第44話 主人公の意地と意地
裏山の切り開かれた一角に、二つの人影が向かい合っていた。
金太郎の手には、木で作られた大きなマサカリ。桃太郎の手には、同じく木製の刀。どちらも、この日のために亀が作ってくれたものだった。
「怪我させるなよって、言われてるからな。せめて、これで手加減してくれや」
亀のそんな言葉を思い出しながら、僕は少し離れた木の陰から、その様子を見守っていた。観客は、僕以外に誰もいない。木々の隙間から差し込む冬の弱い光が、二人の間の乾いた地面を薄く照らしている。静まり返った山の中に、緊張感だけが張り詰めていた。
風が止んだ。
鳥の声さえ、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「……始めるか」
桃太郎の一言を合図に、二つの影が同時に動いた。
最初の数合は、圧倒的に桃太郎が優勢だった。無駄のない太刀筋が、金太郎の懐に何度も入り込む。踏み込みの速さ、間合いの読み方、どれを取っても、場数の違いは歴然としていた。
「くっ……!」
じりじりと押し込まれていく金太郎。木刀の切っ先が、頬すれすれをかすめるたび、僕は思わず息を止めた。だが、金太郎の目には、まだ諦めの色は微塵もなかった。むしろ、押されれば押されるほど、その瞳の奥に宿る光は、強さを増していくように見えた。
「まだ……まだッス!」
防戦一方になりながらも、金太郎はなんとかマサカリで受け続けていた。木と木がぶつかり合う乾いた音が、何十回と山にこだまする。
そして、次の一撃。
金太郎が、これまでとは明らかに違う踏み込みで、地面を蹴った。全身の筋肉が、一瞬で膨れ上がったように見えた。
「うおおおおおッス!」
渾身の力を込めて、マサカリが振り上げられる。
桃太郎も、それを真正面から受け止めようと、木刀を構え直した。
両者の武器が、真正面からぶつかり合う。
バキンッ、という乾いた音とともに、木刀とマサカリが、同時に真っ二つに砕け散った。破片が、乾いた地面に散らばっていく。
しん、と、一瞬だけ、あたりが静まり返った。
「……ここからッス」
武器を失った手のひらを見つめながら、金太郎が、不敵に笑った。
二人は、そのまま素手での殴り合いへと移行した。
桃太郎の拳は、鋭く、正確だった。的確に急所を狙い、最小限の動きで最大の効果を引き出す。まさに、戦いに慣れきった者の拳だった。
だが、金太郎の一撃は、ガードの上からでも、骨まで響くような重さを持っていた。木こりとして振るい続けてきたマサカリの重み、相撲大会で見せたあの馬鹿力が、そのまま拳に乗っている。
「なんで、そんな……冷めてんだよ!」
攻撃を続けながら、金太郎が、抑えきれない感情を吐き出すように叫んだ。
「童話の里でも、こっちの世界でも、日本の童話っつったら、一番に名前が挙がるのは、おめぇなんだよ!」
「……」
「俺だって、有名は有名だ。でも、お前には、いつも一歩、及ばねぇ……!」
その言葉に、僕は、思わず息を呑んだ。確かに、金太郎という名前は誰もが知っているが、日本を代表する昔話を一つ挙げろと言われたら、多くの人が「桃太郎」と答えるだろう。それは、僕自身も、どこか納得してしまう感覚だった。
「そのくせ、いつも澄まし顔で、興味ねぇって顔しやがって……! ムカつくんだよッス!」
金太郎の拳が、次々と桃太郎に叩き込まれていく。額に汗を浮かべながら、それでも一切の手を緩めない。その一撃一撃に、積もり積もった劣等感と、それでも消えない憧れが、同時に込められているようだった。
「……お前に」
押されながらも、桃太郎が、初めて感情を露わにした声を上げた。
「終わらない殺し合いを続ける気持ちが、わかるか」
「……」
「家族にも、裏切られたことがある。家臣にも、裏切られたことがある。いつも、いつも……戦いの中に、身を置き続けなければならない気持ちが!」
その声は、これまでの静けさが嘘のように、荒々しく震えていた。拳を交わしながら、桃太郎の目には、初めて見る種類の光が宿っていた。怒りとも、悲しみともつかない、長い年月をかけて積み重ねられてきた何かが、堰を切ったように溢れ出していた。
「お前に、わかるかぁ!!」
積み重ねてきた戦いの記憶。数え切れない裏切り。誰にも見せてこなかったであろう、桃太郎の本音が、初めて、山の中に響き渡った。
僕は、木の陰から、その叫び声を聞いていた。あの「静」の桃太郎が、ここまで感情を剥き出しにする姿を、誰が想像できただろうか。
金太郎は、その叫びを、正面から受け止めた。
「わからない!」
迷いなく、そう即答した。
「だが、俺たちは……俺たちは、一人一人が主人公なんだろうがぁ!」
その声が、山全体に轟く。
「子供たちに、夢を与える存在なんだろうがぁ! だったら、もっと胸を張れよ! 主人公を、全うせんかぁ!」
その叫びとともに、金太郎の渾身の一撃が、桃太郎の顎を捉えた。
「……ッ!」
鈍い衝撃音が響き渡る。
桃太郎の体が、大きく宙を舞った。
僕の視界の中で、その体が、ゆっくりと弧を描いていく。地面に叩きつけられた桃太郎は、そのまま、動かなくなった。
乾いた土埃が、静かに舞い上がる。
木々の隙間から差し込む冬の淡い光の下、桃太郎は、天を仰いだ。




