10-7 それぞれの事情
給湯室を出てすぐ左手に廊下を進めば、すぐにそこが応接間だ。
別にやましいことは無いのだが、何故か息を潜めて静かに近寄ろうとしてしまう。
応接間の奥へと視線を伸ばせば、やはり暖炉の前に陣取ったアーカスを確認できた。
そのアーカスと向かい合わせに臨むローブを着た人物……あれは――
「……眼鏡、よねぇ?」
「だと、思う。スルーフさんだろうな」
応接間は廊下から直接繋がっていて、これといって遮蔽物もない。
こちらから向こうの様子が見てとれるということは、向こうからもこちら見えるということだ。
まだ、こちらには気付いていないかもしれないが、このまま盗み聞きするわけにもいかず、ごく自然に見えるよう挙動に気を配り話しかける。
「……あの、どうかしたんですか?」
「――ン、ムノーのあンちゃんか」
アーカスはつい今しがたまで目の前の男に向けていた敵意を弛緩させ、俺の方へと向きなおる。
感情をコントロールできる人間なようだ。突如現れた第三者にまで敵意に巻き込まないように配慮している。
「――っ!ムノーくん……」
慌てたようにスルーフが振り返る、最初からこちらを向いていたアーカスとは違い、背後からの完全に不意の突かれた形になったのだ、仕方の無いことだ。
そんな意味合いも含めて、俺は軽く頭を下げる。
「驚かせてすみません、声がしたもので……」
「いや、なんでも無いんだ……」
明らかに『なんでも無い』ことも無いうろたえ振りを見せる。
だからといって、そこを追求する気にもならなかった。
場の空気に耐え切れず、つい視線を外すと、テーブルの上に見覚えのある大皿があった。
大きさや模様やら、リルドナがサンドイッチを乗せて持ってきた皿と同種の物だ。
俺の視線を追ったのか、アーカスが嬉しそうに口を開く。
「コレか? へへ、イイだろぉー? ねーちゃン美味かっタ、サンクスだゼ」
アーカスがリルドナに礼を述べる、
つまりこれは、あのサンドイッチをアーカスにも振舞ったというわけか。
「あはははは、アンタの口にあったんなら、あたしも嬉しいわー」
「お前、どんだけ作ったんだよ……」
一体どれだけの量を作ったのか、
一度厨房へ行ってその残量を確かめてみたくもなった。
「まァ、ソイつァ……お気に召さカったヨウだがなァ」
アーカスの視線の先にはスルーフ、『ソイツ』とは彼のことだろう。
スルーフは居心地が悪そうに顔を背ける。
「うーん、何か苦手なモノとか入ってた?」
小首を傾げてスルーフに問いかける、その顔はチョッピリ落ち込みの色が滲んでいる。
怒ったり、照れたり、落ち込んだり。
つくづく忙しいお顔だと思う。
「いや、そういうわけでは無いんだがね……すまない」
耐え切れなくなったのか、スルーフは軽く会釈をすると踵を返した。
何か、俺には想像の付かない事情があるのかもしれない。
それを無理に知ろうとするのは、やはり無粋だと思う。
だが、そのまま立ち去ろうとするスルーフを俺は追ってしまっていた。
そして、階段を上がろうとするスルーフに声を掛ける、
「あの……」
「すまないね、気を悪くするつもりはなかったんだがね?」
スルーフは振り返り、すぐに謝罪の言葉を述べてくる。
追ってきては見たものの、話の切り口が見つからず、ついつい関係のない話から始めてしまった。
「あの、コレありがとうございました」
首に巻かれた紙帯を指差す、
スルーフが施してくれた……たしか治癒力促進の術式の符だ。
「礼には及ばない、むしろ君には謝っておきたい」
「謝る…?俺にですか……?」
理由がわからない。
何故、スルーフが俺に謝る必要があるのだろう?
「最初、君の事は……世間知らずな新米冒険者と思ってたんだ」
「いえ、あまり間違ってません……」
冒険者になって三年といっても、大した成果も上げていない。
はっきり言って新人も同然だ。
「本当に最初は…鍵開けだけをして、他のことはこちらに任せて報酬だけはしっかりと持っていく……そんな人間だと思っていた」
「いえ、それも正解です、そのつもりで臨みましたから……」
何か、耳が痛いぞ?
思い切り当たっていると思うが……
だが、スルーフはそう思わなかったらしい。
「いや、そんなことはない。実際には君は戦闘にも参加するし、回復魔法も使えた。そして本業の鍵開けの腕も見事なモノだった。つくづく、誤解して曇った目で見ていた自分が恥ずかしいと思ったんだがね」
「い、いえ、そんなこと――」
思わず言葉に詰まった。
俺の自身もスルーフのことを『軽薄そうな』という誤解をしていた。
人は第一印象でその人のイメージを決めて固定化してしまう
それが実際に会話し交流することでガラリと覆ることもある――今回はまさにその事例だった。
「それが理由と言うわけではないのだが、君に忠告させて欲しい」
「なんですか?」
忠告とはこれもまた穏やかじゃない気配だ。
「――彼女に気をつけるんだ」
彼女――それは間違いなく、今も応接間でアーカスと談笑しているリルドナのことだろう。
あの女に気をつける、それが何を意味するのか――
「あの『目』ですか……?」
俺の質問にスルーフは無言で頷く、
やはりな、と思った。
俺が思っている以上に『赤い瞳』というモノの確執は根が深いものらしい。
差別と偏見、そんなものが今でも存在することに憤りを感じた。
――それが表情に出てしまったのか、スルーフは慌てて話を付加える。
「私とて、瞳が赤いだけなら、頭の古い連中の妄信だと笑い飛ばしたんだがね。
しかし、彼女はそれだけでは無かった……特別な視覚の血系特性に、異常なまでの魔力の保有量、どれもが連中の妄信や妄言を裏付けてしまうんだ
あの瞳の光は……そう、あれは――」
<エインさん、黙らせて下さい――>
突如、リウェンの声が割って入り、
俺は反射的に手をかざし、それ以上の発言を制止した。
「……すまない、やめておこう……君にとっては大切な友人だったな」
スルーフは少し戸惑いの顔を見せた後、深いため息を漏らした。
後になってから、失礼なことをしたのでないかと、心配になってくる。
「いえ、こちらこそ、すみません」
「私も、あれ程の美味い紅茶を淹れるお嬢さんが『そんなモノ』とは思いたくない。
願わくは、
――あの可愛らしいメイドが、可愛らしい少女のままであって欲しいと思っているんだがね」
そう語り、スルーフは踵を返し、階段を上がっていく。
そして、俺に背中を向けたまま、ポツリと呟いた、
「――そうでなかったとき、君の身が心配だ……」
彼はそれ以上何も言うことなく二階へと姿を消した。
「なんだってんだよ……」
遺された言葉に得も言われぬ不安を覚え、
今一度、スルーフの語った言葉の意味を考察してみようと思ったが……
――彼女に意識を引き戻された。
<エインさん、どうして好き勝手言わせておくのです?>
(リウェンこそ、どうしたんだよ、怒ってるのか?)
<そんなの当たり前です、姉を悪く言われて黙って居られるとでもお思いで?>
そう、彼女は怒っているのだろう。
確かに口調もソレのモノとなっている……が、何か違う。
それは煮えたぎるような熱を持つ怒声ではなく、冷え切った声。
喩えるなら……喉元に宛てがわれた冷え切った金属の刃。
そういった、『冷たさ』と『危うさ』を内に秘めた、そんな声だった。
(気が利かなくて悪かったな。そこまで頭が回らなかったんだ、すまない)
<い、いえ……わたしもエインさんを責めたいわけでは……>
(ところで、さっき呼びかけて全然反応なかったけど…あれも怒ってたのか?)
<ち、違いますっ!私はそんな子供じゃありません>
やっぱり怒っていたらしい。
ちなみにソレは三回。
最初の通信の終わり頃と、リルドナのホワイトブリムの時と、ロイの吸血鬼話の時だ。
三つ目のは、何かしらの要因で本当に通信が切れていたんだと思う。
<ほ、本当ですよ?
わたしだって四六時中、通信術式の媒体の前に座しているわけじゃないんですから>
(それも、そうか。リウェンだって夜は寝るだろうし、食事も摂るだろうし――)
トイレにも行くだろうし……はあえて伝えない。怒られそうだ。
<そうですよ、昼間だって急に自動警告に極めて大きな反応があったので慌てて音声をオンにしたら『ネコ踏んで死ね、オルァァァァァ』とか聞こえてきて、もう何がなんだか……>
……。
どうやら彼女には『ピンクの剥きエビ事件』の真相は伝わってないらしい。
いや、あえて伝えたいとも思わない!
ともかく、リウェンもこちらの様子を知るにはそれなりの労力を払っているようだ。
垂れ流されてくる音声をのんびり聞き取っているというワケではないのだ。
<それより、ヤカンはいいんですか?>
「――あ、」
火に掛けたままのヤカンのことをすっかり忘れていた。
俺は慌てて給湯室へと駆け込んだ
――幸い、まだ水は沸騰し切ってなかったので、ヤカンの前でため息を漏らすだけで済んだ。
(サンキュー、リウェン。危なかったよ)
<いえいえ、――――、>
また通信は切れてしまったようだ。
もしくは、意図して切断したのか、そこはなんとも判別できない。
考えても仕方が無いので、リルドナに湯沸しの旨を伝えることにした。
応接間に戻ると、まだリルドナとアーカスは談笑していた。
俺がヤカンのことを伝えると、彼女もすっかり忘れていたらしく「ヤッバーっ!」と叫びながら、給湯室に消えていった。
今度は応接間に俺とアーカスが取り残される。
「すみません、お話中だったのに」
「いヤぁ、気にすンな。茶つーのは、沸騰させ過ぎルのもダメらしいからな」
笑顔でそう答える、
どうも先程からこの人はニコニコ上機嫌だ。
「そういやァ、ちゃんと自己紹介もしてなかっタなァ?」
そのまま彼は頼んでもいないのに身の上話を語り始めた。
やはり、見立てたとおり、西の新大陸の生まれらしい。
「っつーテも、半分だけ、なんだけどナ」
「半分……ですか?」
「ヤツにとっちゃア、遊びだったかもしれネーが、『オレ』がデキちまったんだから仕方ネーよな?」
「じゃあ、アーカスさんの母親って」
大航海時代に『発見された』新大陸は、あくまで一方的な見解でしかない。
そこにはしっかりと先住民が暮らしており、こちらが勝手に押しかけて侵略してしまったのだ。
つまり、アーカスの母親は、そして相手は……。
「そーいウこったァ、
ヤツはとっとと祖国へ帰っチまったが、カネだけは置いていってくれたのがァ救いかァ?」
「……笑って言うことなんですか?」
「ンなモン、気にしてモ仕方ネーだろォ?」
どうして、そこまで平気でいられるのだろう。
そんな生い立ちでさえも、跳ね除ける強さを感じる。
「まァ、ガキの頃は、苦労したゼ? なんせ売女の子だのなンだの散々だったぜェ」
「……」
集団には、やはり差別と偏見が付きまとう。
ここでも同じことがあるのだろう。
「だからかも知れねェーな、あのねーちゃンの赤い瞳だっけかァ?
この国の連中はヨぉ、アレをバケモノみてぇーに忌み嫌ってンだろ、胸糞ワリぃにも程があるゼ」
「俺も同意権です」
アーカスにとっては他人事ではなかったのだろう、ここでスルーフと何を話していたかはわからないが、大よその想像は付く。そしてそれが口論の火種になったのだということも考えられる話だった。
この人もやはりそうだ。
実際に話してみると、悪い人じゃない。
他人の不幸な境遇を自分に置き換えて、それに怒り向けられる。
出来た人間だと思う。
――だから、迷った。
アーカスとスルーフ、俺はどちらの味方すべきだろう……
どちらの意見も尊重したい。それは俺がまだまだ子供だからだろうか?
まだアーカスが何かを話しているが、もう上の空でしか聞いていなかった。
……大変失礼なことをしたと思う。
程なくして、リルドナに呼ばれたので逃げるように応接間を後にした。
「それにしてもさー、あれ何のケンカだったのかしらねー?」
「んっ、聞いてないのか?」
彼女は首を振る、もちろん横にだ。
ちなみに手にはティーポットと洗い直したティーカップ。
サンドイッチは俺が運ばされている。いや、自分から志願したんだった。
「だって、楽しそうに食べ物の話ばっかりしてくるんだもん、わかんないわ」
「いや、お前に合わせてくれてたんじゃないのか……?」
アーカスはリルドナに余計な気を遣わせない為にあえて話題を逸らしたのだろう。
この女は…頭は回らないが、気は回るらしく、
負い目を感じてしまったらズルズル引き摺るタイプだと思う。
「でも、あれよねぇ」
「はぁ?なにがだよ」
こういうときはきっとロクなことを言わない。
「あの二人、死亡フラグ立ったわねっ!」
「オイ、不謹慎なこと言うなッ!」
「だって、あの子から聞いたんだけど、
こういう状況って『くろっくさんくす』て言うんじゃないの?」
「――。もしかして…『閉鎖空間』のことか?」
「あー、ソレソレ。惜しかったわ」
惜しくねぇよ、と言ってしまっても、もう良かったかもしれない。
「まぁ、確かに。人の立ち入らない森の奥深くで、この雨で立ち往生だ。一応そうなるな」
「でしょ?
――で、『みすてりーのおやくそく』だと……
最初の晩で犠牲になるのは、やっぱり言い争ってるヤツらじゃないの?」
「縁起でもないコトも言うなっ!」
なんでこんな無駄知識ばっかり頭に入っているんだろう。
そこんトコどうなってんですか?妹さんよぉ……
(おい、リウェン。姉の教育がなってないぞ)
<……>
また、だんまりだ。
押してもダメなら引いてみよう。
(名探偵様、灰色の脳細胞から導き出される見解を聞かせて欲しいのだが……)
<え、はいっ。えーっとですね、まず閉鎖空間としてですけど。条件としては成立します、エインさん達十二人以外の人間が新たに訪れることも難しいですし、逆にそこから脱出しようにも、それも困難です。ですが、その反面は外界との隔離という概念が少し弱いかもしれません。夜はさすがに危険なので無理ですが、夜が明けてしまえば出られます。すぐ近くに目的地であるお屋敷もありますしね、そこに誰かが居れば、それだけで隔離性は損なわれます。
まぁ、そんなことはないと思いますけど。あくまで主張の逃げ道程度にしか閉鎖空間の隔離性を否定することはできません。ハッキリ申し上げます、そこからはそう易々と脱出できませんっ!
それと、姉の見立てたお二人の犠牲の説ですが、これも概ね王道と言えます。これが仮にアーカスさんだけ、もしくはスルーフさんだけの犠牲となりますと、生き残った方がすぐに容疑者候補になってしまうからです。真犯人が罪を被せる為のミスリードという線もありますが、それはこんな序盤から使う手ではないのです。やはり物語終盤でこそ使うべきです、古典的ですけどね。それとですね――>
どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
その後もリウェンの思念は止まることを知らず、
部屋に戻っても、ルーヴィックとチェスを再開しても、リルドナとサンドイッチを取り合いしても、ロイに冷やかされても――
一向に止まることはなかった。




