11-9 毒蛇の素顔
目の前の少女が、くすくすと笑っている。
もうすっかり見知った顔だ、黒髪の綺麗な幼さの残るものの整った顔立ちの少女、リルドナだ。
でも中身は違う。彼女の妹リウェンが入っている、だから表情も若干違うし、滲み出る雰囲気も違う。
だが、今はそれ以上に『違い』が顕著だった。
「……なんだよ、その『眼』は…」
リルドナの象徴とも言うべき赤瞳は、すっかり青紫へと様相を変えていた。
そのドロリと淀んで見える瞳をこちらに向け、語り始めた。
「ですから、『間に合いませんでしたね?』と申し上げたんです、終わったんですよ」
「……何を、だよ……いや、今更だな。『浄化』てヤツが、か」
「ご名答。と言いたいところですが……ヒントは沢山差し上げたつもりです、ご判断可能なのでしょう?」
左手に携える魔導書をビシッと突きつけてくる、
「何をだよ、」
「わたしの言葉の真偽が、です。看破できるのでしょう?」
この少女は嘘をつく時に、ある癖がある。
俺はそれを偶然にも気付いた、本当に偶然だ。何せ、本人すら気付いてない癖だ。
ただし、全ての発言に適用されるモノではなく『ある言葉』が含まれていなければ、さすがに判断出来ない。
「さぁな、やたらと嘘だらけだったのだけは確かだな?」
「やっぱりわかるんですね?」
「あんだけあからさまに嘘つかれたら、な?」
俺の対応に、くすくすと笑いながらさらなる切り返しを見せる、
「それも想定内です。逆にそこからわたしの癖というのが何なのか割り出せると思いまして」
「随分と頭痛になりそうな解析をしようとするんだな」
「ええ、エインさんの行動は大体は読めましたので、そこからのパターンを――」
「そうか、でもこういう展開は読めなかったんじゃないか?」
言うや否や、コートの裾に隠していた『ソレ』をさらけ出す、
「――っ!?」
突如姿を見せた『ソレ』に彼女はギョッと驚愕の感情を抱いただろう。
――山羊脚レバーを倒し発射可能状態のクロスボウ、
そのまま照準をピタリとリウェンの顔に合わせ、躊躇わず一気に発射レバーを握りこむ。
引き絞られた弦が開放され、ビュン!という風切り音が響き渡る。
「――なっ!?」
血相を変えた声を漏らしながら、彼女は咄嗟に床に転がるようにクロスボウの射線軸から、その身を逃す。
突然の不意打ちにも関わらず、瞬時に判断し回避行動を取るリウェンを見つめ、俺は二つの確信を得た。
「な、なななななな……なんてことしやがるんですかーっ!?」
「避けた……な?」
「あ、当たり前じゃないですかーっ!」
突然の出来事に怒気を露にし、顔を怒りにひきつりそうになるリウェン。
「……あっ」
ピキィ!という陶器の割れるような音が響いた、
「も、もうっ!」
途端に慌しく、自分の頬をわしわしと撫で始めた。
「――?どうした?」
「い、いえっ。なんでもありませんっ」
「まぁ、脅かして悪かった、実はボルトは番えて無かったんだ」
クロスボウを指し示してから、厨房のテーブルに無造作に置いた。
「……。悪戯にしては、いくらなんでも度が過ぎますよ……?」
辛うじて、精神を落ち着けたのか、表情がまたもやクール系のお澄まし顔に戻っていた、ある意味ここまで表情をキープできるのも凄いと思う。
「でも、お陰でわかった」
「はい?どういう意味です」
「終わってないんだろ?『浄化』。」
「……」
彼女は俺の指摘に押し黙る。
「お前言ったよな?『普段なら、わたしが障壁を張ったりするんですが』って、他人に障壁張れる人間が自分に張れないワケがない、なんで張らなかったんだ?」
「……」
「張らなかったんじゃない、張れなかったんだろ?」
リウェンは一向に答えない、それでも構わず俺は続ける。
「使いたくても使えない理由、それは『浄化』が終了してないからだ。そして、そのことを隠すかのように嘘を並べた……」
「……」
「お前は、俺に術式を中断されることを危惧している、違うか?」
尚も押し黙り、口を閉ざすリウェン、俺の推測が見当違いだったのかと不安を感じ始めた、
その時――青紫に染まるドロリと淀んだ瞳がギロリとこちらを向いた、
「――グッド!実に良い洞察力です、まさかこうも泥を塗られるとは想定外でしたよっ!」
「――どうして、そうまでして記憶を消去しようとする?」
俺を見据えたまま、コッコッコッと歩いてくる。
そして、左手に携えた魔導書をクルリと回し、
「Knox's Ten Commandments……Article2」
「な、なんだって?ノックス……テン?」
「All supernatural or preternatural agencies are ruled out as a matter of course.」
サラリと詠唱する中身はノックス十戒だろうか?
普段の英国語ではなく、米国訛りの為、咄嗟に上手く聞き取れなかった。
「ですから『探偵方法に超自然能力を使用してはならない』と申し上げたのです」
「何がだよ?」
「姉の……『赤の明晰』で『断末魔の記憶』を垣間見て、そこから犯人が割り出せたとして……それで解決して良いとお思いで?」
「良い悪いじゃねぇだろ?これは推理小説じゃないんだ、裏切る読者の心配も無いっ」
「出来っこないですよ、そんな手段で受け入れられるワケないじゃないですか」
「ふざけるな!人が二人も死んでるんだぞ!?」
「まだわからないんですか?」
激昂しかける俺に、哀れむような蔑むような瞳を向けてくる。
「おい、まさか『それは面白くないから』て理由じゃないだろうな!とにかく直ぐに術式を切れ」
思わずリウェンの胸倉を掴み引き寄せた、
俺と彼女では随分と身長差がある為、彼女はやや苦しそうに呻く。
「お断りします。……あと、この制服って実はサイズ合ってないんで無理に引っ張らないでくれません?」
リウェンの言うとおり、サイズが合ってないのか、胸元から襟首にかけて、大変なことになりそうになっている。
――が、
「話を逸らすな、まずは『浄化』を切れ、嫌なら腕ずくでも――」
「おや?『腕ずくでも』どうするんです?殴りますか?そうですね、殴ってわたしの意識を奪えば術式も中断されるでしょう……ですが」
右手で掴みかかった俺の手を嘲笑うかのように撫でる、
「貴方は女性に手を上げないんじゃなかったんですか?」
「……くっ」
俺が女の殴らないという心の誓いが既に知られているようだ。
その上で俺の神経を逆撫でしてくるようだった。
「ある小説家は、自らの作中で登場人物である主人公にこう語らせました『女の挑発というものは男をどんな形であれ、興奮させてしまう』と」
「何の話だよ!」
胸倉を掴みこんで問い詰めているのはこちらなのに、リウェンは依然として余裕の嘲笑を浮かべている。
どっちが問い詰めているかわからなくなりそうだった。
「ちなみにです、そのお話ではその主人公は相手の女性を乱暴に殴りつけてしまいました、それこそ血みどろになるくらいに」
そして、掴みこむ俺の手を艶かしく指でなぞりながら、
「エインさんは――大丈夫ですよねぇ?」
下から覗き込むように俺の顔を見据えるリウェン、くすくすと笑う声が止まらない。
その目は語っている。『さぁ、殴れ、殴ってみろ』と。
「ぐぐ……」
激しい葛藤に思わず呻き声が漏れる、
立場がまるで逆転しまったようだ、このまま『挑発』され続けたら取り返しのつかないことになる気がする。
――て、待て。
おかしい。
俺はこんなにも攻撃的な人間だったか?
もし、そうならとっくに別の冒険者を殴っている気がする。
「おい……俺に何をした?」
「……。何のことでしょう?」
素っ気無く返事をする彼女の顔はやはり感情の読めないお澄ましフェイス。
知らずの内に何か精神干渉の魔法を掛けられた?
もし、そうなら心当たりがある。
「あの時か?『浄化』発動時に同時にいくつか術式を起動してたよな……三つ、いや四つか」
「……。『いえいえ、あれは七つですよ』とでも、まんまと引っ掛ってお答えすれば満足ですか?」
「本当はいくつなんだ?」
「回答拒否、そう簡単にお答えしませんよ」
別にそれが知りたいワケじゃない。
気が逸れればそれで良かったんだ。
お陰で、別の手を思いつけた。
「片手でいろいろ不便そうだな?」
「……そうですね」
「お前も左利きだよな?」
そう言いながら、胸倉を掴む手を解き、リウェンを開放する。
「それもさっきと同じか?使いたくても使えない……だろ?」
「……」
都合の悪い話なのか、さっきから黙秘が多い。
「左手に魔導書を持っていないとダメなんだろ?」
彼女がリルドナの身体に入ってから片時も左手から魔導書を手放していない。
左利きにも関わらず、あらゆる作業を右手でこなしていた。
流石に文字は書けないのか、文書記録やカードへの魔方陣書き込みは俺に委託したワケだ。
「その魔導書を持っていないと状態を維持できないんだろ?」
「何を根拠に?ご高説、拝聞させて頂きましょう」
そう告げながら、彼女は例の『一日三時間は練習しているポーズ』を取ってみせる。
「確か、この宿舎がお前の通信可能距離ギリギリだったんだよな」
えぇ、と彼女は頷いた。
「なら魔力による干渉もほぼギリギリと見て間違いない。他人の身体を動かすという魔法にどれだけ魔力が要するかわかんねぇし、魔法校主席卒業のお前の魔力の容量どれだけ凄いかは想像も付かない」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「お前の実力の底は想像も付かないが、そんな高等な魔法……干渉射程ギリギリで使用可能なのか」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「では、どう可能にするか、だが……ここでさっきの通信可能距離の話題に戻る。あの時、危機感知は生きていると言った。これが何を意味するのか」
多分、危機感知だけでなく、補助術式は全部生きてる筈だ。
だから?と彼女は淡々を先を促す。
「その魔導書自体が魔力を持っていて、そこから魔力供給をしているに違いない」
その指摘に彼女は、くすくすと笑い始めた。
「つまり、魔力の供給源である魔導書を奪えば、『浄化』はおろか、リルドナの身体を借りることすら出来なくなるはずだ、違うか?」
「グッド!概ね正解です。仰るとおり、わたしはこの本が無ければここに存在することすら出来ません、実にグッドです……何よりも」
彼女の冷淡な声に鋭さが増し、ゾクリと悪寒が走った。
「その詰めの甘さが実にグッドですよ!」
その瞬間、リウェンが視界から消えた。
「――なっ!?」
慌てて視線を走らせると、視界のずっと下。ただでさえ小柄な身体をしゃがみ込むように小さく畳んだ彼女が目に飛び込んできた。
俺が反応して身体を動かすよりも早く、リウェンは圧縮されたバネが弾けるように一気に力を解放した。
「……くっ」
立ち上がりの屈伸運動と振り上げる脚の力を併せた凄まじい蹴りが俺の喉元寸前でピタリと止められる。
「今ので気管支断裂ですよ?これで一回死にました」
女性特有の身体の柔らかさか、この身長差にも関わらず高く上げられた脚は、俺の顎の高さにまで達していた。
リウェンの言うとおり、もし彼女が寸止めしていなければ喉笛を蹴り潰されて即死していたかもしれない。
「いきなり何を――」
突然の暴挙に思わずリウェンを掴みかかろうとするが……
再び胸倉を掴めることはなかった。
「――うわっ!?」
一歩踏み出した瞬間に、体重の乗った方の足が一瞬で払われ、勢い良く転倒する。
グシャリと無様に床に突っ伏す羽目になった。
慌てて立ち上がろうとするが、トンと首に何かが軽く当てられる。
「これで、頚椎損傷です。二回死にましたね?」
のそのそと身を捻って仰向けになりそちらを見ると、首のあった空間に黒いパンプスのヒール部分が軽く押し当てるように突き出されていた。
もし、彼女が全体重をかけて踏み抜いていたら首の骨が砕かれ再起不能になっていたかもしれない。
その『あと一歩踏み込んでいたら死んでいた』という事実に寒気が走る。
「な、何すんだよ……」
「だから『甘い』と申し上げたんです。わたしを追い詰めるなら、先程の胸倉を掴んだ左手……離すべきでは無かったですね」
器用にも左手に魔導書を持ったまま、三回目は本当の死ですよ、と腕を組んでこちらを見下ろしている。
「――確かに、今のわたしは魔法は使えませんし、身体能力も一〇代の少女のモノでしかないですよ?」
俺を見下ろしながらも、だからこそですよ?と続ける。
「このわたしが何も備えてないとでも思ったんですか?」
それは……何かしらの護身術、いや、暗殺術か何かを身に付けている、ということか。
それよりもこの動き…普段のリウェンからは想像も付かない身のこなしだ。
「そもそも、わたしは一言も姉の身体を借りるのが初めてとは言ってませんし」
……つまり、過去に数度に渡ってリルドナの身体に入り込んで『使い慣れている』ということか。
「単純に腕力だけなら、エインさんに押さえ込まれたらそれでアウトですよ?その程度の筋力しかありませんから」
しゃがみ込み、俺の顔を覗き込みながら、それで充分なんですよ?と続ける
「それだけの筋力があれば人は殺せます」
「可愛い顔して物騒なこと言うなよ……」
だが……、
――それは先程のクロスボウの威嚇でわかっていたことだ!
「お前こそ詰めが甘いんじゃないか?」
「はい?」
俺は意識を集中し、指先に魔力を集める、
確か、俺の回復魔法は『元ある姿に』というヤツのはずだ。
なんでも『対象の状態変数を恒常状態へと数値修正する』とか小難しい概念だが、要は異常を正すということだろう。
それなら、本来の身体の持ち主であるリルドナ以外のリウェンの意識や『浄化』の術式などひっくるめて『異常』として排除できるのではないだろうか?
「――グッド」
だが、俺が光の線を引くよりも早く、右の肘関節ごと鷲づかみにされる。
「お利口さんです。ちゃんと覚えてらっしゃったんですね」
出来の悪い生徒を褒めるように柔らかい口調で語りかけてくる。
「では、このままお勉強です。魔力と生命力と血は密接な関係にあるんです」
かまわず魔方陣を引こうとするが、光の線が全く引けない。
「つまり、血流を止めてしまえば、魔力は精製できません」
「く……!?は、放せっ」
振りほどこうとするが、全く力が入らない、
彼女の細い指が俺の肘に食い込んでいる。
こんな少女の細腕の小さな指先なのに振りほどけない……。
「無理ですよ、
動脈と神経を直接掴んでるんで。……あともうちょっと力を入れますと――」
その瞬間、右腕全体に激痛が突き抜けた。
「ぐがぁぁぁああああっぁぁ!?」
痛いなんて生易しいモノじゃない!
危機感や恐怖を覚える感触だ、我慢できるできない以前の問題だろう。
「痛いでしょう?大して力なんて掛けてないんですけどね」
必死に振りほどこうと試みるが、左肩を踏みつけられ動きを完全に封じられる。
小柄な少女くらい振り落とせ、と思うかもしれないが、この激痛の中ではそれすらままならなかった。
右腕が肩からもげるんじゃないかと思うくらいの激痛に身を震わせていると、目の前でひらひらと手を振られる、
「もう、放しているんですけど……知ってますか?捻挫などで炎症を起こしたときに一番回復が遅いのが……実は神経なんだってこと。骨や関節、それを支える筋肉が正常に戻っても神経だけが炎症を引き摺って痛みが続いたりするんですよ?」
「くそっ!生々しい解説はいらねぇ……!」
声を荒げて虚勢を張るが、激痛のため右腕全体が動かせなくなっていた。
そればかりか、先程踏みつけられた左肩もおかしくなっている。
動かなくは無いが、目の前の少女を掴んでどうこうする、というのは無理だろう。
「もうやめませんか?
わたしだって、好き好んでエインさんを痛めつけたいワケじゃないんですよ?」
「ちっ、人の両腕封じておいてよく言うぜ……」
両腕を殺され、ほぼ完全に無力化されてしまった。
それを踏まえてか、リウェンは勝利を確信したかのように、
「ほらほら、立ってください、両足で。折角、姉が修繕したコートが皺だらけになってしまいます」
そう言いながら、激痛でおかしくなった俺の右腕をグイグイ引っ張る、
「ぐぎがぁ!?」
さらなる激痛に襲われ、否応なしに立ち上がらせられる。
激しい痛みの連続で、立ち上がったものの朦朧としていると、
「えいっ♪」
スルリと首に細い腕が巻きついてきた。
咄嗟に絞められるっ!と身を強張らせるが、腕がそれ以上巻きついてくることは無かった。
「大丈夫ですよ、そんな絞めたりなんてしませんから」
「…じゃあ、どういうつもり――」
彼女に問おうと、目線を下げてギョッとした。
――近い!
リウェンは、俺の正面から首に抱きつくように腕を絡ませて来ている。
つまり、俺の顔の正面やや下にはリウェンの顔があるのだ。
もう、お互いの鼻と鼻が当たってもおかしくないくらいの近距離で!
場合が場合なら、ドキマギしそうな構図だが、今はそんな場合じゃないし、何よりも……そのドロリと淀んで見える瞳を突きつけられると、もうそんな気持ちを抱く気にもなれなかった。
「エインさん、わたしの瞳が見えますか?着々と青く変化していってるんですが、もうちょっとなんですよ」
「その変色が……術式完了の目安ってワケかよ」
俺の質問を肯定するかのように澄ました表情のまま微笑むと、ですので、と付け加える。
「このまま大人しくしていてくれませんか?」
「……はぁ?」
「このまま『浄化』終了まで、です。そしたら一緒にスコーンを食べましょうよ、ブルーベリーだけじゃなくて、ヘーゼルナッツ・シロップもあ――」
「ふざけるなっ!人が二人も殺されてるんだぞ!?暢気に朝食なんて食ってられるかよっ」
リウェンは俺の首に抱きついたまま、はぁ~と大きなため息を漏らし、
それで?と問いかける。
「故人を悼む気持ちはわからないでも無いですが、それでどうなるんです?彼らが生き返るんですか?貴方はここに何をしにきたんです?不慮のアクシデントでお亡くなりなられた方を悼む為?わたしと一緒に探偵ごっこ?……違うでしょう?」
「そんなのわかってる、でも……手を伸ばせば掴めるところに手掛かりが見えているのに、何もしないわけには――」
無理やりに辛うじて動く左腕を持ち上げ、
「――いかねぇだろぉ!」
そのまま光の線を引こうとした、
「……。結印方陣は本来、高等技能です、利き腕でもない方の手――それも負傷した状態では魔方陣なんて引けませんよ?」
「うるせぇよ!」
痛みを抑え込んで、光の線を走ら――
「もうやめてください……、痛い思いをするだけです……」
なかった。光った指先が数ミリ尾を引いただけだった。もう魔方陣の『円』どころか、『線』にすらなっていない。
いくら俺が必死に喚いても動かしようの無い事態。
たかが一〇歳半ば程度の少女に軽くあしらわれ、無力化されて手も足も出ない、
ひたすら無力だった、その現実に俺は無念さを押し殺して、ただただ歯噛みするだけ……
「――と見せかけて」
突如、不敵にニヤリと笑ってみせる俺。
「は、はいっ!?」
「悪いな、化かし合いは俺の勝ちだ」
その瞬間、リウェンの眼前に淡い光がボウゥ…と灯り、ヒール効果が発動する。
正確な対象は、リウェンの瞳。
最もリルドナの外見から変化している部位だ。そこが何かしらの術式が稼動している部分に違いないからだ。
「な、なんで!?え、えええええええぇぇぇ……!」
リウェンの顔がヒールの光に包まれ、突如パリンッ!と甲高く何かが割れる音が鳴り響いた。
「お、おい!?何か割れたぞ?」
「あ、あひぃ?」
果たしてヒールの光が収まり、その中から覗かせたリウェンの顔は、すっかり例のお澄まし顔では無くなっていた。
顔を真っ赤に染め、上目遣いに潤ませた赤い瞳が、どことなく泣き出しそうな子供に思える。
昨日の朝、出発前に鼻を摘まれた時に見せた子供っぽい顔だ。
ただ一つ違うところは、顔だけでなく瞳まで真っ赤というところだ。
「ひ、ひぇぇぇええええええええええぇぇ!……ガ、『儚い虚勢』がぁぁぁあ!?」
もう彼女は完全にパニックだった、
必死に自分の頬をわしわし撫でるが、もうクールな顔には戻れないようだった。
「ど、どどどどうして!?魔法が発動するんですかーっ?」
「いや、お前が構築してくれたシステムだぜ?『詠唱成功率:百パーセント固定』ってな」
そう、彼女が俺のために魔導書に構築した補助効果の一つにソレがあったんだ。
百パーセント固定なのだから、どんな不出来な詠唱手段でも無理やり魔法を完遂してしまう、なんとも力技な方法だった。
「で、でもですよっ?さっきエインさんは、魔方陣どころか、光芒線すらまともに引けてなかったじゃないですか?そんなのでヒール詠唱の認識してしまったら、他の魔法を扱う際にも誤作動起こしちゃいますよっ!?」
「いやーなんていうかな……」
種明かしの時間だが、なんとも情けない理由だった。
それは――
「使えねぇんだ」
「はい?」
彼女は意味がわからず、キョトンとする
「いや、他の魔法は一切習得出来てないんだ……ヒールしか使えないんだよ」
「は、はいぃぃぃ……!?」
「要するに…結印方陣を使おうとするイコール、ヒールを使用準備てことになるみたいだな……暴論なのはわかってるけど、実際発動しちまった……」
「め、メチャクチャすぎますよぉ……」
半分以上賭けだったが、見事、予想通りに機能した。
……おそらく、優秀な魔術師であるリウェンにとって、魔法が一つしか使えないという事態が完全に頭になかったのだろう。
優秀な故の盲点、そこに心理的な付け入る隙があったというワケだ。
「や……やっぱりズルイです……」
すっかり表情の変わり果てたリウェンはまるで別人のように、弱々しく泣き出しそうに見え……
……。
そういえば思い出した。『場合が場合だけに、ドキマギしない』と思っていた、そもそも相手の表情と瞳が『そんな気分』にさせない為だった。だから変な気も起きなかった。
――でも、
今のリウェンの顔は……今、間近にある少女の顔は、頬を赤く染め、潤んだ瞳で、しかも上目遣いで、ふるふると震えて……。
「や……」
ついさっきまで、あれ程揺るがなかった表情がどうして?
「やっぱりダメぇぇぇえええ!」
「うぐぁっ!?」
首に回された腕をホールド状態のまま、勢い良く振りぬかれ、ギュルン!と回転する視界と共に投げ飛ばされる。
両腕が殺されているので咄嗟に身体を庇うことすらできない。
「いってててて、何か……雰囲気が激変してないか?」
「す、すみませんっ!ダメなんです……わたし『儚い虚勢』が無いと……破壊されてしまうと、う、上手く感情を……」
よくわからないが、先程割れたのはソレなんだろうか、何かの補助魔法か何かだろうか?
「じ、自覚はあったんですよ……」
「む?何の話だ――」
待てよ?
『お前恥ずかしくないのかよ!?』
『だって私の身体じゃないですから』
コレ、そういえば嘘だったんだな……。
「――てコトは……まさかお前…」
リウェンは顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。
とどのつまり、
――本当は滅茶苦茶恥ずかしかった!?
「で、でも表情を隠せば恥ずかしくないというか……」
「はいはい!そこ何か間違ってる上に、余計な努力しすぎっ!」
「いえ、そんなことよりも――」
まだ何かを言おうとした瞬間、
「あ――」
リウェンはカクンと糸が切れた操り人形のように膝から砕け崩れる、
「おいっ!どうした!?」
咄嗟に辛うじて動く左腕をリウェンの脇に差し込むよう絡ませ、ギリギリ転倒を回避する。
「……参りました、完膚なきまでに術式が破壊されたようです……『浄化』再構築はおろか……わたしという憑依体の維持すら適いません」
俺の腕の中で、リウェンがぐったりと脱力していくのがわかった。
「残念ですが、もう残された時間も僅かです……あーあ、一緒にスコーン食べたかったなぁ……」
「おい、リウェン?」
理解が追いつかない発言に、問い直そうと顔を見ると、目は虚ろになり息も上がっている。まるで重病人のようだった。
「エインさん……『浄化』が中断された為、中途半端に記憶が残っている可能性が……あります」
「……間に…合ったのか?」
「そーですね、貴方の勝ちです……ですが、お願いです。無理に姉にその記憶を掘返しさせないで……下さい」
それでも尚、『断末魔の記憶』の提示を良しとしないようだった。
何故、そこまで拒むのだろうか。
「おいおい、お前まさか……」
「いいえ、わたし達は犯人とは関係ありません」
「じゃあ、なんで証拠の可能性を遠ざけるんだよ?」
「…そういう……問題じゃないんです、わたしは姉のことを第一に考えてるだけです、他意はありま…せん」
この言葉に嘘は無い、確実に本当のことを言っている。
だが、情報が無さ過ぎる、説明不測もいいとこだ。
「信じてください……」
さすがに重病人のような顔で懇願されてしまうと首を縦に振るしかない。
「……ありがとうございます、エインさんどうか、この先もご無事で……」
目を閉じて、まるで眠りに落ちるように、静かに、深く、リウェンの気配が消えていくのがわかった。
俺が見守る中、微かに口を開き、それと、と付け加える。
「――お大事に」
それを最後に、完全にリウェンの気配は消えてしまった。
……。『お大事に』とはどういう意味だ……?
「おい、リウェン」
呼んで見ても、もう反応は無い。
瞳を閉じ、静かに眠る少女は何も反応しない。
――筈だった。
「「えっ!?」」
突然、閉ざされていた瞳がパチリと開き、二人同時に声を上げる。
咄嗟に判断が追いつかない。
目の前の状況がすぐに理解できないでいた。
「あ、あれ……?な、なんでアンタが……?」
俺の腕に支えられた目の前の少女も思考が追いつかず、キョトンとしている。
が、時間経過とともに、顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
彼女は自分の服装が乱れていることに気付きノソノソと視線を泳がせ、『ある一点』に気付きピタリと動きが止まる。その視線の先には……大きく乱れた胸元、
「あ……」
なんだか可愛らしいピンク色の布がチラチラと顔を覗かせていた。
「ね、ねぇ……?」
「あ……え、えーっと……?」
さぁ、皆、一緒に状況を整理してみよう。
それも彼女視点で。
・気が付くと、何故か目の前に無能がいる。
・何故か、目の前の男に身を預けている。
・しかもしっかり腕を回されて抱かれる形で支えられている。
・ていうか、顔が凄い近い位置にある。
・さらに、着ている服がやけに乱れてる。
・さらにさらに、胸元の乱れが酷い。
・ついでに、目の前の相手もイロイロ服装が乱れている。
さて……ここから叩き出される結論は!?
「あたしに何をしようとしたぁぁぁああぁぁぁぁぁ………!!!!」
その後、
両腕を殺されている俺は、容赦なくリルドナのフルコンボをノーガードで全段貰うことになった、
ということは言うまでも無いことだろう。
……。
…。
……理不尽だ。
長い、
長くなりすぎました。
そしてリウェンつぇぇぇ……




