6-6 そこに在る声
俺たちは仕事でこの森に来ていたんだ、決してピクニックに来たわけでも、林間アスレチックに興じるつもりも無かったし、伝説の木の下で告白を待つということも絶対ありえないはずだったんだ、
しかし、目の前の光景は…小柄な少女が敷きシートにチョコンと可愛らしく正座し、その膝の上でお弁当の包みを広げてノラネコ度・一二八パーセントの自由奔放の笑顔を振りまいている。
いつの間に俺は引率のトップブリーダーになってしまったのかと、
頭痛と人生相談を繰り交わしたのだった。
「やっぱり携帯食といえば、これよね!」
そう言う彼女の膝の上に広げられた包みの中身は…
白い握り拳くらいの三角形の物体だった。
「なんだそれ?」
「おにぎりよ、今朝早起きして、ご飯炊いたんだから~」
どうやら、今朝の早くから居なかったのはコレの所為のようだ、
白い三角形に黒い物が巻かれている、これも倭国の料理だろうか…?
「何を大層な……要するに白米を三角形に固めただけだろう?」
「な、なんですってぇ?!」
俺の言葉に彼女は明らかな不満の表情を見せる、
そして、凄まじい勢いで語り始めた、どうやら地雷を踏んでしまったようだ…
「いーい?おにぎりってのは、倭の国の米食の技術の結晶よ?
具の無い白にぎりでさえ調理スキル三十一を必要とするわ、つまり下級職人ね。中に具を入れたり海苔を巻くとなるとスキル九十四…つまり師範に認可された職人でなければ出来ないのよ?
大体ねっ?土台となるお米の扱いは精密作業そのものよ?
一回の理想の量は百十グラム…そうねぇ米二千三百から二千五百粒で回転させながら握るの、そのときの回転角は百二十度、三回で一周するわけよ、この時の圧力は三方向均等に三十七キログラム、強すぎると硬くて食べられないし、弱いと形が崩れてしまうわ、バランスが難しいの電子顕微鏡レベルの精密作業なんだからねっ。
たとえ、アンタでも倭の国の技術の結晶を侮辱することは許さないわよ?!ちょっと聞いてる? それでね?そもそもおにぎり歴史は――」
「すまん……っ、ストップだ!
頭痛と眩暈と混乱が華麗にアンサンブル決めてやがるから…
もう激しく大人しくして欲しいんだ……」
もう俺の発言も支離滅裂だった、
要するに心のライフはもうゼロなんだ…
それにしても…
あれだけ機関銃のように言葉を発していたにも関わらず、彼女は全く息を乱していない。
凄まじい肺活量だ、あの胸は肺で膨らんでいるんじゃないか?と思えるほどだ。
――お、おにぎりを食べてみたい、と言うと良いかも知れません――
また例の声が聞こえてきた、少々投げやりな色合いを感じる、
気力の失った俺は成すがままに従う、天啓でも幻聴でも構わない。
「おい、試しに少し食わせてくれ」
その言葉に彼女の顔から敵意が消える、
「あ、そう?んじゃコレ半分あげるわ」
そう言って手にした『おにぎり』一個を半分に割る、
俺は持参した干し肉とソレ(ていうか半分かよ)とトレード、
半分になってしまった正三角形は三角定規の形状だ、
その三角形の断面から何やら黒い具材が顔を覗かせている。
「なんだ、これ?」
「あ~昆布よ、
調理されてる奴だから味は付いてるわよ」
「ふむ~海草か……」
意を決して、パクリと俺はかぶりつく…
やや甘酸っぱくて、ライスと合う気がした、いけるかも
「これはこれでアリかも知れない、」
「ね、おいひいれひょ?」
彼女は半分に割った分は既に食べ、二個目のおにぎりに移行していた
…頼むから、女なら口いっぱいに頬張りながら喋るな。
ていうかな、喉細いから詰まるとか言ってなかったか…
「――っ!」
そして期待を裏切らずに、喉を詰まらせたようだった、
彼女は苦しそうにしながら、水筒に手を伸ばしている。
「貸せ、入れてやるよ」
俺は水筒のキャップ兼コップに水を注ぎ手渡す、
水と思ったらお茶だったのはお約束だな。
「――っぷ、はぁーーーっ」
「自分で喉詰まるとか言っててソレか?」
「やぁ~これが美味しいのよぉ」
彼女は目の端に薄っすらと涙を浮かべつつも笑顔だった、
なんとも無邪気に笑うものだ、コイツの歳が正直わからない。
最後の一個に取り掛かるべく、彼女が手を伸ばした時だった、
――危険です、すぐにその場所を離れて――
「――っ」
また聞こえる例の声に、俺は咄嗟に飛び退き、前方へと転がる。
そして回る視界に飛び込んできたのは――
先程まで俺の居た場所に突如生えた尖った物体、
それに加えて、蹴りを繰り出そうと片足を上げたルーヴィック…
なにやら「チッ」と舌打ちしているように見えるんだが…
「ちょっと、何よ?!」
彼女はおにぎりに夢中で一呼吸反応が遅れてしまったようだ、
さすがに地面からの襲撃に被弾こそはしなかったが、バランスを崩す、
「あ――っ!」
そして、手にしたおにぎりをコロコロと取りこぼす、
彼女はふら付きながらも、それを必死に追う、
「あたしの…おにぎりがぁ――っ!」
いや、リルドナよ…そこはもう諦めろ、
そもそも落ちた時点でもうアウトなんだ…
よもや拾って食おうと思ってないよな?
「うぉーいっ!どうした!?」
異変に気付き少し離れた位置からゼルが声を上げた、
「あぁ、もう!」
必死におにぎりを追跡しようとするが(なんとも締まらない文章だ)
先程の尖った物体が次々と姿を顕し、彼女の行く手を阻む。
そして、その物体の正体が判明する。
「カ、カニ?」
「デカイな、ブルーニッパーか?」
駆けつけたゼルが、疑問系だが襲撃者の正体を告げる、
確かに、青いカニだ…ただデカイ、デカイぞ?
その大きさは馬車の車輪ほど――より大きめといったところか、
先程の尖った物体は、このカニの鋏だったというわけだ。
「周囲を見張りやすいと思ったら、今度は下からかよっ」
ゼルは誰に言うわけでもなく愚痴を零した、
そんな彼に俺は問いかけた、
「襲われたのは、俺とリルドナだけです?」
「そーみてぇだな…
ったくあのねーちゃんが変な歌を唄うから寄ってきたんじゃねーか?」
「すみません、代理で謝ります……」
俺はまた頭痛が単身赴任してきて張り切っている気がした、
しかし、他の人間が襲われてないのは幸いだ。
そういえば、そもそもの張本人はどうした?
「うぉい……」
見れば彼女はまだ必死におにぎりを追っている、武器である太刀は敷きシートに座り込んだときに地面に置いてしまっているので…今は丸腰だった。
それでも彼女は武器よりも、おにぎりを優先しているのだ…反撃もせずに、ただひたすらおにぎりに意識を集中している、わが身よりもおにぎりが大事だと言う荷だろうか?(もうここまでで何回「おにぎり」て出てきた?)
「あれは――っ最後のお楽しみに取っておいた…」
彼女は必死に迫り来るカニの攻撃を避けながら手を伸ばす、
何に…とかはもう省く!
「梅干し入りなのよぉ!?」
「知るかーーーー!」
ダ、ダメだ…ツッコミに定評のあるエインさんもそろそろ限界だ…
この騒ぎを他の人間にも知られれば、さらに重い空気を満喫出来てしまう。
容赦なくカニは次々と姿を顕す――カニというのは肉食だ、そしてそのサイズからして人間は充分に「捕食対象」となり必然的に襲い掛かってくる、
いくらリルドナといえど、危険すぎるのだ。
「チィ、やりづれぇ…」
ゼルは槍を構えながら舌打ちをする、当然だ…カニとリルドナが不規則に動きあってヘタをすればカニとノラネコの串刺しが出来てしまう。
仕方なく、俺はショートソードを構え、極力彼女から遠いカニへと斬りかかる。
……。
そして、見てしまった。
もう少しでリルドナの手が「目的のもの」に届こうとする瞬間、ぐしゃりとカニの脚がソレを押しつぶしてしまったのを……。
「あああぁぁぁーーーーーーーー!」
それは悲鳴ともとれる声だった、彼女はこの世の終わりと予防接種の注射が同時に訪れたような悲壮の顔を浮かべ、その場に泣き崩れる。
「あたしの…おにぎりが……紀州の梅入りだったのにぃ……」
悲劇のヒロインよろしく泣き崩れるのは結構だが、この状況を作り出した張本人としてはそろそろ戦闘に参加して頂きたいものだ、
さっきも少し触れたが…今ここに居ない他の人間に知られる前に事態を収拾したいのだ、頼むからそろそろ現実を見てくれ。
「おーい、
頼むから動いてくれ、おにぎりの仇でもなんでもいい!」
「――っ」
彼女はハッと何かを感じ取ったのか、ピクリとその動きを起動した。
青いカニ――ブルーニッパーに俺は斬りかかるが、やはり予想を裏切らない、
ガキンと鈍い打撃音と硬く跳ね返される感触……つまり与えるダメージはゼロ。
無傷のカニはそのまま俺に肉迫し、その巨大な鋏を振りかざし――
「うぐぉ――っ」
強烈な水平方向の一撃に俺は吹き飛ばされる、受身を取ろうとするが無様に転がるばかりだ。
「なに、礼はいらんぞ」
「てめぇ…狙ってたな?!」
目に飛び込んでくる光景はやはり――
蹴りを放ったヤツと、鋏を刎ねられたブルーニッパーだった、
まぁ、リンクスと違って刎ねる首が無いからか。
ルーヴィックは足元の何かを拾い上げ、リルドナに声を掛ける、
「リル、受け取れ」
それは彼女の太刀、それをヤツは全力で投げつける――彼女に
俺は思わず声を上げそうになった…
だってそうだろ?ヤツは彼女の背後から投げつけたんだ、
投げられた太刀はそのまま彼女の後頭部に直撃――
しなかった。
彼女は振り返らず、そのまま後ろ手に太刀をキャッチする、
俺からは顔が見えない、だがその目はカッと見開かれていたに違いない、
息つく間もなく、彼女は抜刀しカニを横一文字になぎ払う、その一撃を受けた被害者は、まるで紙に描かれたカニがチョキンとハサミでカットされ真っ二つになるように、綺麗に横一線で分割される。
つまり、あんなに硬かった相手が嘘のように切り裂かれているのだ…
凄まじい怒気を放ちつつ、彼女は口を開く、
「アンタたちは三つの罪を犯した…」
あたかもミシン針が布地を穿つように青い甲殻に太刀が突き刺さり、
「一つ、あたしのおにぎりを潰したこと、」
素早く、その刃を引き抜き、振り向きながら後方の敵をなぎ払う、
「二つ、あたしのおにぎりを潰したこと、」
別のカニが回り込んで、鋏で掴み掛かろうとするが、
――その鋏もろとも、斬り捨てる。
「そして、三つ!
あたしのおにぎりを潰したことぉ!」
「全部同じだろぉ?!」
そんな俺のツッコミは当然届かない、あとはもう一方的な暴力だ、
瞬く間に残るブルーニッパーは哀れなカニの切り身へと変貌していった。
これは…アレだ――悲しみに打ちひしがれるヒロインの前に、どんな立派な主人公もなす術もなく降参してしまうのだ、それはごく当然の世界の摂理なのだ…。
「何なんだ、ありゃ…」
ゼルは激しく呆れ切って、すっかり警戒体勢を忘却していた、
俺も勿論同じ気持ちだった…
何なんだよ、この光景は?
魔物の棲む恐ろしい森じゃなかったのか?
なんでそんなところでピクニックまがいなお弁当タイムを過ごし、調子に乗った代償か…魔物(?)に見つかり、戦闘になったかと思えば、ノラネコのような女が勝手に八つ当たりして解決していく…
「おーい、何かあったのかい?」
遠くから声が聞こえた、ロイの声だ、
「なんでもねー、あのねーちゃんが暴れてただけだ」
「…そのまま過ぎますが、何故か模範的フォローに聞こえます」
ともかく、このまま何事もなかったように合流して、
彼らと見張りを交代すれば丸く収まってくれるに違いなかった、
――危険です、すぐにその場所を離れて――
だったかな?あの声でまた救われたのだろうか、
…ゼルはスタスタとロイの声のした方へと行ってしまう。
――危険です、すぐにその場所を離れて――
確か、こういうフレーズだったはずだ、
なんでこんな声が聞こえるようになったのだろう?
いや、これは聞こえているという認識でいいのだろうか?
――危険です、すぐにその場所を離れて――
と聞こえている、というより意識に響くと言うべきか?
不思議な声には違いなかった。
――お願いです、もうその場所を離れて!――
「――え?」
少し違ったフレーズに切り替わった、そう切り替わったんだ。
今まで聞こえていた内容から切り替わった、
そう…ずっと知らせる声は訴え続けていたんだ…
カニを片付け(たのはあの女だが)、それで危機が去ったと思っていた。
声は訴え続けていたんだ……
何を?
――危険をだ、そして、「その場所は」とも言ってたんだ、
俺は見た、
自分が立つ地面が大きくうねり、まるで海で波と波が合わさり大きく高く、その正体を晒すように……ソレは起きた――




