一ヶ月の恋人
「よかったな、颯太!!」
朝、市場での仕入れを終え『旬彩・響』で仕込みを一段落させた響は、颯太のショットバーでコロナビールを傾けて笑った。
カウンター越しに颯太が照れ臭そうに笑う。
「いやしかしお前と店に来たエレナさんを見た時はビックリしたぜ。六年前とまるで変わらない彼女の美しさとお前の『です・ます』口調!」
颯太は軽く響を睨んだ。
「あれから六年だぞ?ガキじゃあるまいし出逢ったばっかでタメ語で話せるかよ。進歩してないって思われたくねぇんだよ」
「抱いてる時も敬語なわけ?お前は」
「うるせー」
……抱いてるときは…そのままの俺を感じて欲しかったから…呼び捨てにしたし敬語じゃなかった。
「しかし彼女、案外真面目というか純粋なんだよな、恋愛に対して」
颯太は昨日のエレナを思い返しながらゆっくりと話した。
「あんなに綺麗だしモテると思うのに。中身はまるで引っ込み思案の恋愛初心者とゆーか……どうやら過去に年下の男にこっぴどく傷つけられたらしくすげー臆病になってるみたいなんだ。
性格も至って真面目で地味だし」
響がニヤリと颯太を見た。
「その外見とのギャップがいいんだろ。
どうでもいい人間の前では気が強いのに、好きになった相手の前だけめちゃくちゃ甘えてくるとか」
「すげー美人なのに、俺に対してそれを武器にしないんだ」
響が大袈裟に身をよじると悪戯っぽく颯太を見上げた。
「うおおーっ、なんかそーゆーエレナさん想像すると興奮する!」
「ばか!お前には瞳さんがいるだろ!他人の彼女、想像すんな」
彼女、という言葉に響が突然真顔になる。
「お前、どうするんだ?エレナさん、一ヶ月でアメリカ帰るんだろ?」
「ああ」
「……引き留めないのか?」
「引き留めない」
「なんで!?アメリカと日本じゃ遠すぎるだろ」
「……彼女には女優としての夢があるんだ。引き留めるなんて出来ない」
颯太は広い店内の何処を見つめるでもなく、落ち着いた声で言った。
「彼女の邪魔はしたくないんだ。……多分、別れる事になると思う」
響は胸を突かれてテーブルに視線を落とした。
「……そんなの……辛すぎんだろ」
「一ヶ月の恋人だ」
颯太は切なく笑った。
◇◇◇◇
楠木健斗は、滅多に座ることのない自分のデスクで腕を組んだ。
彼は国内でも一、二を争う有名百貨店、星霜百貨店のバイヤーで若きエースである。
若干27歳で自主事業統括部のチーフバイヤーとなり、周囲から一目置かれる存在となった。
健斗にはバイヤーとして一歩先を見る目に優れ『これから売れるであろう商品』を探す能力に長けていて、彼が買い付けた商品はことごとくヒットしている。
ここ数年は激動の時代と言ってもいい百貨店業界で、星霜百貨店がジリジリと売り上げを伸ばしているのは、健斗の功績が少なからず影響していた。
……しかし。あの、神谷颯太。
二十歳の時、実家の小さな造り酒屋『神谷酒造』を株式会社にし、蔵元の命とも言える杜氏に女性を加え、男の飲み物という印象が強い日本酒を女性視点の、ファッショナブルで気軽に飲める『酒』として生み出し爆発的にヒットさせた若き実業家である。
健斗の勤める星霜百貨店は神谷酒造の商品を取り扱っているが、近頃はいつも品薄であった。
データを見ると、神谷酒造との取引は約五年前から始まっており、当時の酒部門のバイヤーリーダーが、何度も売り込みに訪れた神谷酒造の責任者、恐らく神谷颯太の父親の持ち込んだ酒『慕情』を試飲し、消化仕入れ方式で契約書を交わしたと記録してあった。
消化仕入れ方式自体は多種多様な商品を取り扱う百貨店として珍しい事ではない。
当時、老舗蔵元としては大して有名でなかった神谷酒造には、むしろ幸運といえる契約であっただろう。
百貨店側としては、売れるか判らない酒に在庫リスクも人件費赤字も避けたいのが心情である。
だが今はどうだ。
去年、 神谷酒造の冷酒が海外で開かれた日本酒品評会で金賞に輝いたのを皮切りに、マスコミに大きく取り上げられ、一気に知名度が上がったのである。
しかも代表取締役は容姿端麗で、辺りを払うような、光をまとったような魅力的な青年である。
健斗の勤める東京店では二十代から三十代の女性を中心に、神谷酒造の酒が飛ぶように売れた。
売り場の神谷酒造の商品陳列エリアは狭く、数量的に多くはない。
それまではこれでよかった。
だが現在、完全に形勢逆転である。
今となってはこちらが、神谷酒造に商品の確保を願い出ているのが現状だ。
そこで健斗は考えた。
「おい笹田、次のフェアは日本酒だって決まっただろ。
お前、神谷酒造行って社長にアポ取ってこい。フェアのスペシャルゲストとして社長を会場に招く。
社長は今や時の人だ。客も入り、商品も売れる。
普段より多く仕入れるかもしくは客の予約を取り、うちが重要な取引相手だと印象付けろ」
健斗の後輩である笹田は、大きく頷いた。
「いいっすね!営業一部の宮下さんの」
「マネージャーとの打ち合わせならもう終わってる。売り場のディスプレイ担当は販売部の有田さんがいいと思う」
「これを期に、神谷酒造のエリア広げますか?」
「現在神谷酒造の酒は人気で商品確保が難しい。このフェアを成功させて新たな契約を取り付けろ」
「はい!」
笹田は生き生きとした眼差しで健斗を見つめた。
「早速、神谷酒造に連絡入れます!」
「二週間後の日曜日、午後一時だ。社長を引っ張り出してこい。15分でいい」
「わかりました!」
健斗はニヤリと笑った。
あのガキ、恥かかせてやる。
◇◇◇◇
「社長、星霜百貨店の東京店で開催される日本酒フェアで、社長をゲストとして招きたいとお話を伺っているのですが」
……星霜百貨東京店……。
星霜百貨店は、その業界の中でも最大手である。
特に東京店は毎年売り上げが上がり、テレビでもよく眼にする。
星霜百貨店の東京店で取り扱う神谷酒造の酒はごく僅かだが、近頃では女性を中心に人気上昇中であるため、より多く仕入れたいという願い出があったと聞いている。
星霜百貨店は神谷酒造にとって、大切にしたい相手のひとつである事は確かだ。
「二週間後の日曜日、時間は一時から、15分間だそうです。どうされますか?」
電話越しに、秘書の青山奏の落ち着いた声が響く。
「いいでしょう。是非伺うと返事をしてください」
颯太はスマホをポケットに入れ、立ち上がった。
数本でもいい。一種類でもいい。神谷酒造の酒を、一人でも多くの人に飲んでもらいたかった。
◇◇◇◇
「エレナさん」
「颯太くん!おかえり!」
「ただいま、エレナさん」
午後八時、颯太は帰宅すると、リビングのソファにカバンを置き、エレナの体に腕をまわして抱き寄せた。
「ご飯食べた?」
「まだです。エレナさんは?」
「まだ」
「じゃあ、何か食べに出ますか?ちょっとだけ待ってもらっていいですか?僕シャワー浴びてきます」
「ん」
エレナが頷くと、颯太は身を屈めてエレナの唇にキスし、優しく微笑んだ。
「何が食べたいか考えていてください」
◇◇◇◇
十分後。
「エレナさん」
エレナが振り返ると、Vネックの黒いシャツとお洒落なジーンズに身を包んだ颯太がニコッと笑った。
「お待たせしました。行きましょう。何が食べたいですか?」
「颯太くんは何が食べたい?」
大きな瞳でエレナは颯太を見上げた。
……俺が食べたいもの?
「……僕ですか?そうですね……」
エレナは真顔で颯太の答えを待っている。
なんだ、この顔は。めちゃくちゃ真剣な顔じゃないか。
颯太はクスッと笑った。
途端にエレナの眼が真ん丸になり、それから少し拗ねたようにツンと横を向いた。
「なに」
「いえ、可愛かったので」
「は?」
「やっぱりご飯の前に」
「……きゃあっ」
颯太がエレナの腰を掴んだかと思うと軽々と抱き上げ、肩に担いだ。
「やだ、なにするのよっ」
「抱きたい、エレナさんを」
「もうっ!」
背中をポカポカと殴るエレナが可愛くて、颯太は笑った。
「暴れてもダメです」
寝室のドアを開けてエレナをベッドに下ろすと、長い髪がふわりと揺れた。
颯太はベッドに膝をついてエレナの瞳を至近距離から見つめた。
一ヶ月だけの恋人。儚くて、刹那的な関係。
「エレナ、愛してる」
「……颯太くん、大好き」
……幸せ。なのに、なのに、切ない。
エレナは眉を寄せた。
彼は分かってる。
私も分かってる。
「颯太くん、颯太くん」
一ヶ月だけ、恋人同士。
それから?それから、私達は。
よそう、考えるのは。
今はただ、エレナの温もりを感じていたい。
二人は見つめ合い、抱きあった。
◇◇◇◇
「颯太くん、今日は何時に帰る?」
朝食後、時間があった颯太はソファでエレナを胸に抱いていた。
「今日は多分、夕方には上がれると思います」
「ほんと?!」
エレナの顔がパアッと明るくなり、颯太は眉を上げた。
「どうしたんですか?どこか行きたい所でもありますか?」
エレナは、首を振った。
「一緒にご飯作ろ!二人きりでいたいの」
颯太は僅かに驚くと、嬉しそうに尋ねた。
「僕と二人きりでいたいですか?」
「うん」
恥ずかしそうに視線をそらしたエレナを見て、颯太は身体が痺れるような気がした。
嬉しい。エレナが俺を。
愛されている喜びを噛み締めながら、颯太はエレナの唇にキスをした。
「夢みたいです。めちゃくちゃ嬉しい」
エレナはキュッと颯太にしがみつきながら、微笑んだ。
「なに作る?私が作っておいてもいいけど」
颯太は先日のエレナの目玉焼きと味噌汁を思い出し、慌てて首を振った。
絶対俺がいないとダメだ。
「なに、感じ悪いけど!」
「気のせいです」
颯太は考えてから慎重に口を開いた。
「……今日は新作の冷酒が出来上がる日です。一本持って帰ってきますから、それに合うものを作りましょう」
「うん!じゃ、颯太くんが帰ってから一緒に買い物に行く?」
「はい、そうしましょう」
「じゃあ……夕方ね」
「はい」
「あの、颯太くん」
エレナが、遠慮ぎみに颯太を呼んだ。
颯太は長身を屈めてエレナを斜めに見下ろした。
「どうしましたか?」
「あの、」
「ん?」
颯太の澄んだ瞳がエレナを捉え、彼女は息を飲んで彼を見つめた。
「愛してる」
ダメだ、私イカれてるかも。もう、好きで好きでたまらない。
颯太は優しく笑った。
「僕もエレナさんが大好きです」
エレナは颯太に抱きついた。
◇◇◇◇
「ああ!ロマンチック!あたしもそんな恋がしったーい!」
エレナから颯太との話を聞いた亜子と咲希は、ハアッとさも悩ましいと言うように溜め息をついた。
時間は丁度昼時で、亜子お気に入りのお洒落なカフェ『LanaCafe』で、三人仲良くランチタイムである。
「どう?!昔自分を口説いた不良高校生に今度は自分がベタ惚れっつー気分は」
咲希が意地悪そうな微笑みを浮かべてエレナを見ると、エレナは咲希の皿から素早くフォークごとパンケーキを奪い取った。
「きゃー、あたしのパンケーキ!」
「結婚すんの?」
亜子の唐突な質問に、エレナは眼を丸くした。
「はあ?!まさか!」
「まさか!?なにそれ?」
「だって私アメリカ帰るし、まだメインキャストになってない。シェリル・シーマと共演だって果たしてない」
そんなエレナを見て、亜子はアイスティーを一口飲んでから口を開いた。
「じゃあ、神谷颯太を諦めるわけ?あの、わざっとらしい高宮って女にくれてやるわけ?」
「遠距離恋愛になるけど、仕方ないね」
咲希はエレナに取られたフォークに彼女のパンケーキを刺して自分の口に入れた。
「遠距離恋愛はしない」
「なんで!?」
綺麗にハモった二人を見ず、エレナは行き交う人々に視線を移しながら答えた。
「絶対、私耐えられないと思うんだ。猜疑心に苛まれて死にそうになる。やっぱり怖いの。近頃思うんだ。
私が相手を信じられないのは、相手が年下かどうかより、私の心の問題なのよね。私に、ケイレブの仕打ちを乗り越える力がないんだよ。
だから私と遠距離恋愛なんてすると彼を苦しめる事になる」
「神谷颯太の器を信じれば?」
エレナは亜子の言葉に首を振った。
「いつまでかかるか分からない自分の夢で、颯太くんを縛りたくないの。何年先になるか分からない結婚も、約束できない」
「あんたを尊敬する」
「あたしも」
咲希と亜子は、真顔でエレナにそう言うと、テラスから遠くを見つめた。
「けど私は信じてる。神谷颯太はエレナの運命の相手だって!分かるの、あたし」
「私もそう思う。あんたたち二人は、いつか結婚する!」
エレナは笑った。
そんな日が来るのだろうか。
「私も、いつか結婚する日がくるとしたら、相手は颯太くんがいいな」
「望め望め!夢は望まなきゃ叶わないわ」
咲希がハツラツとした声でそう言った。




