016 【器物】鍵、【人物】旅人
「ついに王子を捕えました」
部下からの報せを聞いた宰相は、嬉しさのあまり肘掛けを叩いた。
「本当か。鍵は無事なのだな?」
「はい、それも確保しております」
いてもたってもいられない。書きかけの文書を放りだして、地下牢に続く階段を下り始めた。
宰相が秘密裏に政権を掌握してから、半年が経つ。目当ては王族に代々伝わる秘密の宝物庫だった。邪龍を封印した指輪や異世界への扉を開く杖など、どれも垂涎の品物ばかり。大国をも容易に揺り動かせるほどの大量の金塊が収められている、との噂もある。
それを蔵の中で腐らせておくのは、あまりにも惜しい。
「使わないのなら、私に譲ってくれてもいいではないか」
宰相が今の地位に就いた時から、暗躍は始まった。
贈収賄を繰り返して政府内外に味方を引き入れる。邪魔になりそうな者、真相に気付きそうになった人間を暗殺する。そして国王を緩やかに服毒させていき、病死に見せかけて殺す。後は傀儡を玉座に据えて、自分は好き放題する。
事は筋書き通りに進んだ。ただ一つ――宝物庫の鍵を持ちだされるという事態を除いて。
鉄格子の中で、青年が鎖に繋がれている。前国王の息子、すなわち王子だった。
「王子殿。勝手なことをされては困りますな」
「ふん、勝手はどっちだ。そんなにあの蔵の中身が欲しいのか」
着衣は襤褸切れ同然の下着だけ。垢のこびりついた顔にふけだらけの髪と相まって、みすぼらしいことこの上ない。これが町娘どもに黄色い歓声を上げさせていた優男の末路か、と嘲笑いたくなった。本来なら父の死後、王冠を頂く筈だったのに、光の射さない地下牢で惨めに死ぬのだ。それを、他ならぬ自分が成した。口元がにやけるのを、我慢することはできなかった。
「それで、まだ俺を生かしておくのか。この売国奴め」
「すぐ楽にして差し上げるとでもお思いですか? まだ聞くことはあるのです」
「それは残念。俺はもう何も言うことはないよ」
敵意まみれの声が飛び交う。
宰相が支配を確立する寸前、王子は忽然と姿を消した。元々、王宮に居るよりも市井で身分を隠して遊びまわるのが好きな人間である。剣の腕も立つので、暗殺者を差し向けても返り討ちにしていた。そして宰相が手を焼いている内に、宝物庫の鍵を持って出奔してしまった。そして放浪の旅人を装い、各地を転々としていたのである。
(そうまでして、あの蔵を開けさせたくないというのか)
忌々しく思う反面、そうであればこそ、尚更中身を見たくなる。悶々としながら捜索させること半年、ついに捕えた。後は、悲願を果たすのみ。
「まあ、王子殿はこの特等席で私の国が栄えるのをご覧になってもらいたい。ごゆるりと、ね」
「お前らに、あの蔵が開けるものか」
王子は痩せた顔で、にやりと笑った。その笑いの意味は、翌日、すぐに知れた。
宝物庫が開かないのである。
鍵は間違いなく本物で、鍵穴に寸分の狂いなく入った。だがいくら回しても、錠が外れない。空振っている感触しかないのだ。宰相は腹心に怒鳴りつけた。
「どういうことだ、これは?」
「は。宮廷魔術師の報告によりますと、鍵に何かしらの呪術を施す必要がある、とのこと」
「そんなものは子どもでも予想できる。その呪術とは何かを調べるのが、お前達の役割だ」
「も、申し訳ございません。ですが王室の資料を当たってもそれらしいものは見当たらず、特殊な術式構成のためか解析にも手間取っておりまして」
「もういい、下がれッ」
お預けを食らった気分だ。そこに長々とした言い訳――宰相にはそう聞こえた――を並べ立てられれば、腹立ちも一入である。その苛立ちのまま、彼は拷問吏を呼んで命じた。
「王子に、鍵のことについて吐かせろ。手段は問わん」
「御意」
多少剣で体を鍛えたといっても、所詮は王族。すぐ根を上げるに違いない。
だが、宰相の目論見は外れた。休む間もなく鞭打ちや水責め、逆さ吊りを加えても、断固として口を割らなかった。一頻り辛苦を味わわせたところで問い詰めても、口汚く罵るだけ。
宰相は日増しに鬱屈を募らせていった。鍵の解析が遅々として進まないのも、追い打ちをかけた。ある日、腹立たしさの余り、拷問吏に、自分も参加させるよう命令した。
「貴様らに任せておけば、何年掛かるか分かったものではない。私が問い質してみせる」
憂さ晴らしのためでもあったのだろう。拷問吏達も感化されたのか、その日の尋問は、常にも増して苛烈だった。指を鑢掛けにしたり、体に火を付けたりと、より残虐な仕打ちを施した。
それでも、王子は黙したままだ。宰相は眉根に皺を寄せながら、訊いた。怒りよりも不気味さが先行していた。
「……なぜだ。なぜここまで責め抜いても、口を割らない」
「それが、王族としての、誇りだから、さ」
途絶え途絶えではあるが、王子は笑った。嘲るような笑いだった。
「あんた、みたいに、金にしか、目がいってない、強欲野郎には、分かんない、だろうけど、な」
ぺっ、と血痰混じりの唾を吐き付けられた。それが宰相の憤怒に火を付けた。獣のような怒号が上がった。それから何をやったのか、ほとんど覚えていない。ふと正気に戻った時、目の前には王子の惨殺死体があった。我が身を見る。全身に返り血を浴びていた。護身用の短剣を握った手に至っては、赤一色に染まっていた。
殺してしまった。自身の短慮を止められなかったことに、歯を食いしばる。だが、不思議と冷静だった。あるいは感覚が麻痺しているだけかもしれないが。
「……くそ。まあ、いい」
かつて王子だった肉塊を蹴りながら、自分に言い聞かせるように、言った。
「鍵の解析が済めば、それでいい。宝物庫が開けば、それでいいんだ」
解錠に必要な呪術は、それから一年余り経って、ようやく判明した。だが報告を受けた宰相は、目玉が飛び出んばかりに瞠目した。
「……なんということだ」
何度羊皮紙を読み返しても、そこに書かれている無情の一文は、変わらない。
『呪術には、王族の血が必要不可欠』
前王は毒死させた。王子も獄死させた。親類縁者も悉く暗殺した。国内に王の血筋を引く者はいない。皆、墓の下だ。宰相自身がそう仕向けた。
絶叫した。羊皮紙を引き裂いた。執務机の上を薙ぎ払って、書類や本、羽筆を撒き散らした。癇癪を起した子どものように泣き喚きながら、髪を掻き毟った。指に絡まった白髪を見て再び叫んだ。壁に掛けられていた絵を殴って、穴を開けた。
「そうだ」
宰相の頭が、何かを思いついた。善は急げとばかりに、執務室を駆け出す。廊下の女中や大臣が何事かと振りかえるが、一顧だにしない。
「国外追放にした王族も、何人かいた。奴らを見つけ出すことができれば、あるいは」
正常な判断を下せたのなら、部下にやらせただろう。あるいは非現実的だと思い直したかもしえない。だが、今の宰相にはできない相談だった。でなければ宝物庫の鍵を強奪し、着の身着のまま国を出るなど、とてもではないが出来なかっただろう。文字通り、正気の沙汰ではなかった。
そしてそれ以降、宰相だった男は国に帰らなかった。諸国を駆けずり回る情緒不安定な旅人として、行く先々で不気味がられた。まともな人探しができたかは記録に残っていないが、恐らく大した成果は上がらなかっただろう。最期は辺境の荒野で行き倒れて、そのまま息を引き取った。それでも尚、その右手は鍵を手放さなかったという。




