2 古都奈良で
勇者を見つけると、俺は隠れようとした。相手をするのが面倒だったのだ。
だが、間に合わなかった。
クラスメートの背後に飛び込もうとした俺の襟首が、勇者の分厚い指に挟まれた。
現代っ子の身軽な俺は、勇者に軽々と持ち上げられてしまった。
「罪は償ったのか?」
俺が聞くと、勇者をはがははと笑う。
「我には、王の免状があるのだ。それを見せれば、我を捉えることなど出来ない相談だとわかろうというものだ」
「そんなに便利なものがあるなら、どうして使わない」
この日までに、勇者には何度も迷惑をかけられていた。何でも許されるなら、俺が下げたくもない頭を下げる必要などなかったのだ。
「王の免状だと言ったであろう。かの国は、法治国家でな。王ですら、法に裁かれる。かの国で罪となることに関しては、効果がないのよ」
勇者がいたのは、いわばファンタジーの世界だ。新幹線の屋根の上に張り付いて落下したことが、それがどれほど迷惑であっても、罪にはならないのだろう。
俺は、勇者が復活した翌日のことを思い出した。
「例えば……無銭飲食か?」
「まあな」
俺は警察に呼び出されたのだ。
「他に、どんなことが罪になる?」
「人を殺しては駄目だな」
「そりゃそうだろう。他には?」
「知らん」
勇者は悪びれることなく言った。
俺は奈良に向かう電車に乗りながら追求する。しっかりと勇者も乗り込んだが、修学旅行に参加することは認められているので、無賃乗車ではない。
「自分の国の法だろう。どうして知らないんだ」
「誤解しているようだが、王の免状は、国王から特別に授けられたものだが、我は勇者、一国に縛られるわけにはいかぬ。行く先々の法を調べて歩く趣味はない。憲兵が集まれば、免状を見せる。そこで通じなければ初めて、罪を犯したと認めるのよ」
「なら、ああいうのは?」
俺は、電車の中で年寄りの前で寝たふりをしているサラリーマンを指差した。
「あれがどうした?」
「お年寄りに、席も譲らない。ああいうのを、びしっと注意してみせるのが勇者だろう」
「当然よ。見ておれ」
勇者は言いながら、揺れる電車内を大股で歩き、吊り革に捕まっていた年寄りを突き飛ばした。
「貴様、所属は?」
サラリーマンは目覚め、倒れた年寄りを助け起こした。
「貴様、勇者を無視するとは無礼であろう」
「待った、待った」
年寄りを助け起こしたサラリーマンに、勇者は食ってかかった。俺が間に入る。
「おじいさん、大丈夫ですか? その男に突き飛ばされたんだ。警察を呼んでくれ」
サラリーマンは叫ぶと、転倒した老人を庇うように覆い被さった。
「貴様! まだ言うか!」
勇者がサラリーマンの胸ぐらを掴み上げようとした。俺はその腕に飛びついた。
「勇者、暴行は罪か?」
「それはまあ、大抵の国で罪になる」
「免状は使えないぞ」
「あっ……うむ。おい、お前、お年寄りには席を譲れ」
サラリーマンに殴りかかる勢いだった勇者が、ぐったりしたままの老人を座席に座らせる。
「おい。この人、不味くないか?」
言ったのは、どうやら本気で眠っていたところを、勇者に叩き起こされたサラリーマンだ。
勇者に突き飛ばされてから、確かに喋っていない。
俺が見る限り、かなり顔色が悪い。
「おじいさん、大丈夫ですか?」
俺は老人の肩を叩こうとした。その俺の手が、いかつく分厚い手に掴まれる。
「なんだよ」
「暴行はいかん」
勇者だ。俺の言葉尻を捕まえたつもりなのだろうか。
「人命救助は罪じゃない。この世界ではな!」
「なんと! 早く言わんか!」
勇者はガハハと笑うと、青い顔をして、どう見ても具合が悪そうな老人の前にどっかと座った。
被っていた兜を脱ぎ、床に置いた。
「おい、勇者、何をするつもりだ!」
「知れたこと。人命救助じゃわい」
勇者は言うと、長いないだ被りっぱなしで、フケと頭皮の脂、汗がこってりとついた兜の中に、懐から出した得体の知れない黒焼き、何処にでも生えていそうな草、カビの生えた果物を入れ、太い指で混ぜ始めた。
「おい、そんなもの、何にするつもりだ」
「なんだ、万能の霊薬エアレンヴィルを知らんのか。勇者復活の儀式より、よほど簡単だぞ」
勇者は言うと、自分の耳を指差した。
今は、俺の耳には栓がしてある。
異世界の情報を自由に聞けるわけではないため、意味はないと思いながらも、俺は耳栓を抜いた。
しかも、移動している電車の中である。異世界側での位置も、同じ速度で動いているはずだ。
だから、聞きたい情報が都合よく聞けることは決してない。
そのはずだった。
『グヘェ! なんじゃこりゃあ。エアレンヴィルかあ?』
『あんなインチキ霊薬と一緒にするな』
時間にして、数秒のことだろう。
そんな会話が、突然俺の耳に飛び込んできた。
勇者は、捏ねた物体を老人の口元に運んでいた。
「あっ……」
間に合わなかった。
「グヘェツツツツツツッ!」
「勇者! じいさんを殺す気か?」
「笑止! 人命救助だと言ったであろう!」
勇者は断言する。その勇者の顔に、老人の胃の内容物が襲いかかる。
「わしを殺す気かあ!」
「我を殺す気かあ!」
勇者と老人が同時に怒鳴った。
「あっ……おじいさん、元気そうだな」
サラリーマンが言った。実際、まだ自分の喉の奥に指を突っ込んでいるが、血色は良さそうだ。
※
電車が奈良駅に着いた。
老人とサラリーマンにののしられながらも、どうにか警察を呼ばれることなく乗り切ったのだ。
「向こうの異世界で、エアレンヴィルを『いんちき霊薬』だと言っていた奴がいたぞ」
改札を出て同級生の列に並びながら、俺は勇者に突っ込みを入れた。
「作って直ぐでなければ、効果が失われる。必要な成分に、勇者の肉体の一部が必要だ。そんなもの、本物を飲んだ者は限られている」
「不味いのは不味いのか?」
俺が言うと、勇者は真顔で答えた。
「霊薬に味を求める方が間違っていよう。それより、赤子のほうはどうなった? 何が起きたか、わかったのか?」
俺は、勇者が何を言っているのか理解するのにしばらく時間を要した。
新幹線の車内でのことだ。
俺が、左耳から鳴き声が聞こえると言ったことから、勇者が新幹線の上によじ登ったのだ。
俺は勇者を追い払った後、楽しくクラスメートとカードゲームに興じた。
その間のことは聞いていない。
「ああ。俺は赤ん坊の泣き声なんか聞いていない」
「なにっ! 貴様、我を謀ったのか?」
「俺は、鳴き声が聞こえると言ったんだ。赤ん坊には聞こえなかった。どちらかというと、恐竜みたいな……」
勇者は俺をじっと見つめる。奈良の街中で、公園から逃げ出したシカが、勇者の手を舐めていた。
さっきの薬草が臭っているのかも知れない。
「恐竜とは、なんだ?」
勇者は、単に理解できていないだけだった。
クラスメートと歩きながら、俺は恐竜を説明した。
恐竜の説明を受けた後、勇者は言った。
「……王国の近くに、足つきアナコンダの群生地がある。あの強烈な長馬車は、その間を通過したのだ」
「異世界のことだろう。それが問題か?」
「東京から京都まで、ずっと聞こえていたのだな?」
「ああ。東京というより、新横浜の手前からだが」
正確には、ずっとではない。途中で耳栓をしていた。だが、京都駅でも聞こえていたのだな。
「……新横浜なら、すぐ隣だな」
「すぐ隣というほど、近くはないが」
「そうか? 東京から15分ほどだ。いくら新幹線が速いと言っても、2里はあるまい」
勇者の1里が何キロかわからない。
俺たちは奈良公園に入り、勇者はシカに囲まれた。
「まだ距離があることはわかった。さっき、電車の中で声が聞こえたのだろう。どの位置だ? 足つきアナコンダには、管理棟と監視の巫女がいる。正確な場所が知りたい」
「何かができるわけじゃないだろう」
奈良公園のシカは天然記念物だ。免状を出した王国では、希少生物を保護する法があるらしく、勇者の免状が効果を持たない可能性がある。
勇者はシカに懐かれ、時には体当たりをされながら耐えていた。
俺は仕方なく、同級生たちから離れた奈良公園のベンチで、地図を取り出した。
勇者に請われて、常に持ち歩いているのだ。
「俺が勇者を復活させたのはここだ。鳴き声が聞こえたのはここからここの区間で、ここでエアレンヴィルのことを不味いという声がした」
「勇者の肉体の一部がなくては、霊薬は効果を持たない。足つきアナコンダの巣にいる人間は監視の役人と巫女だけだが……霊薬を使わなくてはならないような事態が起きているのだ。傷薬はあるはずだ。なら、霊薬に頼らざるを得ないなら……誰が死にかけているのだ」
勇者の言葉に、俺は首を振る。
「復活の儀式なんて……あんたの時はたまたまだ。何度も成功するものか」
「呪文を忘れたのか?」
「いや……覚えているけど、ほかにも条件がある。猫と四六時中だらけているとか、新月の夜とか……」
勇者は、力強く頷いた。
「新月なら今日である」
「何? 本当か」
「うむ。この世界は、毎夜月に尋ねなくても、月が一つである故に楽なのだ。新月……全ての月が消えるのは、本来15年に一度しかないというのに」
「ああ……そりゃ、条件が悪いな」
「うむ。かの世界では、猫は不吉な生き物とされ、怠惰に猫と戯れる奴などおらぬ。復活の魔法は、まさにこの世界でしか実現せぬのだ」
勇者はベンチの上で、シカに顔を舐められながら言った。
相手は天然記念物なので、勇者は相手にしないことに決めたらしい。
結果として、シカにいいように舐めまわされている。もちろん、物理的にである。
「復活の魔法は……場所が重要だろう。あんたの時はたまたまだったんだ」
俺が言うと、勇者は地図上を指差した。
「この一帯が、足つきアナコンダの群生地で、管理棟がここにあるはずだ」
新幹線が通過した場所と、霊薬を罵倒した声を聞いた場所を、勇者が指差す。
「死人が出たとすると……誰なんだ?」
俺も、勇者の話を全く無視するわけに行かず、理解する振りをした。
勇者は大きく頷く。
「霊薬を作っていた本人たちが、霊薬が必要だったとはかぎらぬ。足つきアナコンダの群生地で、霊薬を使ってでも生きながらえて貰わねばならぬというのは、巫女のみだ」
「足つきアナコンダの巫女か? あまり、重要そうな人には聞こえないが」
「無礼者。足つきアナコンダの巫女などおるものか。巫女殿は、極めて重要な地脈の集まる場所に住まうものだ。足つきアナコンダの群生地が広がったのよ」
「では、監視塔とは無関係なのか?」
「うむ。我が復活した位置がここなら……巫女殿の宮殿は、この位置のはずだ」
勇者が地図上の一点を指差した。
それは、俺たちが今日泊まる予定のホテルがある場所だった。




