第43話 宣戦布告
その夜、僕はたまたま「黒馬」に立ち寄っていた。カウンター越しに桃太郎がグラスを磨く姿を眺めながら、静かな時間を過ごしていたときだった。
引き戸が、勢いよく開いた。
「桃太郎! 決着をつけようッス!」
その勢いに、僕は思わず息を呑んだ。金太郎だった。
「……何の話だ」
桃太郎は、手元の作業を止めることなく、淡々と返した。その落ち着き払った態度が、逆に金太郎の闘志に火をつけたようだった。
「日本童話最強を決める戦いッス! おまえと、決着をつけたい!」
「それに、何の意味がある」
あまりにも冷静な問いに、金太郎は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに拳を握りしめ続けた。
「意味なんて、後付けでいいんスよ! ただ、俺は……ずっと、おめぇと戦ってみたかった!」
その声には、これまでのおおらかさとは違う、切実な熱がこもっていた。
「童話の中で一番強いのは誰か。童話の里 の頃から、ずっと気になってたんスよ。俺は、それを自分の力で証明したい」
その言葉に、僕は少しだけ、興味を惹かれてしまった。確かに、日本の昔話には、腕力自慢のキャラクターがたくさん出てくる。誰が一番強いのか、というのは、素朴でいて、なかなか答えの出ない問いだった。
桃太郎は、しばらく無言でグラスを磨き続けていた。
「……俺は」
やがて、静かに口を開いた。
「他の連中より、圧倒的に、戦ってきた回数が多い」
「え?」
「鬼退治だけじゃない。俺を題材にした物語は、いつの時代も、戦いばかりが描かれる。小説でも、漫画でも、な」
その言葉には、どこか、うんざりしたような疲労の色が滲んでいた。
「いい加減、戦いからは、離れたかった」
その一言に、店内の空気が、少しだけ重くなった。
だが、桃太郎は、ふっと視線を上げると、金太郎をまっすぐに見据えた。
「……だが。お前の目は、ただの興味本位じゃないな」
「当たり前ッス。俺は、本気ッス」
「なら、乗ってやろう。お前が最強で構わない。だが」
その声が、初めて、わずかに硬さを帯びた。
「やるからには、本気で戦う」
その一言に、金太郎の顔が、ぱっと輝いた。
「一週間後だ。それまでに、準備しておけ」
「うおおおおおッス!」
拳を突き上げて喜ぶ金太郎とは対照的に、桃太郎は再び、無言でグラスを磨く作業に戻っていった。
それから一週間、両者の準備は、対照的なものだった。
金太郎は、来る日も来る日も、いつも以上の勢いでマサカリを振り続けた。伐採所に響く音は、日に日に激しさを増していく。その筋肉も、これまでのボディビルダーのような分厚さから、より戦闘に特化した、しなやかで鋭い質感へと変化していった。
一方、桃太郎は、いつも通り、変わらぬクールさで「黒馬」のカウンターに立ち続けていた。決戦を控えているとは思えないほどの平常運転だった。
むしろ、そのイケメンぶりに惹かれて、桃太郎目当ての女性客が、目に見えて増えていった。
「あの、オススメのお酒をください♪」
「……ああ」
愛想のない対応にもかかわらず、その素っ気なさが逆に魅力になっているらしい。本人が望んでいないところで、勝手にファンが増えていく。以前話していた「周りが勝手にときめく」という構図が、まさに目の前で展開されていた。
「戦いの準備、しなくていいのか」
ある日、僕がそう尋ねると、桃太郎は、グラスから視線を上げずに答えた。
「意味がわからん、この戦いは」
「そう言う割には、承諾したよな」
「あいつの熱意に免じてだ。それだけの話だ」
その口ぶりは、あくまで淡々としていた。だが、その奥に、確かな覚悟のようなものが滲んでいるのを、僕は感じ取っていた。
(それにしても……)
僕はふと、桃太郎が語った言葉を思い出していた。「俺を題材にした物語は、いつも戦いばかりだ」という一言。
(もしかして、こっちの世界で作られる小説や漫画も、あっちの童話の里に、何か影響を与えてるんじゃないか……)
考えれば考えるほど、その可能性は、無視できないものに思えてきた。物語が、物語自体の在り方に干渉する。そんな不思議な構造が、この世界の裏には隠れているのかもしれない。
そして、決戦の日がやってきた。
場所は、裏山の切り開かれた一角。木々に囲まれた、静かな空間だった。
観客は、誰もいない。




