手厳しい女
「どこかに行く途中だったの?」
走り出した車の中で、エレナは颯太に尋ねた。
「木佐さんから電話があったんです。さっきまでエレナさんと飲んでたって。で、宿泊先がミッドタウン方向のホテルだときいて、もしかしたらと思ってRホテルに勤務している友人に電話してみたら、あなたが泊まってるって特別に教えてくれたんです。だからホテルに向かってる途中でした」
エレナは、いまだにドキドキとうるさい心臓に手を置いて颯太の話を聞いていた。
「そ、そうなんだ……」
「時間、大丈夫ですか?僕の家に向かってますけど」
「時間は大丈夫だけど……」
颯太はホッとしたように肩で息をついた。
「よかった!あ、お腹は減ってますか?」
運転の合間にこちらを向く颯太の視線に、エレナはドキッとしながら答えた。
「食べたよ。颯太くんは?」
「僕はまだですけど、家に食べるものがあります」
エレナは頷いた。
「コンシェルジュもいるもんね」
確か、颯太の住んでいた高級マンションはコンシェルジュが24時間常駐していて、食べ物も頼めたはずだ。
颯太は僅かに首を振った。
「あのマンションは、もう引っ越しました」
「そうなんだ……」
「僕があのコンシェルジュ付きのマンションに引っ越したのは、あなたに『ちゃんとしてる』のを見て欲しかっただけなんです。引っ越して後悔はしていません。僕には勿体ない物件でしたし」
エレナはその言葉に胸を突かれて俯いた。
あの時のやり取りが甦る。
『じゃあ……ちゃんとしたら付き合ってくれるのかよ』
『そうね。いつかあなたと私が再会した時、あなたがちゃんとしてたらね。しっかりと働いてて真面目で、私がそんなあなたに恋したら、付き合ってあげる。結婚だってしてあげるわよ』
エレナは、運転席の颯太を見つめた。
「もしかして、あの時の会話のせい?」
颯太はフッと笑った。
「はい。あ、言っておきますが、無理して住んでた訳じゃないですよ。一度、住んでみたかったですし。それに僕がちゃんとしてたら、ビッグなご褒美が貰えますから。もう着きます」
颯太は、立派なレンガ造りのマンションの地下へと車のハンドルを切った。
エレナは、胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。
颯太が、あんな子供じみた口約束のために頑張ってきたのかと思うと、ただただ申し訳ない思いと想像を越える自分への愛情を感じた。
うつ向いた瞳から、涙が止めどなく溢れる。
颯太が助手席のドアを開けた。
◇◇◇◇◇
現在の颯太のマンションは、コンシェルジュはいないものの立派な建物で部屋の中も広かった。
いまだに涙をこぼすエレナを見て、颯太が優しく両手を広げた。
「おいで、エレナさん」
「颯太くんっ」
エレナは颯太の腕の中に飛び込んだ。
颯太の厚い胸に抱かれて眼を閉じた時、エレナの頬を大きな手が包んだ。
視線が甘く絡んだのはほんの一瞬だけで、代わりに唇が触れ合った。
颯太は少し顔を離してエレナの瞳をじっと見つめると、今度は激しく彼女に口づけた。
「っ……!」
エレナ、エレナ。
やがて激しかった口付けが、甘く誘うような、色香に包まれたようなキスに変わり、エレナは吐息を漏らした。
その声を聞くと同時に、颯太はエレナをさらうように抱き上げた。
体が急に浮き、眼を見開いたエレナを颯太が無言で見つめた。
それから、呟くような、囁くような低い声で、エレナに問う。
「……もっと、感じたいですか、僕を」
エレナは、颯太の男らしい首に投げ出すようにして両腕を絡めた。
「うん、感じたい、颯太くんを」
「エレナ……」
颯太は寝室に向かい、ベッドにエレナを優しく降ろした。
横たわったエレナをまたいだまま、彼女の瞳を見つめて手早くスーツの上着を脱ぐと、シャツのボタンに手をかけた。
長い指が次々とそれを外し、やがてシャツが脱ぎ捨てられ、颯太の上半身があらわになるとエレナは眼を見張った。
男らしく鍛えられた颯太の体を前に、胸が高鳴り耳元までそれが響く。
「感じさせてやる、俺を。狂うくらいに」
颯太がエレナの首筋に顔を埋めた。
甘やかで熱い颯太の息遣いに、心臓が煩いくらい騒ぐ。
「…颯太くんっ……」
エレナの体に颯太の指が触れた。
その指先は甘く優しく、時に男らしく野性的に動き、エレナは無我夢中で颯太の胸に顔を寄せた。
「エレナ」
吐息のような声で、颯太がエレナの名を呼んだ。
「……ん」
切なげなエレナの声に、颯太が艶やかな眼差しを向けた。
「俺のエレナ」
「……っ……!!」
互いの息遣いと密着した身体が熱くて、ふたりは夢中になった。
やがて抱き合ったまま身を起こすと、至近距離で見つめ合い、微笑み合った。
「……なに?」
「可愛い」
「ばかっ」
颯太はエレナを抱き締めて身体を揺らした。
「……っ!!」
「生意気言うと、このままメチャクチャにする」
颯太の艶かしい眼差しと、低い声がエレナの頬を染めた。
「颯太くんっ」
「エレナ……」
愛しくて狂おしくて、二人は眉を寄せて息を乱した。
幸せという名の果実を共に味わい、二人は強く手を握り合った。
◇◇◇◇
「会いたかったですか?僕に」
颯太はエレナと手を繋いだまま、ベッドから天井を見つめた。
「……うん」
消え入りそうな声で返事をしたエレナを、颯太が身を起こして覗き込む。
「ん?」
悪戯っぽく光る瞳。
……聞こえてたクセに。
エレナは颯太をちょっと睨んだ。
けれど、ちゃんと言いたい。
「会いたかったよ」
エレナは、真っ直ぐ颯太を見て言った。
途端に、今度は颯太が視線を落ち着きなくさ迷わせ、やがて照れたように咳払いをした。
「すげー、嬉しいです」
颯太はエレナの体に腕を回すと、彼女の肩に顔を埋めた。
エレナは少しだけ笑いながら颯太に言った。
「……馬鹿丁寧な喋り方、やめるんじゃなかった?」
フフッと颯太が笑った。
エレナの肩に息がかかる。
颯太はベッドに肘をつくと、ゆっくりと上半身を起こしてエレナを見下ろした。
男らしい眉の下の、綺麗な眼。
「言うのが遅くなったけど、映画出演ならびに、シェリル・シーマとの共演、おめでとう」
「……ありがと」
「けどすみません、まだ見てないんです」
「日本は、今日からだから。……というか颯太くんにはあまり見てほしくないかも」
「なぜですか?」
まさか、皇帝ネロとのベッドシーンが過激だとは言えない。
「…………」
「…………」
気まずそうにこちらを見るエレナに、颯太は笑った。
「なんですか?」
エレナは首を横に振った。
……言わないでおこう。見たら分かるし。
颯太は、そんなエレナを見つめて、
「教えてくれない罰です」
言うや否や、素早く彼女の唇にキスをした。
「……っ……」
フワリと触れるような口付けが少しずつ変わっていくと、エレナは颯太の背中に手を回した。
何度も何度も角度を変え、唇を離しては互いに見つめ合う。
「僕の事……まだ好きですか?」
エレナは答えなかった。
答えられなかったのだ。
あの日、颯太のマンションを出る時の、自分の放った言葉が甦る。
『私はね、男になんか期待しないの。自分にしか期待しないの!!』
『あなたの事なんて、好きでもなんでもなかった』
……身体を重ねたなんて、卑怯だ。
抱きあってキスをするのだって卑怯だ。
会って見つめ合うのですら、卑怯だ。
その上、『愛してる』なんて言う資格など、自分にはないのだ。
なのに、颯太を目の前にして、自分を止めることが出来なかった。
ああ!なんて私は卑怯なんだろう!!
エレナは苦しげに颯太から眼をそらした。
「……ごめん……」
「謝らないでください」
すぐに優しい颯太の声がして、エレナは思わず顔を上げた。
「あなたの夢はまだ途中です。シェリル・シーマとの共演は果たしましたが、ドラマのメインキャストになる夢がまだ残ってる」
颯太の顔は穏やかで、その瞳は優しかった。
「それに……」
それに?
「それに、なに?」
エレナは、小さな声で彼に問いかけた。
颯太は真顔でエレナを見つめたが、小さく息をつくと再び微笑んだ。
「これについてはいずれ分かりますから、今はやっぱり言わないでおきます」
なんの事……?いずれ分かるの?
エレナは聞きたい気持ちを抑えた。
颯太くんは、自分の気持ちよりも私の夢を優先してくれるんだ。
だから、もうこれ以上は踏み込めない、望めない。
私の身勝手な夢に、付き合わせたくない。
彼を待たせたくはない。
「颯太くん、ひとつ言っとくけど」
颯太はエレナを見つめた。
「なんですか?」
エレナはゆっくりと身を起こして颯太から離れた。
ああ、私はどこまで嫌な女なんだろう。
けど、言わねばならないのだ、ほかでもない、この言い方で。
エレナはクッと顔を上げると、両腕を曲げて組んだ。
「待たないでね、私を。
私は夢を叶えるまでは、誰とも結婚したくないし、子供だってもちろん要らない。
あなたには、あなたの未来がある。あなたの人生を大切にしてね」
颯太は、凛とした眼差しのエレナを、ジッと見つめた。
やがて切れ長の眼を伏せ、口元を引き上げると、颯太は綺麗に笑った。
「ご心配なく。あなたに夢があるように、僕にだって夢がありますから」
エレナは息を飲んだ。
颯太くんの夢……。
そうだ、夢があるのは何も自分だけじゃない。
私に捨てることが出来ない夢があるように、颯太くんにだって、叶えたい夢があって当然だ。
エレナは、精一杯の笑顔を颯太に送った。
「応援してるから。だって、颯太くんのお酒、凄く美味しいもの」
「エレナ」
一瞬、ギュッと眉を寄せ、颯太はエレナを引き寄せた。
「いつもいつも、祈ってます、あなたの事を」
震える声でエレナは答えた。
「私も。私も、祈ってる」
「もう一度だけ……」
颯太は掠れた声でそう言うと、再びエレナにキスをした。
サヨナラのキスだと、エレナは分かった。
◇◇◇◇
一週間後の週末、 木佐隆也と優姫の結婚式に颯太は出席した。
披露宴でスクリーンいっぱいのエレナを見た時、颯太は息をのみ、グラスを傾ける手が止まった。
新郎新婦に極上の笑顔で祝いの言葉を口にしているエレナが眩しく、愛しく、颯太の胸は切なく軋んだ。
司会者が、エレナがハリウッド女優だと告げると皆が感嘆の言葉を漏らした。
「アグリッピナに出てた、エレナ・リーダスよね!?」
「ポッパエア、凄く嫌な女だったけど、この人、めちゃくちゃ可愛らしくて素敵じゃない!いーなあ木佐君、こんな素敵な女優さんと友達だなんて」
エレナを誉める色んな言葉に、颯太は照れ臭いような喜びを感じた。
「随分ストイックというか……手厳しい女だな、エレナさんは」
隣の席の響が、ボソッと呟くように言った。
颯太は、響の『手厳しい』という言葉に苦笑した。
そんな颯太を見ながら響はグラスを傾け、眉を寄せた。
「手厳しい以外の言葉が見つからねぇ。だって、そうだろ?!
彼女はきっと、お前が好きで仕方ないはずだ。なのに、身を切る思いでお前の前から去り、見事にポッパエア役を勝ち取った。その後再会しつつも、まだ続きのある夢のために泣く泣くお前と別れた。
意思が強くて、自分を曲げないんだ。男からすると、手厳しい女以外の何者でもない」
颯太はクスリとわらった。
「……響、お前の言う通りだ。彼女は手厳しい」
響は、どうする事も出来ない思いを抱えた、切ない眼差しの颯太を、チラリと見た。
「お前ってやつは……」
「俺、バカかな?響……」
颯太は、頼りなげに親友に眼をやった。
「バカなわけない。
……お前は凄いんだよ。器がでかいんだ。だから彼女に夢を選ばせた」
颯太はギュッと眼を閉じた。
「お前の言葉が、何より嬉しい」
「……颯太、俺はお前の親友だから言うけど……この状況が辛いなら、無理すんなよ。そんなの、エレナさんだって喜ばないからな」
「……わかってる」
颯太はそこで言葉を切り、幸せそうな新郎新婦を見つめた。
「でも俺……」
颯太は言葉を途切れさせ、唇を引き結んだ。
「…………」
響はそんな颯太を見ず、呟くように言った。
「わかってるよ、颯太」




