still
2年後、ロサンゼルス。
「下まで送るよ」
ジョーイがエレナをチラリと見た。
素早くエレナの荷物を持つと、オフィスのドアを開ける。
「……ありがと」
「お前、本気かよ」
「本気よ」
「どうしてだ?」
エレナは、エレベーターの中でフフフと笑った。
「もう夢は達成したもの!思い残すことはなにもない!」
エレナは、数年前に出演した潜入捜査官の活躍を描く海外ドラマの、スピンオフ作品に出演した。
視聴者の先取りを狙い8月下旬からスタートしたが、放送開始からかなりの人気で、瞬く間にシーズン4までが一気に撮影された。
本編が大ヒットしただけに、スピンオフ作品も早い時期に日本での放送が決定するだろう。
そう、エレナはもうひとつの夢であった、海外ドラマのメインキャストになる夢を達成したのだ。
異例の早さで撮影が進み、エレナは多忙を極めた。
ドラマの撮影が途切れたのはたった三ヶ月間だけであったが、その間は恋愛映画の撮影に臨んだ。
エレナは清々しい気持ちだった。
逆に、ジョーイは閉口した。
エレナがあまりにもサバサバと潔かったからだ。
エレナはそんなジョーイを見て再び笑った。
「これから、どーすんだよ」
「取り敢えず、日本に行くわ」
「そっか」
エレベーターを降り、広いフロアの真ん中まで歩くと、エレナは荷物を受け取りながらジョーイを見た。
「あなたがオーディションの日付を間違えた時は本気で『死ね!』って思ったけど、もう喧嘩できないと思うと今は寂しいわ」
ジョーイは参ったと言う風に笑った。
「死ね!って思ったのかよ」
「当然でしょ」
エレナは微笑んだ。
「さよなら、ジョーイ!」
「ああ、元気でな、エレナ」
エレナは踵を返すとエージェントのビルを出た。
さあ、新しい夢に向かって進まないと。
颯太くんに会いに行かないと。
エレナは姿勢を正して大きく深呼吸すると、空港を目指した。
◇◇◇◇
東京。
エレナは来日前に咲希と亜子に連絡を取り、日本に着いてから初めての夜に二人と落ち合った。
「エレナ、あんた本当に良かったの!?」
「そーだよ、女優辞めちゃうなんて」
ひとしきり再会を喜び合い、乾杯をしてから、咲希と亜子が心配そうに声を上げた。
エレナはにっこりと笑った。
「だって私、次の夢を叶えにきたんだもん。もう、女優に未練はないわ」
咲希が上目遣いにエレナを見る。
「神谷颯太だよね?だから自分から『Sou』で飲もうって言ったんでしょ?」
エレナは笑みを消し、僅かに固い表情で頷いた。
「アグリッピナの日本公演PRで来日した時に会ったのが最後で、あれからもう二年が経ってる。
だから彼は結婚してるかも知れないし、そうじゃなくても恋人がいるかもしれない。
でも私、颯太くんに伝えたいの。まだ私は、颯太くんが大好きって事を」
エレナはそこまで言って、一旦言葉を切った。
それから再び口を開いた。
「 でもね。
颯太くんと結婚したいことも、彼の子供が欲しい事も本当は伝えたいけれど、これは彼に特別な人がいるのなら、言わないでおく。だって彼に迷惑かけたくないし彼の大切な人を悲しませたくないから。
……変な言い方だけどね、多分、彼の大切な人なら、私にとっても大切な人だと思うから」
『 彼の大切な人なら、私にとっても大切な人だと思うから』
咲希は、エレナのその言葉を聞き、我慢できずに声を上げて泣いた。
「全く、あんたは!
綺麗すぎるし、意思は強すぎるし、純粋すぎるし、優しすぎるのよ!バカ、バカ、バカ、バカ!!」
「咲希?!なによ、大丈夫!?」
咲希は子供のように泣きじゃくった。
「ほんと、あんたみたいな女は、そういないよ!」
エレナは咲希の肩を抱き寄せて言った。
「ごめんね、いつも迷惑かけて……」
「謝るな!」
そのやり取りを見ていた亜子が、口を開いた。
「ねえ、そろそろいーんじゃない?!」
咲希を泣き止ませようとしていたエレナは、右隣の亜子を一瞬だけ見て答えた。
「ん?何がそろそろいーの?その前に、亜子も咲希を泣き止ませて」
亜子はカウンターに身を預けるようにしながら、エレナの体を避け、彼女の左隣で泣いている咲希に声をかけた。
「咲希、エレナの本音、聞けたんだからそろそろいいでしょ」
咲希がウンウンと頷く。
手早く自分の涙を拭きながら、咲希は前を向いた。
「もう、誤算だわ。泣いちゃうなんて。てな訳で、いいわよ!!」
「は?……何がいいのよ」
エレナは、眉を寄せて両隣の親友を交互に見た。
ちょうどその時。
「っ!!!」
前方……ズラリと上の方まで並んだ色とりどりのボトルを背に、誰かが現れた。
…嘘でしょ!?
エレナは驚いて息を飲んだ。
幅の広いカウンターテーブルの下方から、立ち上がり、三人の前に現れた人物。
嘘っ…………!!
「…………!!」
大きく眼を見開き、口と鼻を両手で隠すようにしながら硬直するエレナに、咲希と亜子が言った。
「悪いけど、先に連絡取らしてもらったわよ」
「後は二人で話し合ってね、じゃあね!」
足早に去っていく親友達に何も言葉を返すことが出来ず、エレナは信じられない思いで目の前の人物を見つめた。
「お久し振りです。初めて雑居ビルで会って、その六年後に再会した時と一緒ですね」
エレナの手が小刻みに震える。
声が出ない、どうしよう。
「エレナさん?」
スラリとした長身、艶のある短い黒髪、キリッとした眉、切れ長の眼、通った鼻筋。
「そ、うたく、ん……」
「エレナさん」
低くて柔らかい声。
なにか、なにか、言わなきゃ……。
今までにないくらいの緊張がエレナを襲う。
貼り付いたような喉を押し開き、エレナは一生懸命口を開こうとした。
「You still……」
ダメだ、これは日本語じゃない。
「……Do you still……」
ああ、だからそうじゃなくて。
エレナは違うというようにかぶりを振った。
どうしよう。
手の震えが止まらず、心細く、エレナは唇を噛んで俯いた。
そんなエレナに優しい眼差しを送り、颯太は微笑んだ。
……全く。
気が強いクセに、急にこんなにか弱いところ、見せんなって。
颯太はエレナに告げた。
「I still love you」
……え……。
颯太の言葉に、エレナがゆっくりと顔を上げた。
『 I still love you 』
それって、それって……。
楽しげな声の響くショットバー『Sou』の客達は、そんなエレナと颯太に誰も気づいてはいなかった。
◇◇◇◇
「……僕の家でゆっくり話しましょう。そっちに回るから、待っててください」
エレナは頷いた。
しばらくして、バックヤードから客席へと続くドアを開けて、颯太はエレナの元へとやって来た。
「行きましょう」
エレナはやっと少し笑った。
颯太はそんなエレナを見て、眉を上げた。
「なんですか?」
「懐かしくて。健斗から守ってくれた時もここでこんな風に」
……そうだ。
ここで、こんな風にエレナの腰に手を回して。
「あの時は、最初に肩を抱いて……」
颯太は照れたように笑った。
「あの日、六年ぶりに言葉を交わしたんです。ずっと憧れていたエレナさんと」
エレナは、背の高い颯太を見上げた。
不良高校生だった颯太くんがこんな風にスーツを立派に着こなし、堂々として落ち着きがある素敵な人になるなんて。
暫く見つめ合っていたが、颯太がふいに視線をそらした。
「ダメだ、可愛すぎて見ていられません」
颯太は参ったというようにそう言うと、身を屈めて彼女の耳に形の良い唇を寄せた。
「早くエレナさんを抱き締めたい」
「……っ!」
エレナの恥ずかしそうな顔を見て、颯太はフッと笑った。
「ヤバイ」
颯太はそう言うと、エレナの頬にキスをした。
◇◇◇◇◇
マンションに着いて部屋に入ると、颯太はエレナの腕を少し乱暴に引いた。
「あっ」
倒れそうになってヒヤリとし、エレナは思わず声をあげた。
けれど倒れず、颯太にフワリと抱きとめられる。
「 さっきの話、全部聞きました。エレナさんが女優に未練がないなら、僕はもう我慢しません。
馬鹿丁寧な喋り方も、本当にもうやめです。
エレナ、」
颯太の声が掠れ、切なげに響いた。
「エレナ、俺、ずっとこの日が来るのを待ってた。ずっとずっと待ってたんだ」
「颯太くん……長い間、ごめんね」
颯太はエレナの髪に顔を埋め、大きく、本当に大きく息をついた。
「正直、長かった」
エレナは、ぎゅっと颯太にしがみついた。
「ほんとだよね。長かったよね。ごめんね」
颯太は短く返した。
「許さない」
「……ごめん……」
「許さない!」
颯太の体は震えていた。
颯太くん……。
「颯太くん……」
エレナが僅かに身をよじると、颯太は顔を上げてぎこちなく笑った。
「頭では分かってたんだ。
エレナが夢を追うってことは、こういうことだって。
いつ会えるか分からない、いつ結婚できるかも分からない。離れているうちにエレナの愛が冷めて、俺はそれを日本で、気付く事なく待ち続けるのかと。
狂いそうな程愛してるのに、すぐ抱き締められない距離と、自分が年下だって事実。正直、キツかった。でも、俺……」
颯太はギュッと眉を寄せたままエレナを見た。
「俺はエレナじゃないと嫌なんだ。エレナと恋がしたい。エレナと愛し合いたい。……許さないなんて嘘だ。
自分の苦しかった気持ちを思い出して意地悪を言ってしまって、ごめん」
颯太は苦笑いを浮かべた。
「ごめん、エレナ」
颯太は真顔でエレナを見た。
「誰よりもエレナを愛してるけど、俺が年下なのはこれからも変えられない」
エレナは涙が出そうになるのをこらえながら言った。
「私ね、もう大丈夫だよ。ちゃんと傷を治したよ。年下だって構わないって今ならはっきり言える。年下でも年上でもいいの、颯太くんなら」
颯太はエレナを抱く腕に力を込めた。
至近距離からエレナを見つめて囁くように言う。
「……よかった!本当は、その傷だって俺が治してあげたかったんだけど」
エレナは首を振った。
「自分でも気付いてたの。この心の傷は自分じゃないと治せないって。だから、謝らないで」
颯太は複雑な表情をした。
エレナは、颯太にそんな顔させたくなくて笑顔で彼に尋ねた。
「颯太くん、二年前、俺にも夢があるって言てたよね?……あなたの夢はどうなった?」
颯太は白い歯を見せて笑った。
「俺の夢は……もうすぐ叶いそう。……あと、10分程で叶ったかどうか分かるかも」
エレナは、驚いて颯太を見つめた。
「は?」
颯太は精悍な頬を傾けて、僅かに眼を細めた。
「言っただろ、俺」
エレナはたじろいだ。
……どうしよう、いつ言われた言葉だろう。
「俺が言った言葉、忘れた?」
「……」
エレナの焦った顔を見て、颯太はクスリと笑った。
「いや、もう叶ってるかも。もう、そう思わせたかも」
そんな颯太の言葉に、エレナは眼を見張った。
……もしかして……颯太くんの夢って、仕事の……お酒のことじゃなくて……。
暫くエレナは考えて、やがて思い出した。
雑居ビルで初めて出会って、それから六年後に再会したあの夜。
そうだ。
そうだ、確かにこう言われた。
『あなたを絶対、惚れさせる。絶対僕に抱かれたいって思わせます』
『掃除も洗濯も料理も、僕のためにしたいって思わせます。子供だって欲しいって、思わせます。僕の全てが欲しいと』
颯太、くん……。
エレナはフフフと笑った。
……伝えたかった今の想いが、颯太くんの夢だったなんて。
それからゆっくりと颯太から身を離して、エレナは数歩下がった。
「エレナ?」
颯太が僅かに顔を傾けた。
エレナの瞳が濡れて光り、涙がポロポロとこぼれて頬と服に伝う。
「エレナ、思い出さなくてもいい。けど、今から俺の言う事、聞いてくれる?」
「待って」
颯太の整った顔を真正面から捉え、エレナは一生懸命喉を押し開いて声を出した。
言わなきゃ。
どうしても、私が言わなきゃ。
「颯太くん、私、ずっと前から颯太くんが好きなの。何年も経ってしまったけど、まだ、颯太くんが好き」
颯太は、唇を引き結んでエレナを見つめた。
どんな撮影よりも、エレナは今が一番緊張した。
言わなきゃ、私が。
エレナはしっかりとした声で颯太に告げた。
「颯太くん、私、颯太くんとずっと一緒にいたい。
掃除だって料理だって洗濯だって、颯太くんのために、したい。
いつか、颯太くんの子供だって産みたい」
緊張のあまり声が震えるエレナを見つめて、颯太は僅かに眼を細めた。
「颯太くん……私と、結婚してください」
颯太の瞳が、柔らかな光を帯びた。
「なんだよ……俺が言いたかったのに」
そう言いながら泣き笑いの表情で、颯太はエレナを見つめた。
愛しいエレナ。
「エレナ。結婚しよう」
颯太は、再びエレナを引き寄せて胸に抱くと、ギュッと抱き締めてから身を起こした。
「もう、離さないからな。絶対はなさないから」
「うん、うん、颯太くん」
「知ってた?あの雑居ビルで初めて会った時から、もう十年が経つって」
「……うん、知ってた」
「これから、よろしくな」
「私の方こそよろしくね、颯太くん」
互いの笑顔が嬉しくて、二人は長く見つめ合っていた。
~Still~
end




