11-3 紫陽花の青虫
俺は巨大な白い本を片手に再び階段を駆け下りる。
そろそろ九〇度に折れた階段にも慣れてきたところだ。
そして、階段を下りたら、応接間には向かわず、階段室のすぐ横の扉を開け放ち中に押し入る。
リルドナが昨晩いろいろと腕を振るった給湯室だ。
その室内を『あるモノ』を探すべく視線を走らせる、
<……、『眼』の暴走を起こしたんでしょうね>
独り言のような語気の言葉が降りかかった。
――先程の説教(?)から解放された俺は、単刀直入にリルドナの状態を告げた。
それを聞いたリウェンは血相を変えて『どうして、それを早く言わないんですかーっ!』となんともお約束な叱咤を飛ばし、手短に俺へ対処の指示を出してきた。
(暴走……何かが制御出来てなかった…てことか?)
<そうです。もう、お気付きとは思いますが……姉の『眼』は血の力によって見えないものを『視る』能力が備わっているんです。それが本人の意思とは無関係に発動してしまったようです>
それはリウェンの言うとおりに薄々わかっていたことだ。
具体的に『何が』『どの程度』『どのように』見えるかまではわからない。
それでも、俺には見えないものが見えていたに違いないんだ。
<――ですから……視てしまったのでしょうね、『断末魔の記憶』を……あ、見つかりましたか?>
(うん、リルドナが朝一番に使おうとしてたみたいだからな。探すまでも無かったよ……と、断末魔の~てなんだ?また物騒な響きだけど……)
<えーっと、残留思念ってわかります?>
(悪い、少しわからない)
<要するにですねーっ万物には有機無機問わず、感情や記憶といった思念が宿ってしまうことがあるのですけど。より強烈なものほどそこに留まり残り続けるんですよ>
(殺人事件とかあった場所に因縁が宿るみたいなモノか?)
<喩えがちょっとアレですけど…そうですね。それで極めて強く鮮明に残留する『思念』と『依代』の組み合わせってなんだかわかります?>
(痛みや恐怖と、人間だったモノ……死体か……?)
<そうです。これほどまでに最適な組み合わせはありません……ですから>
一拍、言葉に間が出来る。
リウェンが息を呑むような気配を見せた。
<姉の能力を持ってすれば……死の瞬間を鮮明に再現し擬似体験を出来てしまうんです>
(じゃあ、リルドナが錯乱していたのは……)
<その瞬間、まさに姉は『何度も殺されていた』んでしょうね……なんせ死体は二つですから>
想像し、背筋が寒くなった。
あの無残な殺され方だけでも、充分身の凍る思いだ。
それを我が身に起こる体験として知覚したというのだ……。
そして、それが制御できずに嫌でも頭に『死の体験』が流れ込んでくるのだ。
今にして思えば、地下壕で人骨を見つけた時にガタガタと震えていたのに納得がいく。
……。
酷なことさせたかもしれない……。
<ですから、姉は人一倍、人間の死体を恐れるんですよ>
(それにしても、こんなので本当にいけるのか?)
<心配無用です。それでバッチリですよ>
それとは給湯室のテーブルに置かれたティーポット。
既に水で漱いで使用準備完了といったところだ。
それと、その横に陳列された数ある小さな瓶。
多分、リルドナが準備していた茶葉や香料が入っているんだろう。
――錯乱したリルドナを鎮める為に移した行動は……鎮静剤となり得るモノの作成だった。
と言っても、ゴテゴテな化学薬品を用意するのではなく、食品や香料といったモノの成分を組み合わせて調合するらしい。
何が、どう影響しあってそうなるかは、全くわからなかったが、
次々と飛んでくるリウェンの指示に従って分量通りに茶葉や香料を混ぜ合わせていく。
この動作の部分だけを鑑みるなら、火薬の調合にも見えなくもない。
<あ、水は汲まなくて大丈夫そうです?>
(うーん、ポット一杯分くらいは残ってそうだな、足りると思う)
……というか足りてくれ、足りなきゃ『あの惨状の現場』まで再び行く羽目になる。
<……では、まずはお湯を沸かしてください、沸騰するまで確実にです>
(あいよ、)
昨日、汲んであった水をヤカンへと移し火に掛ける。
なんとなく、リルドナが昨日やっていたことなので、勝手はわかった。
<でも、本当に良かったんですか?>
(あー、大丈夫だよ、自分でこういうことするとは思わなかったけど)
<いえ、そうではなくてですね。……アレはエインさんが彼から貰ったものなのでしょう?>
彼……アーカスさんから貰ったもの。
どの道、この仕事が終わったら返すつもりだったものだ。
(いいよ、別に使うつもりも売るつもりも無かったし。何よりもさ、リルドナの為に活用されるなら、アーカスさんもOK出したんじゃないか?)
<……、姉は人気者なんですね>
クスリと小さく笑ったような気配が伝わってきた。
<では、それを……ペヨーテを砕いて湯煎しましょうか>
たった一つしかない素材を慎重に扱うべく、俺は無意識に深呼吸をしていた。
「で、できたぁ!」
途中何度も火傷しそうになりながらも、無事に完成した。
ティーポットの中は赤紫色に染まった透明な液体で満たされている。
(……しかし、凄い色だな)
<まぁ、赤大根が入ってますし。そもそも食品の着色に使うぐらいですから、色は強く発色しちゃいますね。……でも、綺麗でしょう?>
(い、いや、そうなんだけど)
確かに『綺麗な色』なのだが、あまりにも色がきつすぎる。
飲料とした場合、これはあまりにも……喩えるなら…そう、絵の具を溶いたバケツの水のようなのだ。
(まぁ、香りは悪くないか……でも色がなぁ……)
<ちょっと色が独創的なお茶と思えばいいんですよ>
(紅茶ねぇ……何ブレンドって謳うつもりだよ?)
<そうですねーっ、『紫陽花の青虫』とでも名づけましょうか>
薬としてはとても効きそうな名前だが……『青虫』とか、飲まないで済むなら極力、遠慮したい名前だ。
そのネーミング思わず抗議しそうになったが……
――彼女の指し手の方が早かった。
<名前には意味があり、概念を成します。東洋原産の『紫陽花』という花があるんですが……こちらでしたら『水の容器』と呼んだ方がわかり易いでしょうか?土壌の酸性濃度によって色を変えるんですよ>
(酸性濃度で変色……?まるでリトマス試験紙だな)
<そうです。その様から、花言葉には『心変わり』が付けられています。転じて、『錯乱した心を変化させ鎮める』という概念で構成してみました>
思わず『なるほど』と相槌を打ちそうになるが、やはりこの辺のセンスはわからない。
俺の中では『酸性濃度を調べる試験液』というイメージが定着してしまった。
(なんか、飲むのに凄い勇気がいるようになってきたんだが……)
<あ~、大丈夫ですよ? 苦くならないように、たっぷりと蜂蜜も入ってますし――>
どうやら、相当甘くしているらしい。
さらに彼女は「それに」と言葉を続ける、
<飲むのは、わたしじゃないですから>
(そこはかとなく、ひでぇ……)




