生漆の箱
クーシャは三重に掛けられた部屋の鍵を一つ一つ開けていく。震える手は鍵を落とし、カンタレラの命を削る。
苛立ちが限界に達したクーシャは拳を握り締め堅牢な扉を殴りドアノブのすぐ隣に大穴を開けた。内側から鍵を開け、勢いよくドアを開いた。
「お嬢様...もう少しの辛抱です...!」
クーシャは部屋の中央に位置する寝台にカンタレラを下す。部屋の中は大量の書物に埋め尽くされている。薬草の調合台、殴り書きされたメモにまみれた机。締め切られた窓から入る光は少し濁っていた。
「クーシャ...私に、触らないで!それ以上は...」
「私は、平気ですよ!」
泣きながら懇願するカンタレラの言葉にクーシャは笑顔で返す。「伝令の鳥」は情報を伝える最適な手段だ。そう長い時間をかけずにザンディアは屋敷に到着することだろう。
「お嬢様、少しだけ我慢してください。これを飲めば楽になるはずです。口を開けてください」
小さく開いた口に赤いポーションを注ぎ込む。鎮静の効果があるポーションはカンタレラの苦痛を少しは楽にできるはず。クーシャが死に物狂いで集めた貴重な素材をふんだんに使っているため効果は非常に優秀だ。
「医者が来るまで少しの辛抱です。それまで私はお嬢様を離しません」
クーシャはカンタレラの手を両手で握る。ふと何かがクーシャの手に落ちた。ポタポタとそれは何度も手に滴る。
「あ...」
クーシャの手元は赤く染まっている。正面のドレッサーには口と鼻から血を垂らす自分の姿がみえた。
「まずい...」
よろよろと立ち上がり机に倒れ込む。血が紙にかかり、ガラス戸が大きな音を立てる。
「クッソ...解毒を...ザンディアはまだか...?
うッ」
血の混じった吐瀉物を吐きながら棚を開き一本の注射器を取り出す。銀色の注射器の中には赤黒い液体が満たされている。
手の震えが酷く上手く刺さらない。何度も刺し間違える。
「ダメ、だ。お嬢様...を...」
意識が遠のきぐわんと視界が歪む。そのまま倒れそうになったクーシャを誰かが支えた。クーシャの手から注射をとり手慣れた手つきで正しい箇所に解毒剤を打ち込んだ。ドクンと脈を感じながら消えかけの意識が少しずつ蘇る。
「よく頑張った。あとは任せな。担いでやるから力抜けよ」
その声の主はザンディアだ。なぜかボロボロの姿で、明らかに疲弊している。
「私より、お嬢を...私は自分で何とかする。ていうか、何でそんな格好?」
「野盗に襲われたんだよ。そのせいで遅れちまった」
ザンディアはクーシャを部屋の外に設置した即席のベッドに寝かせた。硬くて寝心地の悪いベッドにクーシャは身をくねらせた。
「悪かったなそんなベッドで。最後に聞いておくが、"箱"使うでいいんだよな?」
「何を今更、もう何度も使ってるだろ」
クーシャは虚な目で天井を見上げながら答える。気づけば外は薄暗く、もう窓から入る光見えない。
ザンディアは浅い呼吸を繰り返すクーシャの手を強く握った。
「代わってやれないのか?俺ならいくらでも...」
「ザンディアには務まらないさ。尤も譲る気もないがな」
そう言うとクーシャはにへらと笑った。
◇◇◇
「久しぶりだね、カンタレラ。遅くなって申し訳ない。すぐ良くなるからもう少し頑張ってね」
ザンディアの声はいつもの溌剌とした声ではない。優しく、温かい、紅弁慶のような声だった。
ザンディアは荷物の中から生漆の箱を取り出した。影よりも暗く、光を飲み込む質感は薄黒い恐怖を見るものに削り込む。
「ちょっとチクっとするかも」
カンタレラの袖をまくり、箱から伸びる針と糸を手首に刺す。まくられた袖から見えたカンタレラの肌には黒い斑点が無数に広がっていた。白い肌に刻まれた斑点もまた、震えるほどの黒だ。
「ちょっと待っててね」
ザンディアは部屋を出るとクーシャの元に駆け寄る。箱から伸びる針と糸を手に持って。
「こんなことはいつまでも続けられない。頼むから俺にやらせてくれ」
「やれるだけやるんだよ。私が、細胞一つになるまで..."これ"を辞める気はないんだ」
ザンディアは歯を食いしばりクーシャの手首に針を突き刺した。
◇◇◇
ほんの少しだけ開いたドアから針と糸が伸びる。いくつかの蝋燭が部屋の中をぼんやりと照らす。ザンディアの持つ刃渡りの小さい小ぶりな刃物に鈍く反射した光が映る。
「クリスの箱よ、お前の力を貸してくれ」
ザンディアは開いた箱の上で掌を傷つける。滴る血はゆっくりと生漆の木目に吸い込まれていいった。
「またお前らか、飽きもせず何度も何度も」
箱の中から女性とも男性とも取れる中性的な声が聞こえてくる。人のものとは違う何か異質さを感じさせる声は話を続ける。
「これまたひどい呪いだな。何もしなければもちろん死ぬ」
「そんなことわかってる。供物はもうある。カンタレラを治してくれ」
ザンディアは箱の声を相手にせず、カンタレラを治すことただそれだけを求める。
窓は開いていないはずなのに蝋燭の炎が酷くゆらめく。それは命を持ったように疎な動きを繰り返す。
「いいだろう。ただ、今回は少し呪いが重い。その分対価も多く取らせてもらおう」
「なに!?そんなこと聞いてない!クーシャの体はもう限界に近いんだぞ!?」
箱の声はザンディアを笑う。
「契約書をしっかり読む前にサインしたらどうなる?それをなかったことにするなんてできると思うか?」




