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第七章 待ち焦がれた世界











 海の誕生日は驚くほど穏やかに時間が過ぎた。

 何の事件も事故もない普通の一日。ずっと恐怖に苛まれていたのに、拍子抜けしてしまう。


 これは約束が履行されて呪いが解けたということでいいのだろうか。だとしたら、手放しで喜ぶべきなのだけれど、何か落ち着かない。

 まあ、今の私には安堵が勝っているので、深く考えることはしなかった。そんな私を海はどこか他人事のように、良かったねと笑う。ここまで自分に興味がないともう溜息も出なかった。

 呆れた私を気にせずに、海は口を開いた。


「ねえ、みこと!遊びに行こう!」


今日は終業式だった。

 学校の玄関で靴を履き替えていたら、そんなことを言われて眉を寄せる。周りの注目を集めていた。


「今まで出来なかったこといっぱいしよう?」


海がキラキラと笑う。目が焼けそうだ。

 こういうところ昔から変わらないな、と目を細めて、そこで首を傾げる。


──昔から……?


昔からとは一体何だっただろうか。海と知り合ったのは…。


みこと?」


名前を呼ばれて海を見る。そこで、あの頃のことを思い出す。


 血の気が引いた。

 体が震えて、耳鳴りがする。視界の端が白く染まり始めた。

 パニックになりそうだった私の腕を、温かな海の手が引く。海は端によって人から隠すように前に陣取った。そして、私の背中を優しく撫でる。


「大丈夫。大丈夫だよ」


海はあの頃から変わらない。変わらないと思えることに安堵して、強張っていた体から力が抜けた。


 顔を覗き込んでいる海は不安そうだった。慌てて私は笑顔を作る。考えることはやめると決めたのだから怖がってはいけない。


「平気だ。遊びに行くんだろう?」


言葉をかけると、海は目を瞬かせて、けれど、心配そうに大きく頷いた。


 何をしようか、と話しながら歩き始めて、けれど、視線を感じて振り返る。マリアがこちらを見ていた。目が据わっている。大丈夫だろうか。

 マリアは私と目があうとすぐに視線を逸らしてどこかへ行ってしまった。

 少し残念に思いながら歩き始める。隣の海が不思議そうにしているので、何でもないと緩く首を振った。




 今日から夏休みだ。

 海が生きていて、私のそばで幸せそうに笑っている。私は少し浮かれていた。

 見ないふりした恐怖だって確かにあるのだけれど、それでも、きっと海といられる時間は有限で、それを負の感情で塗り潰すのは勿体ない。

 約束が果たされたなら、次はないのだから今を生きなければ。

 今度こそ正しく海と約束をしたのだから。海と生きると。


 そうして、私たちは予定を詰め込んだ。今までの時間を埋めるように、執拗に。

 “私が覚えているうちに”とはお互いに言わなかった。けれど、異常なほど予定を埋めたのはそれが理由だ。

 あの頃の記憶が全て消えてしまう前に思い出が欲しかった。それは海も私も同じだ。




 定番の夏のイベントは全てやりつくした。私にとっては全てが見ているだけのものだったから、自身が体験するのが少し擽ったかった。


 花火大会の人混みは遠くから見ていた時以上に人が多く感じて、海と手を繋いだ。

 きっとそれがなければはぐれていただろう。なんて、言い訳しつつも、確かにそこにいるのだと信じられる熱が嬉しくて、こっそりニヤけてしまったことを海は気づいただろうか。あまりにも美しい花火を海と見ていることに胸が震えて涙したことも……知られていなければいい。

 少し恥ずかしいから。




 プールにも行った。本当はあの頃見たことがなかった海に行く予定だったのだけれど、海や川……溺れる可能性が高いところは、過去に見た海の水死体を幻視するので見送った。

 代わりにプールで涼をとる。

 いきなり上から降ってきた水に、ずぶ濡れになった海が驚いてあまりにも無垢な顔をするものだから、腹を抱えて笑った。こんなに笑ったのは生まれて初めてだった。

 後、海の半裸を見るのも初めてで、正直目のやり場に困った。頬を赤く染め目を泳がせる私を揶揄った海を私は絶対に許さない。けれど、慣れているお前とは違う、と主張すると今の自分は潔白だと拗ねた海をあやすのに時間がかかったことは少しおかしかった。




 後は……バーベキューなんかもした。

 二人でバーベキューなんてと思わないでもなかったけれど、気楽で案外楽しかった。室内でする焼肉とは違って開放感がある。

 私はバーベキューが思った以上に煙がすごいことに驚いた。肉が焼ける匂いもダイレクトに伝わって食欲を刺激する。その中でも、私は炭が燃える匂いが結構好きだった。目に染みると痛いけれど、焦げた苦い匂いはどこか山の中の土の匂いと似ていると思った。魔女の家を思い出して懐かしかった。

 匂いを堪能した私は海がなかなか離さないトングを無理矢理奪って肉や野菜を焼いた。けれど、どうにも私には料理の才がないようで、焼きすぎるか生焼けかで結構凹んだ。海はそれでも喜んでいたけれど、二度とトングは握らないと心に決めた。




 この時の私たちは年相応の子供のようだった。ただ過去も未来も何も見ず、今だけを純粋に楽しむ。

 海に出会ったばかりの頃はこれほど素直な気持ちで一緒にいられるとは思わなかった。

 甘美で幸福な時間というのは限りがあるから得られるものなのかもしれない。


 続かないとわかっているからこそ、この幸せが続くことを願わずにはいられなかった。












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