4-5 お砂糖足りていますか?
夜、時計が無いので正確な時間は判らない。
そこにはある者が支配を進めていた。
静寂と暗闇。
街灯も何も無い森の傍らの小屋だ、当然誰かが灯りを点さなければ、月明かりしかない。
動物も草木も皆眠りに落ちる時間。
だが俺は眠って居なかった。
「……」
いつ目が覚めたのかは判らない、別に起きるつもりも用事もない。
気付いたらまだ夜だった、ただそれだけ。
この地に来て、僅か二日。
まだ、本格的に仕事が開始した訳でもないのに、長く時間を過ごした気がする。
――理由?
それは判りきっている、あの兄妹のせいだ。
出会ってから、ずっと行動を共にしている。
冒険者になって三年になるが、今までこれほど同行をした人間は居なかった。
常に俺の傍らで何かをしでかす。
良く言えば俺を退屈させない。
今日一日だけ振り返っても、
馬車で騒ぎ、
目隠し対局をし、
到着するなりチェスを指し、
夕食の食材を狩りに行き、
そしてその夕食には、あの二人の傭兵まで巻き込んで騒ぐ。
実に目まぐるしい。
出会ってまだ二日だと言うのに、まるで家族が出来たようだ。
「ちっ…」
考え出すと止まらない。
水でも飲みに行こうかと思った、その時
――カチャ。
「!」
不意に扉の開く音が耳に入る。
この部屋じゃない、向かいのリウェン達の部屋か?
思わず息を殺しながら、静かに廊下の様子を伺う。
薄暗い廊下に視線を走らせる、
しばらく考え事していたお陰か、闇に目が慣れている。
廊下をユラユラと歩く白い後ろ姿――リウェンだった。
――こんな夜中にどこへ?
リウェンはそのまま外へ出て行ってしまう。
こっそりと後を尾行る罪悪感はあったが、好奇心の方が勝ってしまった。
月明かりを頼りに静かに追う。
そこは静寂が支配する世界、虫の鳴き声が妙に大きく聞こえる。
視線を巡らせると、森に歩を進める白い影。
――おいおい、森に入っちゃうのかよ。
リウェンに習い、俺も森へ足を進める。
しばらく進むと、少し開けた場所にでた。
周囲は木々に囲まれているが、頭上を遮る木は無く、星空を眺めるには持って来いだ。
――居た。
その中にリウェンの姿を認める。
一際大きな切り株に腰掛け、空を見つめている。
月明かりが彼女の顔を照らす、その表情は暗い。
次第に明かりは増していくが、やはり照らし出された彼女の顔は暗い。
――!
月明かりが増す…だと?
注視すると、そこには青白い光の球がフワフワと舞っている。
その数は次第に増えているようだ。
パキッ…
「…!」
――しまった!
木の枝か何かを踏みつけてしまったようだ、微かな音だったかもしれない、
しかし静寂の支配するこの場ではあまりにも盛大だ。
「いっ…!」
いつの間にか、光の球に包囲されている。
俺の周りを緊迫した空気が迫る。
青白い光の球――ウィル・オ・ウィスプというヤツか?
腰に手を回す…武器は無い。
当たり前の話だ、先程まで寝ていたんだ。
そもそも、コイツらに物理的な攻撃が通るのか?!
光球は尚も迫る。
迎撃も逃走も出来ない――!
「――お止めなさい」
透き通るような声が突き抜け、緊迫した空気が溶ける。
包囲が解かれ、光球は去っていく。
そこに残されたのは、俺とリウェンのみ。
彼女は俺に微笑み掛けていた。
もうその顔には先程の暗い影は無い。
「フェアリーリングを目撃したら、そのまま見なかったことにし、立ち去るべきですよ?」
「フェアリ…?」
聞きなれない単語だった、妖精の輪?
俺の疑問を置き去りにし話は続く。
「森の夜は、皆寝静まる時間、そして妖精達の宴の時間でもあります。
彼女達はただ楽しく踊っているだけ、もし見かけても、そっとしておいて上げてください」
「今のは、妖精だったのか?」
規律を失くした思考の濁流を抜け出して、ようやく絞り出たのがその程度の言葉だった。
「そっと抜け出してきたつもりだったんですが…起こしちゃいましたか?」
「ご、ごめん、盗み見するつもりはなかったんだけど……」
どう言い繕っても、弁解に値する言葉は見つからない。
そんな俺を見透かしてか、彼女はクスリと笑う。
「こっの野次馬ぁ、やらしいわねぇ」
「――えぇっ!?」
「どうです?似てましたか?」
悪戯っぽく舌をペロリと出して笑う。
恐ろしいまでに似ている、さすが姉妹というところか。
――が声は似ていたが、表情までは似ていない。
「百点満点だ…勘弁してくれ」
「はい、畏まりました」
あまり心臓に良くない真似だ。
相変わらず優雅に微笑み続けている。
次々と湧き上がる疑問に整理券を配り、口を開く。
「今の妖精なんだよな?」
「はい、性質的にそうです、妖精の霊格が少し上がった者で、『ブラオ・アウゲン』と言われてます。」
「ブラオ…確かに青いな」
先程の光景を思い浮かべる。
非現実な幻想的な絵だった。
「いろいろ呼び名はあるんですが、ブルー・アイだったり、ブラオ・スフィアだったり、意味はさほど変わりませんね」
「てっきり、ウィル・オ・ウィスプかと思ったよ」
その言葉にリウェンの顔に影が差す。
「その表現も間違ったものではないでしょうね」
「その表現『も』?」
「結局のところ、人間が勝手に付けた名前ですしね、光る球ならウィル・オ・ウィスプで括ってしまうのも仕方ありません」
確か読んだ本では、
妖精が変異したものとも、浮かばれない幼い子供の魂とも書いてあった。
では、そういうモノに囲まれていたリウェンは一体?
そして、何故俺を包囲した光球はリウェンの声で去ったのだろう。
今すぐ聞きたかったが、夜の森は予想以上に冷える。
明日の朝には出発しなくてはいけない。
いつまでも夜更かししているわけにもいかないんだ。
「それはともかく、早く戻らないと、明日出発だろう?」
「いえいえ、全く以って心配は間に合ってますよ?」
右手の人差し指を立て、得意げにポーズを決める。
これはこの子のアイデンティティなのだろうか。
「わたしは行きません…ここでエインさん達の帰りを待とうと思います」
「えっ?」
「夕方、森で兄と二人になった時に、相談して決めました」
「そ、それでいいのか…?」
「はい?」
「それでいいのかよ、なんで一人で留守番なんだよ」
「悲しいですが、私は足手まといになってしまいますので」
なんだか投げやりに聞こえる言葉。
リウェンを足手まといだなんて認めたく無かった。
俺も負けずに食らい付く。
「そんなことないだろう?」
「わたしはすぐにポテポテ転ぶ女ですよ?
エインさんだって判ってらっしゃるでしょう?」
気のせいか、言葉の端々にトゲがある。
リウェンらしからぬ口調だった。
「転ぶ姿だって考え方を変えれば、可愛らしいじゃないか、ちょっとお茶目な個性とも言えるじゃないか?」
「それ…本気でおっしゃっているんですか?」
気のせいか、リウェンの声が震えている。
踏み込みすぎたかも知れないが、止まらない。
「お世辞でもないよ、そういう面も含めて充分魅力的な女の子だと思うよ」
「……」
俺の言葉にリウェンは顔を伏せてしまった。
勢い余ってとんでもなく、恥ずかしい事を言ってしまった気がする…。
魅力的ってなんだよ、愛の語らいをしてるんじゃないんだぞ。
しかし、俺の心配を他所に、リウェンの反応は予想に反していた。
俺の恥ずかしい台詞に照れる訳でもなく――
「…なたに」
「え…?」
彼女は身体を震わせ何かを呟いているようだった。
吹き抜ける風の音で上手く聞き取れない。
「リウェ――」
声を掛けようとした、その時。
伏せていた顔を上げ、言葉を発する。
大きな青い瞳が俺を射抜く。
「あなたに何がわかると言うのですか?!」
それは今まで聞いたこともない、初めて聞く怒気を孕んだ声だった。
彼女は、身体を震わせながら、俺を睨みつけている。
その目に涙が浮かんでいた。
――どの場面だった?
彼女が涙を浮かばせているのは、どういう場面だった?
それは…ああ、そうだった。
――転んだ時だ。
「わたしだって、好き好んで…こんな身体――」
言葉を詰まらせ、大きく肩で息をしている。
転んだ時に浮かべる涙の理由を考える。
痛いから?
おそらく違う、外的なモノじゃないと思う。
それはきっと、「悔しさ」
リウェン自身、自分の不器用さは自覚しているはずだ。
十代半ばの女性が、幼児のようにポテポテ転ぶ醜態。
自分一人の時はいいだろう、だがそれを他人に目撃されたら?
悔しいとも情け無いとも取れる感情を抱くのでは無いだろうか。
――リウェンは只々、どうにもならない不器用な身体が悔しかったんだ。
「……」
「…」
重い沈黙が流れる。
彼女はまた顔を伏せ、その場に立ち尽くす。
秋の夜の冷たい風に煽られ、リウェンの服が揺らいでいた。
俺は一つの仮説を紡ぎだす。
不器用な身体。
合わない精神年齢。
それを不本意とし、恥じる行動。
そして今聞いた「こんな身体」という発言。
不器用なのは生来のモノではないのでは?
リウェンは幼くして、大きな病気か事故で…
それこそ長い時間意識不明の重症だったのでは?
身体も完全に回復していなくて、日常生活に支障をきたすほどに。
精神年齢が合わないだけなら、世の中普通に居る。
それを自覚し、恥とし、なんとかしようと奮闘する。
それがこの理由なのではないだろうか?
わからない。
確認できない、確認してはいけない…。
そんな気がする。
俺に何がわかると言うのだろう。
俺に何が出来ると言うのだろう。
とんだ思い上がりだった。
彼女の顔がこちらに向き直る。
どうしようも無い欠点を、無責任にも俺は個性として称してしまった。
軽率な自分の発言を悔やんだ。
だが俺の後悔と自責の自問自答は、突如打ち破られた。
「エインさんは、お砂糖どれくらい入れますか?」
「え?」
咄嗟に判断しかねる質問だった。
「紅茶に――ですが、
わたしも勿論入れますよ? さすがにそのまま飲まないです、お子様ですから」
「お、お子様だなんて…」
「不思議ですよね、お茶の味にうるさい癖に、甘味が無いと飲めないんですから」
「い、いや、俺も砂糖入れないと飲めないな」
「わたしも姉も、甘い物が大好きですから、ついつい入れちゃうんですよ」
クスクスと笑い、そこで一旦言葉を切る。
短くない時間、月を眺め深く息を吐き、ようやく口を開いた。
いつのまにか、よく見慣れた優雅な笑顔に戻っている。
「――でも、入れるのは角砂糖一個、二個入れたくなりますけど我慢です。
甘い物は好きですが、入れすぎてお茶の味すら判らなくなるのはダメです。」
何の喩えをしようとしているか判らない。
下手に横槍を入れるわけにも行かない。
何よりも思考が着いていけない。
必然的に俺は完全に聞き手に回る。
「幸せもそんな物なんだと思います。」
「え?」
「エインさん、わたしは不幸に見えますか?」
「それは――」
嫌な質問だった、
どちらの答えだしても不正解になる気配がする。
「こんな身体、不幸以外なんでもないでしょう。」
リウェンの顔が毒気に染まる。
俺は見たくないモノだった。
「こんな身体になってしまったことを呪いました、元気に走り回れる姉を妬みました」
なんでそんな事言うんだ。
聞きたくない。
「そして、何よりもそんな自分の醜い心を恨みました」
「もうやめてくれ!」
耐え切れず大声が漏れる。
「苦いでしょう?とても飲めたものではないでしょう?」
尚もリウェンは詰めて来る。
息が…できない。
威圧される…まるでヘビだ。
「だからお砂糖入れちゃえばイイんですヨ」
「へ?」
今まで圧し掛かっていた重圧が霧散する。
それほどまでに、呆気らかんとした声色。
「だからお砂糖です」
「俺にわかるように話してくれ…」
「うーん、そうですねぇ…わたしの場合ですと、
確かに身体のせいで不幸だったかもしれませんが、姉が居てくれました」
事あるごとに、妹を心配するリルドナを思い返した。
そうだな、あいつはいつも心配してたな。
「姉は…いつもわたしの事を優先してくれました、身に余るお砂糖です」
「やっぱり難しいぞ…」
「本当に幸せなら、その事にすら気付かないんでしょうけどねぇ」
「それも…そうか」
「こんな身体だったからこそ、姉の心遣いに感謝できているのかもしれません」
これは間違いなく本当のことだろう。
リルドナがリウェンの支えになって今まで生きて来たのだろう。
「エインさんは、お砂糖足りていますか?」
俺が幸せか、ということか…。
考えたことも無かった。
「答えられないってことは、足りているということですよ」
すっかり煙にまかれてしまった感がある。
何が言いたかったはわからないでも無いが。
「コレ、私を覗いてた罰ということで」
「勘弁してくれよ…」
また悪戯っぽくペロリと舌を出して笑う。
何処まで本気で何処まで辛かっているのか、
間違いなく、この子はあの兄妹の妹だ…。
すっかり冷え切ってしまった身体を小屋へと向ける。
リウェンを連れて戻るとしよう。
いくらなんでも夜更かしし過ぎだ。
もう休もう、考えるのも辞めよう。
空には青い月、
俺には何故か、不気味に見えた。
塗り潰していた不安が再燃する感覚を覚える。
また心が晴れなくなっていた。




