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第六章 手放せない願い











「家に来る?」


そう言ったのは海だった。


 海が死ぬ日はおそらく誕生日で間違いない。特に呪いが今回までだと仮定するならば、一度目の繰り返す前の生をなぞるだろう。それが約束の核の部分なのだから。


 海の誕生日さえ乗り越えてしまえば──。


 私は海にその日家から一歩も出ないでほしいと頼んだ。そうすれば、少なくとも事故や事件に巻き込まれる可能性は低い。

 後は私が周りをパトロールでもしていればどうにかなるのではないのだろうか。


 その話を聞いた海は、ならその日は自分の家で一緒に過ごしてほしいと言ったのだった。




 海は一人暮らしをしているようだった。

 物の少ない部屋は海の自分への興味のなさをわかりやすく表していた。

 それに比べて、食器だけはペアのものがあって、みことと使いたくて買ったんだと海は照れたように笑っている。そんな場合ではないのに嬉しく感じたのは恐怖で感情が麻痺しているからなのかもしれない。

 部屋に入り、ソファに座る。渡されたペアのコップに口をつけながら、私は困っていた。驚くほど緊張する。恐怖と相まって胃が痛くなりそうだった。


 もう何を話していいかわからない。昔は何を話していたんだったか。思い出そうと記憶を掘り返していると海はふっと笑った。


「懐かしいね。初めてお茶会をした日を思い出すよ。あの時もみことはそうやって難しい顔をしてたよね」


言われてぼんやりとその光景を頭に浮かべる。

 海は初めからニコニコと好意100%で笑っていたような気がする。


「さぞ胡散臭かっただろうな」


「あ、酷い!この話すると毎回そうやって言う!」


私の記憶は間違っていないらしい。まだ、これは消えていない。輪郭に触れることしかできないけれど。


「覚えのない好意を向けられたら誰だってそう思う」


「えぇー」


海は不服そうにしながらも楽しそうだ。


 こうして何気ない一時を思い出すのは初めてだ。一人でそんなことを考えたら思考が停止していいことなしだから、極力考えないようにしていた。

 だから、こうして海と思い出話ができるなんて現実味にかける世界だ。まるで夢のようで心が踊った。


「そういえば、お前が持ってきた変な菓子覚えてるか?」


「隣国のやつでしょ。面白かったよね、あれ」


「いや悪趣味だろ」


顔を歪めると海が吹き出した。

 あれは芋虫を模したチョコレートだった。それはいやに精巧な見た目で、悪い意味で食べるのを躊躇した。味は美味しかったのに、あんなものを作る意味がわからない。


「大人気だったんだけどな」


私の嫌そうな顔を見てクスクスと笑う海に溜息が漏れる。あの時もこうして笑われた。

 こんなありふれた日常のことは覚えているのに大事な記憶ばかりが抜けている。

 何か理由があるのだろうか。


「黙り込んでどうしたの?」


問われて反射で答える。


「いや、記憶が抜け……」


途中で口を噤む。この話はしたくない。

 けれど、海は少し首を傾げてからなんてことないように言う。


「……そっか。みことの代償は記憶だったんだね」


「な、んのはなしだ……?」


じっとりと汗が滲む。聞くのが怖いと思った。


「それも覚えてないの……?魔女の約束には代償がつきものだって言ってたよ」


記憶を代償に払った。


 そんな残酷な話があるというのか。

 だって、何度も巡る中で記憶は私のよすがだったのだ。海が私に笑いかけるその姿があるから、海の幸せを願えたし、死を見届けて次に向かうことができた。けれど、それは、思い出そうとしないから気づかなかっただけで、記憶が少しずつ抜け落ちていったということだろう?そして、代償だというのだから、きっと大切な記憶が優先的に。


 理解してゾッとした。


 これからも私の記憶は消え続ける。そして、これが摩耗ではなく、代償だというのなら、全て消えるまで消え続けるのだろうか。


 そんな話──。


みこと……」


呼ばれて海を見る。海はとても悲しそうな顔でこちらを見ていた。その表情にギュッと胸が締めつけられる。

 こんな風に心配なんてかけたくない。けれど、狂ってしまいそうなほど心がぐちゃぐちゃな中、縋れるのは海しかいない。


「……記憶を失くした私は私だと思うか?」


震える両手で海の腕を掴む。

 睨むように海を見上げると、海は静かな瞳で私を見ていた。その目に浮かぶ感情は読み取れない。


「何があったってみことみことだよ。本当にそう思う。けど、みことはそれじゃ納得できないんだよね」


そうだ。私はそんな言葉を信じることはできない。


 記憶を持たなかった海を思い出す。きっと本質は変わらないのだろう。けれど、あれが海なのかと言われたら…。私は素直に頷けない。


 どんな海でも海だと幸せを願っていたのに矛盾していると脳裏で私が囁いた。


「例えばね。今、みことの記憶が全て失われてとして、俺がみことを愛してるって気持ちは変わらないよ。同じようにみことが俺を大切に思ってくれてる気持ちもきっと変わらない。それがみことだっていう証明にはならない?」


 なるのだろうか。


 海は私の手を外し、ギュッと握った。そして、笑った。涙を溜めて。

 私は何も言えなくなってしまった。


「ほんと言うとね。みことが忘れちゃうの嫌だよ。一緒にいるって約束したのはあの時のみことだから。けど、俺はみことといたいから。だから、みことが苦しくっても俺のために生きて」


海の震えた言葉に私は思考を放棄した。


 海の願いならば叶えなければいけない。それに、私の恐怖は考えない方が幸せな類のものだ。

 一緒にいたいという願いは、私にも存在する。だから、答えなんて必要ない。


 泣くのを我慢している海の手を握り返す。

 初めから全て海の為だった。


 だから、もういい。記憶なんてどうでも。


「……何者になっても海と生きるよ」


その言葉に海は一筋涙を流した。











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