第五章 残酷にわけあう熱
海は七月二十日が誕生日らしい。
「お前秋生まれじゃないのか!?」
叫んだ私に海は苦笑している。けれどそれどころではない。
今までは毎回同じ誕生日だったじゃないか。
あれ?
そこまで考えて、それが事実かどうか確信が持てなくなった。前回は秋生まれだった。それは間違いない。海が死んだのは紅葉が綺麗に舞っている日だったから。
じゃあ、それより前は?
思い出そうと思考を巡らせる。
見たくもない海の死を必死に頭に浮かべようと、して……おかしい。
血に染まった雪景色を見た記憶がある。桜のそばの川に落ちたことも、夏の暑いアスファルトに横たわる姿も。
どうして忘れていたのだろう。自分の記憶が薄れてきている?そんな馬鹿な。
そこで暗闇が怖いことを忘れていたことを思い出す。海との出会いの記憶。大切な記憶がどんどんと抜け落ちていっている。
そもそも、海の初めの誕生日はいつだった?
その答えは私の中には存在しない。
ただ森が緑豊かだったような朧げな記憶が薄らとあるくらいで、後は全然思い出せなかった。きっと夏だろうと推察することはできても、記憶を元に言い切ることはできない。あの時、ちゃんと祝ったはずだし、私が海のことを忘れるなんてそんなことあるはずがないのに。
記憶の摩耗に今まで気づかなかったことも、これから忘れ続けるかもしれないことも、全てが体を震わせていた。気温が急に下がった気がして、手を握りしめる。
もはや私の頭を占めるのは絶望だけだった。
「どうしたの?」
海に顔を覗き込まれて、ハッとする。慌てていつも通りの顔を作った。
「なんでもな」
「嘘ついてもダメ。顔が真っ青だよ。どうしたの?」
「いや……言いたくない」
この事実は海に対する裏切りのような気がした。
それに、その事実を口にすれば本当に全て忘れてしまいそうで、どうしても言えなかった。
「……言ってもいいと思ったら教えてね。俺が助けになれるならなんだってするから」
安心させるように笑う海に罪悪感が湧き上がる。
死んでもいいと思うほど大切だった記憶たちを忘れていく私を海は赦すのだろうか。……きっと赦してしまうのだろう。
思い出せと責めてくれる方が嬉しいのに。同じようにあの頃に拘っているとわかったら、そうしたら私はもう少し頑張れるかもしれない。何を頑張れるのかなんてわからないけれど、それでも頑張れるのに、と。
そんな心を仕舞い込んで、私は小さく頷いた。しっかり肯定することはできなかった。
「約束ね!……それで俺の誕生日がどうかした?」
尋ねられて、ハッとする。自分のことを考えている場合ではなかった。
「初めにお前が死んだの、誕生日だったろう」
「うーん。そうだったかなぁ?」
海は興味なさげに首を傾げる海に呆れそうになる。私のことをあれだけ詳細に覚えているのなら、自分のことはもっと正確に覚えていそうなものなのに。
「そうだったんだよ」
「なんで知ってるの?だって命は、その……」
「ああ。お前より先に死んだ。私が死んだのはお前が死ぬ前の日のはずだ。殺しにきた奴らが明日はお前だと嗤っていたからな」
あの日のことは決して忘れない。あの屈辱、あの悔しさを。
他の記憶は長い時の中で虫食いになりつつあるのに、最期のあの怒りは今も鮮明に思い出せる。
魔女の私が殺されるのは百歩譲って納得しよう。国によく思われていないのは知っていたし、そもそも海に会うまで気味悪いと牢屋に入れられていたくらいだ。
けれど、海が殺されたのは納得できない。姦淫罪だのなんだのと、ありもしない理由を並べ立てて、邪魔だからと殺すなんて。
国は見張っていたから知っているはずだ。私との関係は単なる茶飲み友達程度のものでしかなくて、来る頻度こそ異常だったけれど、恋や愛などという甘い接触は皆無だった。
だからこそ、許せない。
そうならないように気をつけていたつもりだったのに。
「……命が殺されたのは俺の所為だったんだね」
聞き捨てならない言葉に海を凝視する。海は顔を歪めていた。
「俺、命といられる世界をどうしても作りたくて……失敗したんだね。ごめん、巻き込んだ」
頭を下げて謝る海に理解が追いつかない。
外界との接触を絶っていた私は、海がそんな無茶なことをしようとしていたことを知らなかった。
その事実や今の態度に呆れてしまう。私の為だと言い切ってしまえばいいのに。
馬鹿な奴だ。
私だって同じようなことを考えたことはある。私自身に世界を変えるような力はなかったから、無理だと捨て置いたけれど。
相談してくれれば良かったのにな。そうすれば止めることだって出来た。もしくは、殺されるのではなく一緒に死ぬことだって、あるいは出来たかもしれない。
そこで、ふと、そういえばあの約束は心中前提だったのではないかと頭に浮かんだ。
あの時の私は元から果たすつもりがなかったのだ。魔女との約束なんて碌でもないと知っていたから、決して効力をもたないようにと、心中という制約をつけた。
だって私にはあの言葉だけで十分だったんだ。
“何度生まれ変わっても君に会いに行く”
それはこの上ない愛の言葉だ。だから、それで満足だった。なのに、欲をかいて約束をしてしまった。
なんだ、自業自得じゃないか。呪いになったのは私が中途半端に約束したからだ。
あの時の私たちは圧倒的な対話不足だった。もっと話していたら違った道を選べたかもしれない。
もう今更遅いけれど。
「そうだな。お前の所為だ。けど、理由はそれじゃない。私に何も話さなかったことがお前の罪だよ」
言ってから少し八つ当たりも入っていることに気がついた。
けれど、構わずに続ける。
「そして、忘れたお前を見送り続けたのが私への罰だ」
私が間違った約束をした罰。
なら、これで呪いは解けただろうか。
海に記憶があって……、海が死なずに生きて幸せになったなら私の願いが届いたということだから。
「……そんな顔で笑わないでよ、命」
「そんな顔?」
手で顔を触ってみたけれどよくわからない。
眉を下げると海の手が恐々と伸びてくる。悔恨の色が混ざった瞳が苦しそうに歪んだ。
「自分を馬鹿にするような笑い方。命が悪いんじゃないよ。俺が一緒にいたいと願わなきゃ命は殺されることはなかった。俺が祈らなきゃ何度も繰り返すことなんてなかった」
口元に触れた手は震えている。けれど、海は瞳は変わらないのにいつものようにヘラリと笑った。
言い返そうとした私に海は首を振る。
「でもね、やっぱり会えたのが嬉しいんだ。この時の為ならあの時死んだのだって構わない。そう思うんだ。……ごめんね」
海の目から一粒涙が流れる。
なんと残酷なことを言うのだろう。けれど、それを理解できてしまう自分もいて、唇を噛む。
何も言い返せない。
「だから、命は悪くないんだ」
触れていた手が今度は髪を撫でて、そして躊躇うように引き寄せられる。
抱きしめると言うには控えめで、けれど、確かに熱を感じる距離で触れあっていた。
初めて同じ視点で世界を見ている気がした。




