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044 【属性】霊魂、【人物】魔法使い

 死神が壁をすり抜けて、寝室に入る。ふかふかの寝台に横たわる老人は、気付くことなく寝息を立てつづけていた。冥府からの侵入者は、髑髏を模した半透明の顔をにやけさせた。

(呆気ないものだな)

 部屋の主を見下ろす。この男、かつては国有数の賢者として有名だった。周辺国の権謀術数を、類稀な聡明さで退けてきた。他国との領土問題や飢饉の対応などにおいても、迅速かつ堅実な政策を提案することで、国益を最大限守ってきた。王が全幅の信頼を寄せていたのも、無理はなかったろう。

 更に、術者としての腕前も、他の追従を許さなかった。全盛期には、王城全域の守護結界を一手に引き受けられるほどだったという。詠唱一つで、牛ほどの体格を誇る猛獣・毛河馬の大群を焼き払った例もある。その上、教材開発や学院設立にも心血を注ぐなどして、後進の育成にも取り組んだ。この道にある者ならば、老人の名と顔を知らないものは、まずいない。

 これほどの功績を上げたにも関わらず、一線を退いた後は特別な地位を固辞し、首都の片隅で隠遁生活を送っている。こういった潔さもまた、人気を博している一因だった。

 死神は微笑む。それほどの男の生殺与奪を握っているという、愉悦から。

(さあ、頂こうか)

 青白く透き通った腕を伸ばす。布団も寝間着も透過したそれが、老翁の胸に触れた。規則正しかった息が乱れる。皺の寄った眉間に、汗が滲んだ。苦痛を感じているのだ。

 といっても、肉体を抉っているわけではない。実体を持たない死神に、そんなことはできない。代わりに引っ掻きまわしているのは、死神自身のように姿形を持たないもの。すなわち、記憶や精神であった。

(これだ、これだ)

 豊かで濃密な人生経験。そして、それに裏打ちされた格式高い人間性。それらを掠め取り、吸収することが、血の通った肉体を持たない彼らの食事である。食われた方は思い出や知識、あるいは心神を喪失する。真っ当な生き方はできなくなるだろう。それどころか狂死する者も少なくない。

 だがこの捕食者は、貪欲だった。人間に例えるならば、生涯に一度味わえるかどうかの極上料理を、目の前にしているのだ。我慢できるはずもなく、そのつもりもなかった。

(心の奥底まで、根こそぎ頂いていこう。……お前をお前たらしめている、最も根源的な領域まで、な)

『――おおっと。そこまでにしてもらおうか』

 部屋に声が響き渡る。死神は一瞬、思考能力を失うほどに動転した。抜かれるような度肝や飛び出すような心臓がなかったので、混乱は一秒にも満たなかった。だが、干渉を中断するべく腕を引き抜こうとしたところ、何かに突っ掛かっているかのように、動かなかった。

 拘束されたのだ。

(これは……罠かッ)

『ご明察。身代わりを用意しておいたのさ。精神侵入に対する遅行性の捕縛防壁付きのね。君はそれに、まんまと引っ掛かってしまったわけだ。それにしてもお前さんで六体目だよ。私はそんなに美味そうに見えるのかね』

 自由に動く目で周囲を見回すも、本物の老賢者は見当たらない。恐らく、自ら姿を見せずとも始末できるよう、仕掛けを施していたのだろう。まんまと、嵌められたわけだ。

 消滅させられる。そう悟った死神は、音声術式で問いかけた。

「何の、ためだ」

『あん?』

「私のような侵入者を退治するだけなら、こんな手の込んだ真似は必要あるまい」

 消されるのは、残念ではあるが仕方ない。自分の不用心のせいでもあるが、何より相手が上手に過ぎた。そこはもう、納得している。

 だが、それなら館に障壁を張ればいいだけの話だ。あえて招き入れて、捕らえ、そこから始末するというのは、あまりにも手間がかかりすぎる。餌の身代わりにしても、擬似精神を仕込んでいるあたり、並大抵の力量では用意できまい。どうせ消えるなら、この疑問を晴らしてからにしたかった。

『何のため、か……。そうさな』

 数秒の黙考の末、答えが来た。

『遊び、じゃな』

「……何だと?」

『結果は同じにしても、過程がありきたりじゃあ詰まらんよ。これだけじゃない。若い頃、他所の謀り事を潰したのだって、妖術を究めたのだって、それが面白そうからだったからじゃよ。楽しめそうな奴がいなくなったから、さっさと隠居したのじゃが』

「そうか……。つまり、私はお前の玩具だったというだけなのだな」

『違うさ。遊び相手だよ。まあ、手ごたえはあまりなかったがね』

 腕の感触が消えていく。消去術式が発動したようだ。力なく項垂れながら、身の程を弁えなかった我が身を、呪った。

(相手が人間だからと、どこかで侮っていたのだな……。こいつは、こいつの精神の原動力は、そんな軟弱なものではなかったわけだ。老いた獲物としてしか見ていなかった私に、勝てる道理もなかったか……)

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