを見た。

すると彼女が身を正した。


「もしかしてだけど、颯太くん」

「……なんですか?」

「私が隆也に好かれてるとか思ってるの?」


颯太は、冷や汗の出る思いでエレナを見つめた。


「……今それに、気付いたんですか?」

「え?」

「…………」

「今……気付いたけど……?」


颯太は小さく息をついた。

エレナが颯太を見つめると、彼の瞳に僅かな光が反射した。


「木佐さんと野球の勝負をしたときから、木佐さんがエレナさんを気に入ってると思ってました」

「え?!」


「テキーラを飲んでた時、木佐さんはあなたに完全に惚れたと思ったし、あなたは気付いてないかも知れませんが、あんな風にされると男という生き物は」


颯太がここまで言った時、エレナは眼を真ん丸にし、あたふたし始めた。


「あ、あの私、気付かなくて……ごめんなさい!なんかいつもよりも口調が荒っぽいから私に腹を立ててるのは分かってたんだけど、その、皆に古い知り合いだなんて曖昧な事を言ったのと、出会ったばかりで、隆也って呼び捨てしたのも日本人だとダメだよね、それと」


何言ってるんだ、この人は。……どれだけ、慣れてないんだ。どれだけ恋愛初心者なんだ。


「もう、黙ってください」


颯太は、エレナの髪をグイッと引っ張った。


「いたっ」

「鈍感な罰です」

「ごめん……」

「ダメです」

「……ごめんってば」

「で?」


颯太の『で?』が、途切れた話の続きを催促していたから、エレナは続けた。


「練習終わって一旦着替えに帰った時、恋人に私の名前を出したら私の出たドラマを見たことがあって覚えててくれたみたい。で、ハンカチにサインしてって頼まれたの」


……は?木佐さん、彼女がいたのか!?そんな展開だなんて露にも思わなかった。

俺はてっきり、木佐さんはエレナの事を……。


颯太は決まり悪かった。

じっと見つめてくるエレナの眼を、まともに見られない。


「……許してくれないの?」

「……」

「颯太くん」


だめだ、なんか自分の嫉妬加減に呆れる。

けど自分に許しを乞うエレナが、たまらなく可愛い。

六年前のあの日、俺の背中を蹴飛ばした勝ち気なエレナが、俺にこんな態度を……。

……彼女は、俺を愛してるんだ。


「明日、朝食を作ってくれたら許します」


エレナはホッとしたように息をついた。


「うん」

「一緒に作りましょう」


……もう、言い合いはしたくない。

あと、二週間程しか一緒にいられないのだから。

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