実は再会
すると颯太がまたしても、
「やったあっ!」
拳を握って脇をしめ、小さく腕を動かした。
エレナはそれを見て笑った。
無邪気な顔。
キリリとしたイケメンなのに、まるで気取らないんだね。
ダメだ。
エレナはこの笑顔にやられたと思った。
◇◇◇◇
颯太のマンションは、メトロの日比谷線にある駅から徒歩10分程の高級マンションであった。
「大丈夫ですか?タクシーのが良かったんじゃ……」
冷蔵庫から取り出したペットボトルをエレナに手渡しながら、颯太は心配そうに言った。
エレナはそんな颯太を見てにこりと笑った。
「大丈夫。歩きたかったの」
『旬彩・響』を出て、駅のロッカーに預けっぱなしのエレナのスーツケースを取りに行き、颯太のマンションまで歩いた彼女を颯太は心配していたのだ。
「30分も歩いてないよ。全然平気。酔いも冷めたし」
エレナは左腕にはめた時計を見た後、颯太から受け取った水を一口飲んだ。
喉をコクンと鳴らしたエレナを、颯太はじっと見つめた。
その時、
「久々に、東京の夜景が見たいなぁ」
エレナの一言に颯太は慌てて口を開いた。
「ここからの夜景は最高です。こっちに来てください」
テラスへ出て、二人で並ぶ。
「わあ、凄い!綺麗……」
月並みだが、宝箱の中身がひっくり返ったようだ。
エレナはフフフと笑った。
「どうしたんですか?」
颯太が斜めからエレナを見下ろして、眉をあげた。
「あの、ピカピカの東京タワーが一番好き」
風が心地よかった。
エレナは隣の颯太をチラリと見た。
途端に視線がぶつかり、互いに言葉をなくしたまま、見つめ合った。
「……」
先に動いたのは颯太であった。
「……っ!」
抱き寄せず、ただ顔を近づけてエレナの唇にキスをした颯太を、エレナは驚いて見つめた。
「もっとキスしてもいいですか」
「えっ」
颯太はエレナの瞳を覗き込んだ。
潤んだ大きな瞳。
何て魅力的なんだ。
そっとエレナの顔を両手で包み、精悍な頬を傾けると、颯太はエレナに二度目のキスをした。
頬から手を離し、両腕をエレナの腰にまわすと、颯太はその腕に力を込めた。
互いの体が密着する。
その途端、エレナは胸が高鳴り、颯太は体の奥がジンと痺れた。
何度も角度を変えながらキスを深め顔を離すと、颯太はエレナを抱き上げた。
「きゃあっ」
「首に掴まっていてください。部屋に入りましょう」
颯太に軽々と抱き上げられ、エレナはバクバクとうるさい心臓に困った。
颯太はエレナを抱いたまま奥の寝室を器用に開け、キングサイズのベッドにそっと彼女を横たえた。
キスをしながらエレナの体を撫で、服の裾から片手を入れる。
「……っ」
颯太の熱い指が直接肌に触れる。
キスの合間に甘い吐息を漏らしたエレナにゾクッとし、颯太は彼女の体を起こすとその瞳を見つめた。
キスで乱れた息と、窓から差し込んだ月の光りに照らされたエレナが綺麗で、それでいて淫らで、颯太は眩しくもないのに僅かに顔を傾けて眼を細めた。
「エレナさん、あなたを抱いてもいいですか」
艶やかな低い声で彼女に問うと、颯太はスーツの上着を脱いだ。
その時である。
脱いだスーツの袖がサイドテーブルの何かに当たり、それがカシャンと音を立てて床に落ちた。
あっ……!
硬質の音が二人を熱の園から引き戻す。
しまった、これは……。
颯太は息を飲んでエレナを見た。
……何?
響いた音と颯太の慌てた態度に、エレナは身を伸ばして音のした方を見つめた。
なにあれ……写真立て?
部屋に射す僅かな明かりが落ちたそれの表面に反射してキラリと光り、エレナは身をよじって床に手を伸ばした。
「エレナさん、それはあの」
エレナは食い入るように拾った写真を見つめた。
これ……嘘でしょ?
エレナはベッドから降りると、写真を手にしたまま颯太に眼をやった。
「これってどういう事?」
颯太は観念して部屋の電気をつけた。
頬を寄せ合って写真に写る男女のうち、女性は紛れもなくエレナ本人であった。
颯太はベッドに座ると静かに口を開いた。
「それは、僕とエレナさんです」
「はあっ!?」
エレナは、写真の男を見つめた。
短すぎず長すぎずもない銀の髪にグレーの瞳のこの男の子が、颯太くん?!
「覚えてませんか?」
「待って!思い出すから待って!」
「……原宿の」
「あっ……!!」
サラサラと頭の中でアルバムのページを逆にめくる。
思い出した……!
エレナは眼を見開いて写真から顔をあげると、ベッドに腰かけてこちらを見つめる颯太を凝視した。
◇◇◇
ー六年前ー
「私は女優になるの。母国アメリカでね」
「お前、名前は?俺は神谷颯太」
「城田エレナ」
城田、エレナ……。
気の強い女だ、多分。
いや実際、見知らぬ男の背中に蹴りを入れたんだ。
強くない訳がない。
颯太はエレナを見つめた。
見つめたが、すぐに眼をそらして両手をズボンのポケットに突っ込んで横を向いた。
眩しくて見ていられなかったんだ。
凛とした、強い意思を感じる眼。キュッと結んだ唇。
すげー綺麗な女。だめだ、なんか変だ、体が。
颯太は胸が締め付けられるような、軋むような気がした。
これってアレだ、分かってる。
「お前、歳いくつ?」
「二十歳」
「君は?」
「もうすぐ18」
颯太はエレナに向き直ると、はっきりした声で言った。
「エレナ!」
「なに」
「お前に惚れた!俺と付き合ってくれ」
エレナは張り付いたように颯太を見つめた。
「絶対、嫌!」
「何でだよ!?」
俺は顔だってイケてるし、背だって185センチある。正直、モテる。
なのに。
エレナはシラケたような顔で颯太を見上げると、キッパリと言い放った。
「何で自分より頼りない、学校サボるような不良と私が付き合わなきゃなんないの?私があんたみたいなガキっぽい男を好きになる訳ないでしょ」
颯太は反論できなかった。
そんな颯太を見て、エレナは弟をたしなめるように言った。
「折角学べる場所があるのに、自分から背を向けるなんてもったいない。人はね、ちゃんとしなきゃダメなのよ。しっかり学校行かないとダメ。17歳にもなって、なにやってんの?
よくそんな状態で私に付き合ってくれなんて言うわね」
「じゃあ……ちゃんとしたら付き合ってくれるのかよ」
「そうね。いつかあなたと私が再会した時、あなたがちゃんとしてたらね。しっかりと働いてて真面目で、私がそんなあなたに恋したら、付き合ってあげる。結婚だってしてあげるわよ」
「じゃあ、メアド教えろよ」
「ダメ!その代わり、携帯貸して」
エレナは颯太の携帯を受けとると、カメラを起動させて彼を呼んだ。
「来て」
そう言うと背伸びをし、颯太の首に手を回して頬を密着させ、片方の手で携帯のボタンを押した。
カシャンとシャッター音が響く。
「うん、いい感じ!」
身を屈め、エレナの頬に自分の頬が触れた颯太は胸が高鳴ったが、エレナはまるで恥ずかしがる様子もなく、携帯の画面を見ながら頷いた。
「私が大女優になったら、高く売れるわよ」
颯太は返された携帯の画面を見つめた。
二人の顔がアップに写されていて、まるで恋人同士のようであった。
「じゃあね!」
再び大きな段ボールを抱え、僅かに颯太を振り返るとエレナは歩き出した。
「約束だからな!俺とお前が再会して、俺が出世してたら、俺に惚れさせたら」
「分かった分かった!付き合う、付き合う!結婚も、するする!」
あはは!どうせもう会うこともないわ。
明日、私はアメリカに帰る。
演劇学校の製作発表、アルバイト、エージェント探し。
颯太は携帯を握り締めた。
……絶対なってやる!エレナが惚れるような男に!
◇◇◇
……現在。
エレナは冷や汗が出る思いで、颯太の端正な顔を見つめた。
私としたことが全然気づかなかった。
しかもあんな出来事すら忘れていた。
「あのときの不良高校生だったの?」
「……はい」
あー、危なかった!もう少しで寝ちゃうとこだったじゃん!
エレナは溜め息をついて立ち上がった。
「随分、お久し振りね」
エレナは颯太を一瞥すると衣服の乱れを整え、寝室を出ようとした。
「待ってください!今の僕じゃ駄目ですか」
颯太はエレナを追いながら声をかけた。
「ダメ」
アッサリと切って捨てるように言われ、颯太は思わずエレナの腕を掴んだ。
振り返ったエレナと視線が絡まる。
「何故ダメなんですか」
なぜ?
エレナは颯太を見上げた。
確かに変わった。
現在の颯太はバーを経営し、会社を設立して実家の造り酒屋の酒を世界30ヶ国で販売しているらしい。
凄いと思う。でも。
「どうして、あの時の不良少年だったって黙ってたの?」
「それは」
颯太は一旦言葉を切り、思いきったように言った。
「折を見て、ちゃんと言うつもりでした」
「私とセックスした後に?」
言いながらエレナは颯太に氷のような眼差しを向けた。
「あんな風になると思ってなくて」
「だから嫌いなのよ、年下って」
颯太が僅かにムッとしてエレナを見た。
「僕は先月24になりました。あなたは26歳になったばかりでしょう?二歳しか変わらない」
「けど年下にはかわりない」
エレナは颯太から視線を外した。
「……昔の彼は年下で、私が初めてドラマの端役が決まった時、嬉しくて真っ先に報告したわ。彼もきっと喜んでくれると思ったから。でも違った。エレナは俺より役者を取ったと、酔って母親に電話してたわ。その次の日、私が居ない間に消えた。私が必死で貯めた五千ドルとね」
さらっとしか言えなかった。
どれだけ残酷な目に遭ったかを、エレナは言う気がなかった。
知っているのは親友の咲希と亜子、それに弟の玲哉だけで、泣きながら部屋の床に座り込んだエレナを、玲哉はただ抱き締めた。
『ねーちゃん、しっかりしろ!俺がアイツをぶっとばしてやる!』
憎しみを込めた玲哉の低い声を、エレナは今もしっかりと覚えている。
私は、何もなくなった部屋のベッドの上を見て震えていて……。
あの光景を思い出したら寒気がしたが、エレナは眼を閉じて颯太に気付かれないように深呼吸すると、物憂げな表情でさらに続けた。
「だから年下の男はもう懲り懲り。年下とは付き合わないし好きにもならない。だからセックスもしない」
「けど先程は、あなたは僕に抱かれたかったんじゃないんですか?それが僕が年下だと分かった途端、部屋を出ていった。
あの時点まで僕を年下と思わなかったのは、僕を」
「とにかく年下は大嫌いなのよ」
颯太の言葉を遮り、エレナは吐き捨てるように言った。
瞬間、颯太の手がエレナの後頭部にまわり、素早く引き寄せた。
「っ……!」
それから反対の腕でエレナの腰をさらうように抱き、彼女に口づける。
な、に、するの!?
エレナは、抵抗しようともがいた。
年下は嫌だって……でも……。ダメだ、酔う。
どうして?この男のキスに酔うのは。
エレナは力を抜いた。
いや、抜いたのか抜けたのかは分からない。
けどこの男の、夢中になってしまうようなキスのせいであることは確かだ。
颯太の優しく、それでいて誘うような熱のある口づけが終わった時、エレナは彼に見つめられて思わず赤くなった。
気まずくて横を向こうとしたのに、颯太の手が後頭部から離れない。
「今のは僕を傷つけた罰です。僕はあなたの昔の男じゃない」
颯太は至近距離からエレナの瞳を捉えたまま、ニヤッと笑った。
「あのときの約束、覚えてますよね。僕が出世して、僕に惚れさせたら、付き合うって」
エレナは眼をそらした。
「ダメです。こっちを見てください。それに結婚だってしてくれるんですよね」
颯太の端正な顔が傾き、切れ長の眼がエレナの唇を見つめた。
半ば伏せられたその眼が実に妖艶で、エレナはコクンと喉をならした。
「あなたを絶対惚れさせる。絶対僕に抱かれたいって思わせます」
なに、この感じは。ドキドキと心臓が早くなる。
エレナは高鳴る胸を押さえながら、焦って言った。
「私と結婚してもいいことなんて何もないわよっ。だって掃除も洗濯も嫌いだし誰かの為に料理を頑張ろうなんて思わないし、子供だっていつになるかわかんないし」
慌てるエレナが可愛くて、颯太はクスッと笑った。
「掃除も洗濯も料理も、僕のためにしたいって思わせます。子供だって」
そこで一旦言葉を切ると、颯太はエレナに囁くように言った。
「欲しいって、思わせます。僕の全てが欲しいと」
「……」
「というわけで今日から1ヶ月間、ここにいてください。あのときの約束を守るために」
言うや否や、再びチュッとエレナにキスをすると颯太はスーツケースをゲストルームへ運んだ。
「あの……」
「なんですか?」
「変じゃない?」
颯太は僅かに口を開けてエレナを見た。
「何がです?」
「だってあなたと出会ったのは六年も前だし、それから一度も会話してないのにあなたは私と恋愛したいわけ?!
一ヶ月経たない間に私を嫌になるかもよ?だって私何もないもの。財産もないし女優の仕事だってまだレギュラーキャストになれてない。映画のオーディションには落ちまくりだし、エージェントのジョーイにはアジア系ってだけで嫌われてる」
颯太は、両肘を曲げて掌を上に向けながら、眉を寄せて話すエレナを見つめた。
ほんと、分かってない人だ。
「あなたがいいんです」
「やっぱり誘拐」
「違います」
「じゃあレイプ」
「いい加減にしてください」
「じゃあ六年前、背中に蹴りを入れた事を恨んで……」
颯太はエレナを甘く睨んだ。
「あれは本当に痛かったです」
「ごめんなさい……」
「悪いなんて思ってないでしょう?」
「……」
「とにかく一ヶ月間。あなたがアメリカに帰るまでここにいてください。僕に惚れてもらいますから」
エレナは眼を見張った。
なんだろう、この男の凄いパワーは。
柔らかく微笑んだ颯太に見とれて、エレナは思わず頷いた。
「やったあっ!!」
頷いたエレナを見て、颯太がまたもやガッツポーズをした。
今度は大きく。
それから白い歯を見せて豪快に笑う。
「嘘みたいだ!すげー嬉しい!」
エレナは諦めて苦笑した。
けど、このままではシャクに障る。
「ガキっぽい」
「えっ」
「……お世話になります」
「やったあっ!」
「うるさい」
長く忘れていた甘酸っぱい感覚に、エレナは戸惑いながら眼を伏せた。
◇◇◇◇
翌日、エレナは朝早くに目覚めた。
ベッドに沈んだまま眼だけを動かして、再び眼を閉じる。
……昨日の出来事は現実だった。
六年前の不良少年は実業家に変身し、コンシェルジュのいる高級マンションに独り暮らし。
再会をきっかけに言い寄られ、一ヶ月間共に暮らすことに。
一ヶ月……。
エレナは、定期的に必ず来日するようにしている。
アジア……母の母国である日本を忘れないために。
訪れる度に和の心に触れ、演技に役立てる為である。
エージェントからはエレナに合う役の話が入ると必ず連絡が来る。
組合には二つ入っているから、役のイメージさえエレナに合えばドラマと映画のオーディションは受けられる。
ただアメリカは広く、役者も吐いて捨てるほどいる。
状況は厳しい。けど負けてなんかいられない。
勝ってみせる。レギュラーキャストになって見せる。
エレナは起き上がると両手を大きく伸ばした。
「エレナさん……」
ノックをしようと思いながら来たのに、ゲストルームのドアは開けっぱなしであった。
声をかけて室内を覗いたが、真っ先に見たベッドにエレナはおらず、彼女はその隣に立っていた。
声をかけたのに気付いてないのはどうやらウォークマンのせいらしく、両耳にはイヤホンがついていた。
颯太は綺麗な姿勢でヨガのポーズをとるエレナに見とれた。
よくみると彼女の頬には汗が伝い、首もとは光っていた。
物凄くセクシーだ。華奢な体の割りには胸がでかい。絞り上げたような腰もそそる。
その時フッとエレナの瞳が颯太を捉えた。
素早くイヤホンをとると、斜めに颯太を見て眼を細める。
「なにそのいやらしい顔」
いや、それは。
颯太は決まり悪くて思わず咳払いをした。
「嘘よ。おはよ」
「おはようございます。朝食作ったんですけど、いかがですか?」
「ありがと。でも遠慮しとく。今から走るから」
「走るんですか?」
「うん。その場駆け足だけど。安心して。ドタバタしない」
汗で汚さないように、床に自分のタオルを敷きながら、エレナは爪先を上げきらずに、その場で駆け足を始めた。
「じゃあ僕、待ってます」
再びイヤホンをしたエレナはそれに答えず、颯太は走るエレナをしばらく見つめた。
……昨日夜景を見た後、見つめ合ってキスした。
それから俺は彼女を抱き上げて寝室へ。
俺の指先に、彼女は甘い吐息を漏らして……。
あのまま写真が落ちなければ、俺は彼女を抱いてた。
彼女だってそれを望んでたはずだ。
けれど俺があの時の不良だと分かった途端、熱い雰囲気はみるみる冷めていって。
『年下とは付き合わないし、セックスもしない』
たった二歳の差。けれど彼女にしてみれば『年下』なのだ。
漠然と過去の何かが原因なんだろうと思う。
過去の出来事に決着がついてないのか。
颯太はそっと踵を返した。
◇◇◇◇
30分走り、シャワーを浴びるとエレナは颯太のもとへと向かった。
アイランドキッチンに立つ颯太はモデル並みにかっこよく、エレナはふと思った。
……初めて会ってから6年も経つのに、彼は私にまだ興味があったの?
本当に再会できるかなんて、分からないのに。
スラリとした長身も男らしく端正な顔立ちも素敵で、二十代前半だというのに会社を設立していて経済的にも文句の付け所がない。
なのに恋人はいないの?
きっと彼に誘われたい女性なんて山ほどいるに違いないのに。
エレナはゾッとした。
こんな男といたら、休まらない。ずっと心配してなきゃならない。集中出来ない。
ダメだ、それでは役者としてダメになる。
エレナはこちらを見て優しく微笑んだ颯太を、硬い表情で見つめた。
ん?
颯太はエレナの夜のような表情に気付き、皿を置いた。
そのまま見つめると、スッと視線をそらされた。
「どうしたんですか?」
エレナは首を振った。
「別に」
「座っててください」
キッチンの南側のテーブルを見て颯太は笑った。
白いワイシャツの袖をまくり、皿に料理を盛り付ける颯太を横目で見ながら、エレナはテーブルについた。
三つの仕切りがあるセトモノのプレートをエレナと自分の前に置き、颯太は恥ずかしそうに口を開いた。
「どうぞ召し上がってください。大したものじゃないですけど」
ハムエッグにグリーンサラダ、トーストにスープ。
「いただきます……」
プレートの隣にコーヒーとオレンジジュースを置いて、颯太はエレナに言った。
「なにか、僕に聞きたいことでもあるんですか?」
「……」
「僕を見つめて、暗い顔をしていたから」
「なんでもない」
「僕とあなたがこうして一緒に居られるのは、たった一ヶ月しかありません。その間にあなたに僕を目一杯知ってほしいし、僕もあなたを目一杯知りたい。だから何でも聞いてください。そしてあなたの事も教えてください」
真っ直ぐな眼差しでこちらを見て真剣にそう話す颯太に、エレナは胸を突かれた。
この男は。
エレナはコクンと喉をならした。
この男は、本気で私と恋愛をしようとしているのか。
エレナは一言だけ聞いた。
「本気?」
私と本気で恋愛したいの?
そう聞くつもりが、言えなかった。
なのにそれを察したかのように颯太が即答した。
「本気です」
何の迷いもない颯太の瞳が、エレナを正面から捉える。
エレナはキュッと眼を閉じるとそれをゆっくり開けてからフウッと笑い、頷いた。
「朝食、ありがとう。いただきます!」
「エレナさん、僕今日外回りだけなんです。今晩、一緒に食事しませんか?」
「外回り?社長なのに?」
颯太はニコニコと笑った。
「実家の造り酒屋を株式にして、後はバーが二軒ですから、社長といっても大したことはないんです。社員はいますが主に酒蔵の杜氏の方々ですし、営業担当者にばかり任せてもいられないんです。僕に出来ることはなんでもやらないと」
「凄いね」
「凄くないです。凄いのは、実家の酒蔵の杜氏の方々です。酒米選びや糀仕込みを2日間から3日間に変更したりと、研究を重ねてくださったお陰でうちの酒が世界で……あっ!すみません、僕」
エレナはそんな颯太を見て、弾けるように笑った。
「すみません僕、思わず夢中に……」
颯太は照れたように視線をさ迷わせたが、小さく咳払いするとエレナに尋ねた。
「……エレナさんは、どうして女優になったんですか?」
エレナはコーヒーを一口飲んで口を開いた。
「子供の頃シェリル・シーマに会ったの。当時、彼女は女優として絶頂期だった。
ニューヨークの街中で、私、彼女を取り囲むパパラッチにぶつかって転んだのよね。そしたら彼女、自分の買い物を放り出して私に駆け寄って抱き起こしてくれたわ。雨が降ってて、自分のワンピースが汚れるのもお構いなしで。
綺麗で優しくて人気者で、おまけに人に夢を与える仕事なんて最高でしょ?
私、彼女に聞いたわ。どうしたら貴方みたいになれるの?って。そしたらシェリルはこう言った。
とにかく、踏み出さなきゃ始まらないって。
やってみなきゃ、やれるかわからない。やらなければ、やれることはないって。
私、その時に思ったの。やりたいことが見つかったって。それで彼女に言ったの。私も女優になるわ。いつかあなたと共演するって!
彼女、待ってるわって言ってくれて……。
だから私、絶対に諦めないって誓ったの。何があっても負けないって!あっ……!」
エレナは颯太の優しい眼差しに気付き、話しすぎた自分を恥ずかしく思ってうつむいた。
「いい出会いだったんですね」
「……うん」
ただ、エレナにはわかってしまっていた。
自分はどんなに頑張ってもシェリルと同じ位置に立てないことを。
何故なら、たとえアメリカ人であっても、アジア系だからだ。
アメリカの作る映画やドラマで、アジア系が主役など滅多にない。
合作でも難しい。
役者の世界で、肌の違いを乗り越える事は簡単ではないのだ。
しかし、それでもいいとエレナは思い始めていた。
自分にしか出来ない役が、必ずあるはずだ。
アメリカには吐いて捨てるほど役者がいる。
有名な演劇学校を出たからといって、売れっ子にはなれない。
エージェント契約が出来ただけでも有り難い。
何本かのCMにメインで起用されたのが良かった。
今、エレナは二種類のユニオン(組合)に所属していて、映画、テレビ、ラジオ等に出演可能である。
エージェントに何らかの形でエレナ向けの話が入れば、エレナはオーディションを受けられる。
受かれば出演。ダメならそれまで。
「じゃ、仕事が終わり次第帰りますから、夕方、部屋で待っていていただけますか?」
「颯太くんのショットバーで待ってていい?」
「『Sou』でですか?では、7時半に迎えにいきます」
ニコニコと笑いながら男らしく精悍な頬を傾け、颯太はつづけた。
「あー、夜が待ち遠しい」
「ふっ……」
「…なんですか」
「別に」
颯太の笑顔につい、
「…私も」
言ってしまってからハッとする。
「ほんとですか?!」
エレナはツンと横を向いた。
「夜ご飯が楽しみなだけ」
ああ私って、ほんと可愛くない!どうして素直に『うん』と言えないのか。
……それは、分かってる。
彼が年下だからだ。
年下は、ダメ。
颯太は、またしても暗い顔をして俯いたエレナを見つめた。
固い表情で皿に視線を落としている。
長い睫毛が羽みたいだと思いながら、颯太はエレナに話しかけた。
「何が食べたいか考えていてください。エレナさんの食べたいものを食べに行きましょう」
エレナは咄嗟に颯太を見た。
なんの曇りもない眼差し。
ああ、本当に素敵だ。
颯太は、戸惑ったように自分を見つめるエレナを見て思った。
彼女の、恋愛に対して抱えている闇は一体どんなものなのか。
それを俺が取り払い、彼女を救い出したい。




