046 【行為】音楽、【科学】精神交換
ヴァイオリンが演奏されている。少女はその様を、寝台に寝転がったまま、ずぅっと見続けていた。弓が四本の弦の上をゆったりと行き来して、どこか間延びした曲を奏でていた。
人の手に支えられることなく、空中に浮かびながら。
室内にいるのは少女と、入口近くに立つ女性のみ。どこか得意気な彼女も、独りでに動くヴァイオリンに視線を注いでいた。
数分ほどで、独奏は終わった。呼吸二回分の余韻に浸ってから、少女はぱちぱちと拍手した。
「お見事ね」
「お粗末様でした」
大袈裟なお辞儀に合わせて、ヴァイオリンも頭を垂れた。可愛らしい演出に、少女はふふっと笑った。
「相変わらず、魔法がお上手なこと」
「これでも一応、魔女ですから」
歩み寄りがてら、指を鳴らす。その場で浮かんだまま上下に揺れていたヴァイオリンが、部屋の隅のケースに吸い寄せられたかのように、自ら収まった。蓋とロックも自動的に閉められた。
「お嬢様もリハビリを続けられれば、すぐにでもお好きな庭球を遊べるようになりましょう」
「意味ないでしょ。どうせ、私の病気は治らないんだから」
「そういうことを言わずに」
「それに、あまり好みじゃないかな、やっぱり」
「これは失礼しました。また別の曲を練習しないと、ですね」
談笑に花を咲かせながら、女性、もとい少女の主治医が寝台脇の椅子に座った。すぐ近くだ。それこそ、
「えいっ」
「ん?」
手を伸ばせば、腕を掴めるくらいに。
「どうされましたか、お嬢さ――」
口が途中で止まった。見えないつっかえ棒を噛まされたかのように、ぶるぶると震えるだけだ。少女は、突然の事態に揺れ動く目を、見つめた。いや、睨みつけた。
それが、少女の魔法を発動させるための条件だったから。
十五秒が経ったところで、少女は二度、瞬きをした。途端に指の力が緩む。すかさず、主治医は少女の手を振りほどいた。
「何を、されたので……っ!?」
戸惑いの声は、すぐさま息と共に飲み込まれた。慇懃な発言したのは、主治医の方ではない。寝台に横たわる、少女の方だった。弾かれたかのような勢いで、自分の掌を見た。
「これは……え? 私の……いえ、お嬢様の手……?」
「あら、まだ気付かないの?」
主治医が口を開いた。先程までの丁寧な物言いには程遠い。少女の青ざめた顔が、椅子に座る女性に向けられた。
「まさか……お嬢様……!」
「ええ。人格入れ替えの魔法よ。こんなに上手くいくなんて、流石に思わなかったけれど」
「そんな、何故、こんなことを」
「何故、ですって?」
少女の魂が宿った主治医の顔に、笑みが浮かんだ。口角がくいっと釣り上がった、歪な笑顔だった。
「こうするためよ」
ぱちんと指を鳴らす。部屋の隅のケースが勢いよく開き、ヴァイオリンが飛び出してきた。手招きして、引き寄せる。そして滑空してきたそれを引っ掴むなり、寝台の上の少女の頭に思いっきり叩きつけた。甲高い悲鳴が上がる。清潔な白いシーツに、赤い斑点が散った。
「な、何を」
今度は後頭部を殴った。金切り声と共に、寝台に突っ伏した。髪の間から血が流れ出るのを見下ろしながら、少女は、主治医の口で笑った。
「その体、遠からず死ぬからあんたにあげるわ。だから代わりに、聞かせてよ。泣き声を、悲鳴をさ。――そういえば言ってなかったけど。私ってね、人の声の方が好きなの。それも苦しみや悲しみに喘ぐようなのを、ね。さ、演奏してあげるから、聞かせて頂戴? 私を、喜ばせて頂戴? それにしても流石は私の声。キィンと耳に残る高さが実にいいわね。…………。ちょっと、もう壊れたんじゃないでしょうね。ほら。ねえ、ちょっと、ねえ。――ねえったらッ!!」




