9-6 妹は天才棋士です
バタン、とドアを閉め、俺は大きくため息をついた。
いつから俺はこんなに女を泣かせるヤツになったんだ?
思わず逃げて来てしまったが、このカップどうしたものか。
後先考えずに動いてしまった自分に、思わずため息が漏れた、
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
その声に振り向くと、階段室の壁にもたれ掛かったヤツの姿があった。
「先にカップだけで持ち出してどうする?
リルに熱湯の入ったポットを素手で運ばせる気か?」
「……だよなぁ、また意地になってやせ我慢しそうだ」
リルドナの用意していたポットは銀製品だった、相当熱いに決まってる。
「冒険者として言わせて貰えば、その判断は冷静さを欠いている」
「ちっ、悪かったな」
「――だが、」
無表情の鉄仮面が、嬉しそうに自然な笑いを浮かべたように思えた。
「兄としては、礼を言いたい。――ありがとう」
彼は軽く目を閉じ、頭を小さく動かした、会釈か敬礼かどちらかはわからない。
「俺よりあやし方が上手い、そういう訓練でも受けたか?」
「よせよ、俺にも妹がいただけだ――」
自分で発したこの言葉で、ようやく気付いた。あの姉妹に対する感情の正体が……。
「……そうか、妹がいたんだな」
ルーヴィックはそう呟きながら歯切れの悪い言葉をつなぐ、
「それはそうと、二階の各部屋なんだが……」
「無理に話題を変えようとしてくれなくても大丈夫だ。さすがに三年前の話だし、ある程度心の傷は癒えてる」
なんだかんだで、この男は気の利くヤツなのだ。
「……事故か?」
「いや、病気さ。
元々身体が丈夫な方でも無かったし、ディケイ病っていう不治の病にかかっちまった。
俺にしてやれることって言えば、本を読んでやったり、カードゲームやボードゲームで遊んでやったり……そんなことくらいしかしてやれなかったな」
「……もしかしてチェスもやってたのか?」
「正解。女の子の遊びにしては意外だったけど、一番熱を入れてたのがチェスだったな。最初は俺が教えてやって、一応なゲームの形を取るだけだったんだが……子供って凄いよな、どんどん上達していっていつの間にか全く勝てなくなったよ」
「ふむ、面目を保つのも一苦労だな」
「全くだ……で、俺相手だけじゃ満足できないのか、読んでやった推理小説の影響か……瓶に手紙を封入したメッセージボトルを海に流したんだ。『わたしとチェスしてください』てな具合の内容でな……流したのは俺だけど」
「……なに……?」
ルーヴィックがピクリと反応する。
「しばらくして、文通相手が出来たみたいなんだ、それも郵便チェスをしてくれる親切な相手だ。なんか相当強いヤツらしくて、毎回ウンウン唸りながら次の手を手紙に添えていたな、棋譜に添って駒を並べているのを見たが、あれは――」
「待ってくれ、少し確認するが……お前はリルガミン出身じゃなかったのか?」
「はぁ?意味がわかんねぇよ、一言もリルガミン出身とか言ってないぞ?確かに登録したギルドはソコだけど」
なんでいきなり出身のことを話題に出すんだ?
「まさかとは思うが……ゼピック村ではないか?」
「そうだ…けど、なんでわかったんだ?」
ゼピック村は城塞都市リルガミンの北方に位置する小さな農村だ。
「メッセージボトルはラム酒の空き瓶だったのではないか?」
「そ、そうだったと思う」
なんでルーヴィックにここまでわかるんだ?
「お前の妹の名前は……『フェリア』であっているな?」
「……お前、なんでそこまで知ってるんだ?」
俺の問いには答えず、一冊の古びたノートを突き出してくる。
これは……例の棋譜帳?
ルーヴィックによって開かれたページには、やはり対局の記録――棋譜が記されていた。
例によって整いすぎた無機質なタイプライターで印字されたような文字が並ぶ。
かなり昔の対局のようだ……一手ごとに記された日付は四年前……から三年前にまで及んでいる。つまり長期の対局……郵便チェスなわけだ。
相変わらずヤツは相手に先手を譲り黒色なのだろう、『Rook』と記されている。
だが、それよりも目を引いたのが先手……白色の名前、
――Lord Herijar
一瞬、我が目を疑った……『フェリア…卿』……!?
「お、おい……お前の対局相手って……」
「……フェリア=エクレールという御婦人と認識していた」
間違いない、ルーヴィックと対局していたのは……。
「正直、驚いた。
まさか、お前の妹だったとはな……世間も狭い物だ」
「ていうかなんだよ、フェリア『卿』って、勝手に人の妹に爵位をつけるな」
こいつの敬意の示す基準は……まさか棋力成績じゃないだろうな……。
「連絡が着かなくなって、もしやとは思ったが……。
まさかお亡くなりなられたとは……実に惜しい棋士を亡くしたものだ」
「いや、故人を惜しむ気持ちは兄としてありがたいが……持ち上げすぎじゃないか?」
「……それで最期は看取ってやれたのか?」
「いや、病状が末期まで来ると、俺は隔離されて全く逢えなくなった」
妹の患ったディケイ病は、その名の通り身体が生きたまま腐敗する病だ。
進行の度合いが大きくなると、腐敗する肉体が、体内に蟲が這い回る幻覚を引き起こし、身体中を掻き毟る自損行動へと発展する。主に血管やリンパ管が集中する首などが顕著だ。
果たして、そんな姿を見せるべきでないと判断した母親は、俺は当然、父親ですら面会を謝絶した。
それは正しい判断だったのだろう、本人にとってもそんな姿を家族とは言え他人に見られたい筈も無い。
「……酷かったのか……?」
「直接は見てないから、ハッキリと言えないが……日に日に疲弊していく母親を見る限りでは……相当酷かったと思う」
「当時の俺は、そんな母親の配慮なんて理解出来てなかったから、面会謝絶に散々文句を言ったもんさ」
「何かしてやりたかった俺は、街まで出て、図書館で色々調べたんだが……収穫は『絶望』『諦念』って感情くらい。
所詮、たかが一六の子供が調べて解決するほど甘くないよな、辛うじて手にした情報は……伝説の霊薬『エリクシール』があれば、もしかすると……。
不確かなものに不確かな希望を乗せるという甘すぎる選択肢だよな」
「いや、霊薬の名前が出てくるだけでも大した調査内容だ」
「まぁ、名前がわかっただけじゃ、どうすることも出来なかった。どこにあるかもわからない、わかったとしても探しに行くことさえ出来ない、まだ高等部に進学したばかりの学生だったしな……だから――」
「……冒険者になったのか」
「そうだ。と言いたいところだが……実際に冒険者になったのは、フェリアが死んでからだ……完全に本末転倒だろ?」
全てが終わってからだ、遅すぎるだろう。
「それでも、俺は妹の墓前に……フェリアに霊薬を渡してやりたいんだ。
他人が聞いたら、自己満足以外の何物でもないだろうけどな、笑ってもいいぜ?」
「俺にそんな高等な機能は無い。
――が、代わりにそれを笑う者を斬り伏せる機能くらいはある」
「物騒なこと言うなよ」
二人してニヤリと人の悪い笑みを向け合うのだった。
「あのー、台車欲しいんだけど……」
そこに、申し訳なさそうな顔を浮かべたリルドナが、給湯室から顔出していることに気付くのに、少しばかり時間を要した……。




