第51話 赤ずきん 募集中
第51話 赤ずきん 保護者、募集中
正月休みが明け、赤ずきんがまた学校へ通い始めた頃、僕の仕事机に一枚の紙が置かれていた。
動画の修正箇所を書いたメモの上に、きっちり四つ折りで載っている。開いてみると、小学校の授業参観のお知らせだった。来週の金曜日、五時間目。授業内容の欄には、『作文発表・わたしの家族』と書かれていた。
戸口を見ると、赤ずきんが立っていた。ランドセルも下ろさず、こちらをじっと見ている。
「これ、持って帰ってきたんだ」
「……配られた」
「母さんにも見せた?」
「まだ」
僕はもう一度、紙に目を落とした。授業参観なんて、自分が教室の前を向いて座っていた頃以来だ。後ろに親がいるだけで、普段なら答えられる問題にも手が上がらなくなったのを覚えている。
「家族の作文、読むんだって?」
「……読む」
「へえ。僕のことも書くの?」
赤ずきんは答えず、紙の右下を指差した。出席する保護者の名前を書く欄がある。
「明日まで」
「提出が?」
「うん」
それだけ告げると、赤ずきんは廊下へ出ていった。いつもならそのまま台所へ向かう足音が、戸のすぐ向こうで止まっている。
僕はパソコンの予定表を開いた。金曜日の午後に用事はない。修正の仕事も、午前中に終わらせれば大丈夫そうだった。
「僕が行ってもいい?」
廊下の向こうで、靴下が床を擦る音がした。
「……来てもいい」
「じゃあ、行くよ」
「静かにしてて」
「まだ何もしてないんだけど」
赤ずきんは顔だけ覗かせ、念を押すようにもう一度、僕を見た。それからようやく、台所へと歩いていった。
その日の夕方、赤ずきんと「たいせい」で早めの夕食を取っていると、隣の席の亀が、僕の書いている紙を覗き込んだ。
「なんや、学校から呼び出しか」
「授業参観。赤ずきんが作文を読むんだって」
「ほお。そら、ちゃんとして行かなあかんな」
亀は椅子に座り直し、急に重々しい顔を作った。
「えー、本日は、日頃より格別のご指導を賜りまして――」
「僕が挨拶する時間はないよ」
「いざ振られたら、どうすんねん」
「何を想定してるの」
向かいの赤ずきんは、聞こえないふりをして、とり天に箸を伸ばした。その隣へ、撮影帰りのカグヤが腰を下ろす。
「なになに、参観日? 斗話、その服で行くの?」
「これじゃ駄目?」
「駄目じゃないけど、袖、伸びてる」
言われて手首を見た。確かに、部屋着にしているトレーナーは、袖口がすっかり緩んでいた。
「じゃあ、スーツかな」
「振れ幅。襟ついてるシャツとかないの?」
「それならあるけど」
「じゃ、それ。あと寝癖」
カグヤが僕の頭を指差した。朝に直したはずの髪が、いつの間にか、また立っている。赤ずきんはそれを見て、小さく頷いた。
「……そこ」
「そこを心配してたのか」
注文を取りに来たうらちゃんまで、僕の頭を見た。何も言わなかったが、その沈黙が一番こたえた。
「作文は、どんなことを書くんですか?」
うらちゃんが話を変えてくれた。赤ずきんは箸を止め、少し考えてから答える。
「……家の人のこと」
「それなら、お母さんと斗話さんですね」
「一緒にご飯を食べる人とか。世話してくれる人とか」
その言葉を聞いた亀が、ぴくりと首を動かした。
「わい、こないだ、ぐらついとった机直したな」
「僕は、よくご飯を作ってます」
「あたし、学校で写真撮ってあげたよね」
赤ずきんが、ゆっくり三人を見回した。
「……だから?」
誰も、すぐには答えなかった。僕は出席欄に自分の名前を書きながら、急に増えた保護者候補を見渡した。
「自分が作文に出てくるか、気になってるんだろ」
「いや、別に、そういうわけやないけどな」
「僕も、別に」
「あたしは気になる」
カグヤだけが正直だった。赤ずきんは三人から皿を遠ざけるように引き寄せると、残ったとり天を口に入れた。
「……当日のお楽しみ」
「行ってええんか?」
亀が身を乗り出した瞬間、赤ずきんは首を振った。
「呼んでない」
「期待させる言い方するやん……」
そこへ店の戸が開き、金太郎が入ってきた。寒空の下で仕事をしてきたらしく、肩から白い湯気が立ちそうなほど、体が温まっている。
「何の話ッスか?」
「赤ずきんの学校に行く話。斗話が」
カグヤが最後を強調したが、金太郎は気に留めず、勢いよく頷いた。
「学校! 腕相撲なら、子供にもちゃんと手加減するッス!」
「腕相撲をする日じゃない」
「じゃあ、何で勝負するんスか」
「作文」
金太郎は口を閉じた。しばらく考えたあと、赤ずきんの肩に、そっと手を置く。
「……頑張ってほしいッス」
「急に頼りなくなったな」
僕が言うと、金太郎は椅子に腰を下ろし、うらちゃんに定食を二つ頼んだ。勝てない分野からの撤退だけは、実に潔かった。
その晩、赤ずきんは食卓で作文を書いていた。
僕が風呂から上がると、原稿用紙に覆いかぶさるように両腕を広げた。湯上がりでぼんやりしていた僕は、その勢いに少し驚いた。
「見ないって」
「……見る顔だった」
「どんな顔だよ」
台所から、母が笑った。僕の分の麦茶を出しながら、赤ずきんの隣を通り過ぎていく。
「さっきから一生懸命よ。消しゴム、半分くらいなくなっちゃうんじゃないかしら」
「そんなに書き直してるの?」
「……漢字」
赤ずきんは原稿用紙を隠したまま、ノートを一冊、こちらへ滑らせた。端の方に、鉛筆で『とわ』と書かれている。
「名前。もう一回」
僕は椅子に座り、ノートの空いたところへ『斗話』と書いた。彼女は僕の指先をじっと見てから、ノートを引き戻す。
「話す、の字は難しかったら、ひらがなでも――」
「書く」
「そうか。じゃあ、ゆっくりでいいよ」
赤ずきんは頷き、一画ずつ確かめながら鉛筆を動かした。僕はしばらくその横に座っていたが、原稿用紙へ視線をやる前に、母に肩を叩かれた。
「ほら。お邪魔虫は、仕事に戻って」
「まだ見てないよ」
「見たい顔してるもの」
どうやら、僕は顔に出やすいらしい。
立ち上がりかけたところで、赤ずきんが僕の袖を掴んだ。
「……途中で、帰らない?」
「参観日のこと?」
頷く顔から、さっきまでの警戒心が消えていた。僕は椅子を引き戻し、赤ずきんの方へ向き直った。
「最後までいるよ。仕事も、その時間は空けてある」
「電話が来たら?」
「音、切っておく」
「急ぎでも?」
「その日は、君の作文を聞く予定を先に入れたから」
赤ずきんはしばらく黙っていたが、やがて袖から手を離した。
「……じゃあ、後ろにいて」
「うん。後ろで聞いてる」
返事をすると、彼女はまた鉛筆を握った。母はもう何も言わず、消しゴムの屑を、手のひらでそっと集めていた。
金曜日の午後、僕はシャツの襟を直しながら、学校の玄関に立っていた。
朝、寝癖は三回確認した。赤ずきんにも見てもらい、「……よし」と許可をもらった。出かける直前、亀から長い挨拶文が送られてきたが、それは読まずにスマホを鞄へしまった。
受付を済ませ、借りたスリッパに履き替える。廊下には子供たちの絵が並んでいて、その中に、赤い頭巾をかぶった人物が巨大な獣と向き合っている絵があった。
題名は、『みんなをまもった日』。
獣の方は、どう見てもウリ坊ではなかった。牙が長く、背中からは、なぜか炎まで出ている。その横で、小さな子供たちが両手を上げていた。
描いた子の名前を見ると、赤ずきんとは別の名前だった。
「その絵、うちの子が描いたんです」
隣に立った女性が、少し恥ずかしそうに言った。
「毎回、猪が大きくなるんですよ。最初に聞いたときは、犬くらいだったんですけど」
「次は、山より大きくなりそうですね」
「本当に。赤ずきんちゃんのおうちの方ですよね? いつも仲良くしてもらって」
挨拶を交わしながら、僕はもう一度、絵を見た。獣の大きさはさておき、前に立っている赤ずきんの足は、しっかり地面についていた。
教室に入ると、何人かの子供たちが振り向いた。その中の一人が「あ、釣れない人だ」と言い、僕は思わず足を止めた。
「……どういう紹介をされてるんだ、僕は」
窓際の席で、赤ずきんがこちらを見ていた。口元だけ、わずかに緩んでいる。
僕は後ろの壁際に立ち、小さく手を上げた。彼女は手を振り返さなかったが、机の端を握っていた指を離し、前へ向き直った。
チャイムが鳴り、先生が黒板に『わたしの家族』と書いた。教室の後ろが静かになると、今度は子供たちの方が、落ち着かなくなった。振り返る子、原稿用紙を机の下へ隠す子。赤ずきんも、膝の上で両手を握っていた。
「では、発表してくれる人はいますか?」
先生の問いに、すぐ上がる手はなかった。
赤ずきんが一度だけ、こちらを見た。僕は頷き、鞄を足元に置いた。もう帰らない、と伝わればいいと思った。
小さな手が、ゆっくり上がった。
「はい。赤ずきんさん、お願いします」
椅子を引く音が響いた。原稿用紙を持って前に出た彼女は、両足を揃え、紙の上へ目を落とした。いつもの名乗りも、狩人の構えもない。
「……わたしの家族」
最初の声は小さかった。けれど次には、教室の後ろまで届いた。
「うちの斗話は、朝、なかなか起きません」
僕は、思わず姿勢を正した。




