第三章 再び、デジタルワンダーランドへ
◆ 再び、デジタルワンダーランドへ
喫茶店「樹」の扉を押し開けると、
いつもの甘いバターの香りが二人を包み込んだ。
午後の店内は落ち着いていて、
窓際の席には常連客がコーヒーを飲みながら本を読んでいる。
カウンターの奥では、シャロンがパンケーキの生地を混ぜていた。
「シャロンさん!」
リサの声に、シャロンは手を止めて振り向いた。
その表情は、二人のただならぬ様子を見てすぐに変わる。
「どうしたの、二人とも……?」
リサは息を整える間もなく、
渋谷の交差点で起きた出来事を一気に話した。
白ウサギの叫び。
帽子屋の悲鳴。
チェシャ猫の不安げな声。
そして、ワンダーランドが初期化されようとしていること。
シャロンは黙って聞いていた。
その瞳は、いつもの穏やかさの奥に強い決意を宿していく。
話し終えると、シャロンは静かに言った。
「……わかったわ。
リサちゃん、翔子ちゃん。あなたたちはワンダーランドへ行ってあげて」
「シャロンさんは……?」
「私は運営会社に掛け合う。
フルダイブ中に初期化なんて、危険すぎる。
絶対に止めさせる」
シャロンの声は低く、強かった。
普段は柔らかい彼女の、滅多に見せない“店長としての顔”だった。
リサは胸が熱くなる。
「シャロンさん……ありがとう」
シャロンは微笑んだ。
「大丈夫。あなたたちを危険な目に遭わせたりしない。
だから、行ってあげて。みんなが待ってる」
翔子は頷き、リサの手を握った。
「行こう、リサ」
◆ 運営会社の裏側
シャロンが店を飛び出す頃、
イベント会場の裏手にある運営会社のオフィスでは、
プログラマーたちがモニターに張り付いていた。
「初期化プロセスが止まらない……!」
「管理AIが指示を受け付けないんだ!」
「権限を全部AIに渡したのがまずかったんじゃ……」
散らかった机、空になったエナジードリンク、
モニターに走る赤い警告ログ。
そこへ、勢いよく扉が開いた。
「すみません、喫茶店『樹』のシャロンと申します!」
スタッフたちが驚いて振り向く。
「フルダイブ中の初期化は危険です!
今すぐ止めてください!」
プログラマーの一人が頭を抱えた。
「止めたいんですけど……AIが言うことを聞かないんです……!」
シャロンは迷わず言った。
「じゃあ、一緒に方法を探しましょう。
マニュアルでも仕様書でも、全部見せてください!」
その声は、誰よりも強かった。
◆ フルダイブの準備
一方、イベント会場の中央では、
丸いカプセル型の『デジタルフルダイブ Type β』が静かに光っていた。
リサはその前に立ち、深呼吸した。
「……また行くんだね」
「うん。でも、今度は二人で」
翔子はリサの肩に手を置いた。
「大丈夫。私がついてるから」
リサは微笑んだ。
「ありがとう、翔子」
二人はカプセルに入り、
柔らかなシートに身体を預けた。
天井のライトがゆっくりと暗くなり、
耳元で機械音声が囁く。
《フルダイブ準備完了。意識同期を開始します》
リサは目を閉じた。
胸の奥で、白ウサギたちの声が響く。
――助けて。
――消されちゃう。
――自分が自分でなくなるのさ。
「行くよ……みんなを助けに」
翔子の声が隣で聞こえた。
「うん。行こう」
光が二人を包み込む。
身体がふわりと浮き、
重力が消え、
世界が白く溶けていく。
そして――
二人は再び、デジタルワンダーランドへと降り立った。




