おやすみ
「クーシャー!?なんか!お庭に草スライム湧いてる!どうやって倒せ...ば...?」
カンタレラがドアを蹴飛ばす勢いでクーシャの部屋に乱入した。勢いよく開かれたドアは縦に積まれていた書物を薙ぎ倒し壁に激突する。
「お嬢様!今は、ダメです...!見ないでください...」
カンタレラの目に映る世界は一瞬だけ、すごく遅く見えた。開くドアも、舞う埃も全てが遅く。口は開いたまま、カンタレラは瞬きの仕方すらも思い出すのに苦しんだ。
「これは...その、少し前に!魔物との戦いで、できた...もの、で...!」
クーシャはベッドの毛布で背を隠そうと急いだがバラバラに散らかった床の本に足を取られる。慌てふためくクーシャを前にカンタレラは口を開いては閉じてを繰り返す。そして大きな深呼吸を一つ。
「もう、いいよ」
クーシャの背中には皮膚をえぐり取ったような傷跡がいくつも残っていた。紋様を深い傷で刻み込んだような様は、明らかに魔物によるものとは考えられない。カンタレラの声には悲しみと何か別のものが混じったようだった。
「ごめんね...クーシャ。今までずっと、辛い思いさせて」
ボロボロと大粒の涙をこぼすカンタレラは口を震わせながら一つ一つ話を続けた。
「絶対、あのツギハギのこと許さない。クーシャに...ゲホッ。こんなことするだなんて」
カンタレラの声は震えている。怒りか、はたまた恐怖か。
「全部あいつのせいだ。あいつさえ、あいつさえいなければ...ゲホッ。なんで、ゴホッ」
突然何度も咳を繰り返すカンタレラにクーシャはなんの躊躇いもなく駆け寄った。上半身下着のまま考える間も惜しみいち早く。
カンタレラのおでこに手を当てるといつもよりも少しばかり熱が出ているようにクーシャは感じた。
「熱、ですね。今日はもう部屋でゆっくりしてきましょう。あとは私がやっておきますから」
カンタレラの頭を軽く撫でクーシャはこの話から抜け出せたことを安心したかのように足早にカンタレラを寝かしつけようとする。
「待ってよ!まだ話終わってな...ゼヒッ」
「また明日にしましょう。とにかく今はお休みです」
うんわかった、カンタレラは一言だけポツリと返事をするとクーシャに手を引かれ歩き出した。
カンタレラの部屋に向かっていく。じわじわと手先から迫る嫌悪以外の感情に言い表せないものをクーシャは感じる。少し前にも感じたこの感覚、クーシャは吐き気を堪えるのに必死だった。
「クーシャ?なんか手震えてるけど、どうしたの?」
まっすぐ前しか見れなかったクーシャの意識外から聞こえるカンタレラの声に思わずクーシャは向き直った。
「いえ、なんでもありませんよ。お嬢...様」
いつもと変わらないトーンでカンタレラはクーシャに問いかけた。しかしカンタレラの顔には黒い斑点がいくつも浮かび上がっている。
"いつも"のカンタレラはそこに居なかった。いたのは呪いに蝕まれた哀れな少女1人だ。
「クーシャ?どうしたのそんな顔して。私の顔になんかついてるの?」
「いいえ、ただいつにも増して可愛らしいお顔だったので見惚れていただけです」
えへへと照れる様子はいつもと変わらない。クーシャを見つめる目からは黒い液体が垂れてきている。つーと頰を垂れ顎下に黒い線は伸びた。そしてそのまま床のカーペットに落ちる。
「ん?」
「お嬢様!今は休息が第一です。早くお部屋に向かいましょう!」
間髪入れずにクーシャはカンタレラの手を引っ張り長い廊下を歩いた。目眩と、吐き気を耐えなんとか部屋までたどり着くとクーシャは軽くカンタレラを抱擁する。
「またあとで来ます。どうかお大事に」
クーシャは不安げな表情のカンタレラを尻目にドアを閉めた。呼吸のリズムを整えながら廊下の窓を閉めていく。静まり切った廊下にただ窓を閉める音だけが響いた。
「ふう、落ち着け...もうこれで何度目だ。またいつもと同じように繰り返せばいいだけ」
ますますひどくなる吐き気と目眩を堪えながらクーシャは胸元にしまっていたペンと紙で手紙を書いた。
「宛名はザンディア、またからさたゆがれなや」
手が思うように動かない。クーシャは魔法を詠唱しようとしたが呂律もすでに回らなくなっていた。
「まふひ《まずい》...」
クーシャは体の力が抜けて地面に倒れる。揺れる視界には滴る血が移り込んだ。
クーシャは壁に寄りかかりながら必死に立ちあがろうとする。
「おひょう...さま|《お嬢様》」
しかしずるりとクーシャの体は滑り落ちそのまま意識も虚空に消えていった。
◇◇◇
カンタレラはクーシャが去った後全く眠れていなかった。
「後でまたくる」
カンタレラはその言葉を聞き無意識のうちにクーシャを待っていたのかもしれない。
「うーん...なかなか来ないな...」
しかしクーシャはいくら待ってもドアをノックすることはない。カンタレラは毛布をかぶって無理やり寝ようとも考えた。だが、クーシャが嘘をつくわけがない、そう思ってしまう。
「もしかして、疲れて私のこと忘れたんじゃ...!」
カンタレラは毛布を吹き飛ばし大急ぎで廊下に飛び出した。
「クーシャー!どこー!?」
大声で叫んだカンタレラの声は無音の廊下にこだまする。返事は返ってこなかった。ペタペタと音を立ててカンタレラは暗い廊下を歩いた。いつもはなんとも思わない廊下なのにカンタレラは不気味さを覚えた。
「クーシャ?もう寝たの?」
廊下の角を曲がり、クーシャの部屋の前まで差し掛かる。
「え...?」
そこでカンタレラの目に見えたのは部屋の前で倒れるクーシャの姿だった。




