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第二章 約束で摩耗したモノ











 次の日から、私は海と過ごすことを余儀なくされていた。お前がストーカーかと言いたくなるような様子に溜息が漏れる。クラスが違うことが救いだろうか。


 いきなり海に絡まれ出した私を周りは不審そうな顔で見ていた。幼馴染の彼女を放置していることがそれに拍車をかけているようだ。

 聞き耳を立てていると、海と彼女が付き合っていると思っていた人も一定数いるらしい。彼女に対して元々塩対応ではあったらしいが、照れていると周りは思っていたようだった。

 そんな海が何処の馬の骨とも知らぬ女に傾倒している。距離をとられるのも当然だった。



「で、どうしてここにいるんだ」


「こうやってみことと一緒にいるの夢だったんだ」


海は私の隣でニコニコと笑っている。

 今は体育祭の準備の時間だった。そして、私は自分のクラスの端の方で小道具を作っていた。


 この学校の体育祭は一学年に八組の三学年を縦割りで四つに分ける。そして、私と海は同じ団だった。それはいい。

 けれど、海は団長ではなかっただろうか。どう考えてもここにいてはいけないはずだ。

 案の定、幼馴染だという彼女が団長会議だと呼びに来た。海は彼女を見て顔を顰めている。すぐに王子様スマイルに戻ったけれど、周りには微妙な空気が流れていた。


「早く行ってこい」


追い払うように手を振る。

 そんな私を見て海は嬉しそうに笑う。


「うん。早く帰ってくるね!」


そんなこと一言も言ってない。

 海は彼女を放ってスタスタと歩き始めた。その姿に嘆息する。その雑な対応で、私がさらに遠巻きにされるとは思わないのだろうか。

 まあ、無視をされようが、何かを言われようが傷つくような歳ではないのだけれど。

 ただ、少しだけ精神が体に引きづられているのが煩わしい。何も感じない方が楽なのに。


 私は思考を追い出し、周りを遮断した。早く時間が過ぎてくれることを願って手を動かすこと尽力したのだった。






◆◆◆






 団長で多忙を極める海はそれでも私の所にかなりの頻度でやってきた。あの頃もこんな風に時間を捻出していたのだろう。けれど、私にはどうやってそんな時間を作っているのかわからない。

 私も海ほどとは言わないけれど忙しい。放課後まで作業をしていることなんかざらだ。

 最終学年はやはり担う作業が多いようだった。

 だというのに、海は私のところに来るのだから、閉口するしかない。けれど、私には拒否することはできなかった。海の嬉しくて堪らないという顔が私の行動を鈍らせる。

 私は私のことが好きだと全身で表すかのような海に胸が疼いていた。あまり馴染みのない感覚に少し震える。

 それがよくないもののような気がして、打ち消そうと海に問うた。


「どうしてそんなに来るんだ?」


言外に忙しいだろうと言うと、海は不思議そうに目を瞬かせている。


「わかってないなあ。みことだけでいいんだよ」


あまりにも真っ直ぐで澄んだ目で見つめられてたじろいだ。

 その言葉がただの事実だと伝えるような海に、私はそれ以上聞けなかった。

 それ以上踏み込むことが怖かった。今までと今を比べてしまいそうになるから。そんなことをして大きく何かを変えてしまいたくはなかった。




 藪を突いてしまったことを悔いながらも、私は日々準備を続けていた。

 時間が経てば聞かなかったことに出来ないだろうか。そんなことを思っていたから、罰が当たったのかもしれない。

 下校時間だからと体育倉庫にコーンなどをしまいに来た時に閉じ込められてしまった。

 どうやら先生が私に気づかず、閉めてしまったようだ。


 体育倉庫には窓がなく中は暗い。


 私は扉を叩いて声を出す。まだ人はいるはずだ。

 けれど、残念ながら反応は返ってこない。周りに誰もいないとでも言うのだろうか。

 私はさらに扉を叩く。何故だか声が震えるので叫べず、代わりに何度も何度も叩いた。

 何度も何度も何度も執拗に、手が強い痛みを覚えるほど叩いていると、手も震えてきて叩けなくなってくる。

 いつの間にか私の息は浅くなっていた。慌てて深呼吸をしようとするけれど、どうすればいいかわからない。


 パニックになっていた。


 次第に無視できないほど体がガタガタと震え出し、真っ暗だというのに視界が明滅し始めた。

 心臓がいやに早い。

 耐え難い状況に小さくなって自分を抱きしめる。


 なんとか落ち着こうと荒い息で大丈夫と呟くも、恐怖で埋め尽くされた頭では意味をなさない。

 理由のわからぬ恐怖に過呼吸になりそうになった時に、ガラリと扉が開いた。


 そこにいたのは海だった。


 海は私を見つけた途端、抱き上げて明るい場所まで連れ出してくれた。

 私の体は変わらずに震えていたけれど、海の体温に少しずつ落ち着いてくる。

 そこで涙が溢れ始めた。こんなことで泣くなんてと思うけれど、人間恐怖には勝てないらしい。全くもって止まりそうにない。

 困った結果、私は海に抱きつき、顔を隠した。それを誤魔化すように口を開く。


「どうしてここがわかったんだ」


みことに会いに行ったらいなかったから、作業してた辺りを探してたんだ」


見つけられてよかった、と海は私を優しく抱きしめて頭を撫でる。安心させようとしているのだろう。けれど、そのスマートな所作がなんとなく悔しい。


「なんでそんなに冷静なんだ」


恨みがましい声で言うと、海は呆れたような声を出す。納得がいかない。


「冷静な訳ないよ。今は無事でよかったって思ってるだけ。みことは暗い所ダメなんだから気をつけなきゃ」


 “暗い所がダメ”


 そう言われて内心首を傾げる。そんな事実はあっただろうか。私の記憶にはない。


 答えない私に海が困ったように続ける。


「初めて会った時、真っ暗な牢屋に入れられてたでしょ。それ、トラウマになったって言ってたよね?」


全く覚えがない。そんなことあっただろうか。いや、これほどまでに暗闇に怯えるのだから事実なのだろう。けれど、もしそれが正しいというのなら、私は海との記憶を忘れていることになる。


 しかも、出会いだなんて大切な記憶を。


「よく覚えてるな」


忘却という事実を誤魔化すように言うと海は不服そうな声を上げる。


「俺がみことのこと忘れるはずないでしょ」


その言葉に絶望が押し寄せてくる。これは一体何に対してのものだろう。

 忘れるはずのない海との記憶を忘れていたことだろうか。それとも忘れるはずないという海の嘘についてだろうか。


 ああ、今日は疲れた。もう何も考えたくない。何も感じたくない。


 現実なんて直視してもいいことがなくて、諦念と生きれば心は穏やかだ。

 だから、全て見なかったことにすればいい。


 そう思うと途端に眠気が湧いてくる。私はそれに身を任せて眠ってしまうことにした。


 海と関わるとよくないことばかり掘り返す、と頭の端で思った。






◆◆◆






 あんなことがありながらも、無事体育祭が開催されることになった。


 体育祭というものは必ず何かしらの種目に参加しなければいけない。私はその他大勢で済む競技でお茶を濁していたのだけれど、海は違う。


 海は周りから引っ張りだこで色々な種目に参加していた。

 いかにも人気者という風貌の海に苦い気持ちになる。


 あの頃もこんな風に遠くから海を見ていた。多くの人と笑いあう海が眩しくて──。後、ほんの少しの嫉妬。

 そんな風に思い出して、あの頃の消化し難い感情が胸に浮かんだ気がした。


 嫌だった。あまり思い出したくない感情だ。

 私は海が出ていない競技の間、海から逃げた。

 海の勇姿はもちろん見たけれど、それでも今は海を直視したくない。


 ざわつく胸に気がつかないふりをして、私はグラウンドを見る。次は借り物競走だった。もちろん海も出ている。

 こんな色物枠の競技にまで出なくても……と思うけれど海は真剣なようで、パンッというピストルの音と共に素早く走り出した。

 先頭を軽やかに走る海を眺める。


 海はいつだって先を行く。そして、私が来るまで待とうとする。柵が多い私たちだったから、共に並ぶことは一度たりともなかったけれど、それでも私を見ていてくれた。だからこそ、海が覚えていない日々が──。


 よくないことを考え始めた頭を冷やしたくて、水道まで移動しようと顔を上げる。

 すると、海が観客席をキョロキョロと見ているのが見えた。私は巻き込まれるのが嫌で、そっとこの場所から離れようとした──のだけれど、海としっかり目が合ってしまった。

 明らかに私に向かってきている海にその場を動けない。


 私は溜息をついて、海を待ってやることにした。

 正直、紙の中身がなんなのか恐怖でしかないのだけれど、嬉しそうな海が眩しくて目が眩んだ。だから、仕方がない。海に連れて行かれるのも仕方がないのだ。


みこと!」


案の定、海は私に声をかけて腕を引く。

 周りの視線が一気に集まるのを感じて居心地が悪かった。そこから逃れるように走り出す。


「中は何なんだ」


問えば、海はとても楽しそうに口元を緩める。けれど、答える気はないようだった。

 私はこの時どうにも嫌な予感がしていた。そして、往々にしてそれは当たるもので。


 ゴールテープを切った私たちは司会者に紙を渡し、お題を確認してもらう。


「おおっと、このお題は阿鼻叫喚が起こりそうですね。愛するモノというお題でした。さあ、それでは愛を叫んでいただきましょう」


そう言った司会者は海にマイクを渡した。

 私は耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。


「例え生まれ変わったとしてもみことが好きだよ!一生愛してる!」


言葉を聞いた観衆からはどよめきと囃し立てるような指笛が聞こえてくる。色んな意味で頭が痛くなりそうだ。

 自分の顔が歪むのがわかった。それを誤魔化すように俯く。


 “生まれ変わっても”も“好き”も“愛してる”も全部聞きたくない言葉だ。いつかは求めて願った言葉。けれど、今は苦い気持ちにしかなりやしない。

 心を誤魔化すためにとりあえず私は海の肩を殴っておいた。




 その後、海に手を引かれた私は人のいないところまで連れてこられた。移動中の幸せそうな姿に私は喉が詰まっていた。酸素が薄い気がする。

 立ち止まった海は輝かんばかりの笑顔で振り返った。私はどんな表情を浮かべていいかわからない。そんな私を見て海は顔を曇らせる。


みこと嬉しそうじゃないね」


嬉しそうじゃない…。確かにそうだろう。さっき聞いたのは手放しでは喜べなくなった言葉たちだ。


 だって、全てが嘘じゃないか。


 いや、海は本気でそう言っているのだろう。実際、魔女だった時も、今も、海の気持ちを疑おうとは思わない。けれど、それでも、事実嘘なんだ。


「……お前にとって今は何回目だ?」


「ん?二回目だよ!ようやく一緒にいられるね!あの頃できなかったこといっぱいしよう!……みこと?」


私は海を見ていられなくなって目を逸らした。


 幸せでたまらないと言いたそうな海が痛い。猛毒だ。


「……私にとって今は二回目じゃないんだ。何も覚えていないお前を何度も見送った。五十過ぎたあたりから数えるのをやめたから正確にはわからないが、私にとっては長い時間を経た今だ」


海は固まって私を凝視している。目を合わせると海は少し体を震わせた。


「……嘘だ。そんな、嘘だよ。ねえ、嘘でしょ?俺がそんなみことを忘れてたなんてそんなの」


海は一歩後ずさる。それに追い打ちをかけるように言葉を紡ぐ。


 破綻していることを明確にしなければ、いつか取り返しがつかないほど、壊れてしまうような気がした。


「残念ながら事実だ。お前は私を見もしなかったし、私はお前が他の奴と生きている姿を何度も見た。だから、どうって話じゃないが、お前と同じ温度ではいられない。……すまない」


海はただ呆然と立ち尽くしている。涙すら流さない。それほどショックを受けている海に愛の片鱗を見た気がした。

 そんな自分の感想が心底馬鹿らしい。愛なんてそんなものこの世のどこにも存在しないともう思い知っている。



 約束なんぞせずに結ばれぬまま死んだ方がよほど愛を信じられたのに。



 私は海をおいてその場を離れた。

 その後の海は魂が抜けたようだったけれど、きっといつか立ち直るだろう。いや、立ち直らなければいけない。

 ああなった海はどうせ他人の言葉なんて聞きやしないのだから。











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