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第八章 あたたかな夢











 二学期が始まって少し過ぎた。

 もう文化祭の季節だった。各クラスで出し物をするそうで、校内の雰囲気が浮ついていた。

 私も初めての文化祭に胸が高鳴っている。


 海は当たり前のように代表をさせられていて、馬車馬のように働かされている姿が愉快だった。海のクラスを覗きに行った時に、眉を下げて助けを求める海を外から笑って見ていると、マリアが通りかかった。


「マリア」


思わず呼び止めて、けれど、何か話したいことがあるわけでもなくて困ってしまう。そんな私をマリアは訝しげに見ている。

 数秒間、見つめあって、先に折れたのはマリアの方だった。


「ちょっと顔かして」


ガラの悪い言葉を使う癖に、マリアはいたって普通で、私の返事を聞く前に歩き出す。私はその背を追った。

 マリアが立ち止まったのは校舎の端の端の階段の踊り場だった。そこは入ってくる光が少なく薄暗い。文化祭準備の喧騒が遠かった。


「……別に海のことなんてもうどうでもいいわよ」


マリアはらしくなく、私の目を見ずに目線を下げていた。


「どうしたんだ?」


あれだけ熱烈に追い回していたのに、とは言えなかった。私が言っていい言葉ではないだろう。


「夏休み、あなたと海が一緒にいるところ見たわ。あなたのことばっか見て、世話を焼いて、他所から見たら微笑ましいのかもしれないけど、普段を知ってる私からしたら気持ち悪くて仕方ないの!」


マリアは力強く行った。そして、叫んだ。


「海なんてこっちから願い下げよ!」


マリアは怒りを燃やしていた。その中には悔しさも混ざっているようで、唇を噛み締めている。


 冷たい空気が流れる。


 何を言えばいいかわからなかった。

 口を開けずに黙っていると、我に帰ったマリアがバツの悪そうに口を尖らせる。


「そういうことだから、あんな目で見ないでよ」


「あんな目?」


「こっちを窺うような目!鬱陶しいの!」


自分がそんな風に見えているなんて思わなかった。

 海といる時はそれどころではなかったけれど、確かにマリアのことはよく見ていた。もっと話してみたくて、けれど、近づけなくて。

 どうしてだか、関わってはいけないような気がしていたのだ。その鎖が今解かれているような錯覚を受けた。


「何、笑ってんのよ!」


言われて顔に手をやる。口角が上がっていた。

 なんだか、とても胸が弾んでいる。言葉を返さずに笑っていると、マリアは眉を顰めて、私をジロジロと見始めた。


「あなた顔色悪いんじゃない?」


「ここが暗いからじゃないのか?」


近寄ってくるマリアに首を傾げる。

 特に体調が悪いような感じはしない。だというのに、マリアはとても心配そうな顔をしている。あまり好ましく思っていないだろう私にまでこうして心を砕いてくれるのだからマリアは本当に聖母のようだ。

 そんな他所ごとを考えていたからだろうか、マリアは溜息をついて、いつかのように手首を掴んで、歩き出す。


「どこに行くんだ?」


「保健室よ」


「本当に大丈夫なんだが……」


「それならそれでもいいわ。とりあえず行くの!」


無言でスタスタ歩くマリアの背中を見つめる。


 あの時はどうして後ろを歩いていたんだっけ。その理由もその時話したことも思い出せなかった。まあ、思い出せないということは大した話ではなかったのだろう。

 ああ、それよりもマリアに言いたかったことがあるのだった。


「なあ、マリア」


「病人は黙ってなさい」


マリアは振り返ることなくそう言った。

 私は病人ではないので黙らず、続ける。


「友達になりたいんだ」


「……はあ?」


マリアは立ち止まって私を見た。

 訝しそうな目に思わず笑う。そんなに不審がらなくても他意はない。


「ダメなのか?」


小首を傾げてみると、マリアは苦虫を噛み潰した顔で叫んだ。


「ダメに決まってんでしょ!嫌よ!絶対嫌!」


言い切ってマリアは息を整える。そして、私に指をさした。


「私はあなたが嫌いなの!」


それ以上話はしないといいたげに、マリアは歩き出した。

 私には友達なんていたことがないので、そんな反応でも嬉しくてついつい色々話しかけてしまった。


 気づくと保健室に着いていた。中に入ると、柔らかな香りが鼻をくすぐる。ここはとても温かな場所だった。

 マリアは入ってすぐ、保健室の先生に声をかけた。近づいてきた先生は私を見て慌てて、椅子に座らせた。先生まで体調不良だと思うほど、顔色が悪いらしい。マリアに借りた手鏡で見て、ようやく自分でも驚かれるのも仕方がないと納得した。

 けれど、本当に体調は悪くない。いたって元気だ。だというのに、私は早退させられた。


 そういうことが何度か続いた。

 きっと寒くなってきて、体が驚いているのだろう。

 私はファンデーションを購入して使い始めることでその指摘から逃れることができた。




 文化祭が始まった。

 当たり前のように海が隣に並ぶ。

 私はどうしてこんなに目立つ男と親しいのだろう。接点が全くわからない。けれど、海が私を見て笑うから、いつもどうでも良くなってしまう。

 海は恭しく私の手をとった。なんだか照れてしまって笑ってしまう。すると、ギュッと手を握られた。

 驚いて海を見ると海はとても不安そうな顔をしていた。


みこと手すごく冷たいよっ!」


熱を移すように、手を摩られる。けれど、一向に私の手は温まらない。

 夏休みが明けてから手が冷えることが多くなっていた。


「冷え性なんだ。気にしなくていい」


安心させるように笑ってみるけれど、海は泣きそうな顔のままだ。


「ダメだよ。すぐ病院いこう?最近ずっと顔色が悪かったでしょ」

 

「そんな大袈裟な。ただ手が冷たいだけだろ」


「…」


海は黙ってしまった。ただ何かを祈るように私の手を握りしめている。

 そんな海を可哀想に思ってしまった。

 私は溜息をついて、海の手を握り返す。


「わかった。今日は家に帰る。それでいいか?」


その言葉に海は安堵の息を漏らしている。

 体調は全く悪くないのに、早退させられるなんてこれで何度目だろう。過保護な人間が多いことだ。


みこと、心配だから俺の家に帰って」


海は縋るように私を見ている。全く仕方ない奴だ。軽く頷くと、海はようやく頬を緩めてくれた。


「あ、でも心配だから家まで送るね」


行こう、と海は歩き出す。

 クラスの仕事はいいのか、とか色々言いたいことはあったけれど、海が嬉しそうなので私はそのまま従った。






◆◆◆






 海の家で膝を抱えてソファに座る。

 海のそばにいると時々とてつもなく寂しい気持ちになる。何か大切なものを落としてきたような感覚に胸が寒かった。

 その感覚は海の家にいる時にも感じていて、今もそんな気持ちに苛まれている。私はそれを誤魔化すように、目をつぶった。

 すると、最近よく見る夢が頭に浮かぶ。森の中で海に似た人と過ごすどこか懐かしい夢。まるでお伽話のようなそこで私はただ穏やかに海を見ている。それだけ。

 その夢を見ると私はとても幸せな気持ちになった。何かが満たされるようなそんな感覚。起きてしまえばそれは薄くぼやけてしまうけれど、目を閉じれば脳裏に鮮やかな世界が蘇る。


 私は海が帰ってくるまで、そんな夢現の中で過ごした。




みことただいま」


海の声で幸せな夢から現実に引き戻される。

 振り返ると、走ったのか髪が乱れた海が笑って近寄ってくる。そして、ゆっくり手をとった。


「手、温くなったね。よかった」


嬉しそうな海に私も、良かったなと笑う。海は私の反応に口を尖らせて、他人事みたいに言わないでと頬を摘む。

 眉を下げて謝ると海はわざとらしく溜息をついた。


「じゃあ、みことの誕生日祝わせてくれたら許してあげる!」


冬生まれだったよね?と聞かれて不思議に思う。

 私は海と誕生日の話なんてしたことがあっただろうか。私が海の誕生日を知っているのは当たり前だけれど……。


 何故私が海の誕生日を知っていて当たり前なんだ?


 自分の思考が自分でわからない。

 もやもやしたものを感じながら海に返事をする。


「そうだよ。十一月一日だ」


「もうすぐだ!絶対お祝いさせてね」


今にも飛び跳ねそうな海に思わず苦笑する。そんなに喜ぶことでもないだろうに。


「ああ、楽しみにしてる」


私は満面の笑みを浮かべていた。心が泣きたくなるほど温かかった。

 海はそんな私に驚いたのか、目を見開いてこちらを凝視している。

 何かおかしな反応をしただろうか。見つめ返すと、海は少し寂しそうな顔をした。


「……うん。ちゃんと昔の分もお祝いするね」


昔というのはイマイチわからないけれど、頷くと海は一粒涙を流してとても綺麗に笑った。




 何かとても大切なものが壊れた気がした。











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