第38話 カナダの想い出
結局、王様は「別に構わぬ」の一点張りで、上半身裸のまま外に出ることになった。せめてもの抵抗として、僕は自分の上着を貸そうとしたが、頑なに拒否された。
「余の威厳を、そのような安物で隠そうというのか」
「安物とは言ってないですけど……」
押し問答も面倒になり、結局そのままの姿で、町を歩くことになった。
朝の澄んだ空気の中、上半身裸で王冠をかぶった中年男性と並んで歩く。これほど気まずい散歩も、なかなか経験できるものではなかった。
沈黙が続くのも落ち着かず、僕は当たり障りのない話題を探して口を開いた。
「そういえば、百年前は、どこに召喚されたんですか」
「うむ? ああ……カナダだな」
「カナダ?」
思いがけない地名に、僕は思わず聞き返した。
「北の方の、広い国だ。あそこの酒は、なかなか美味かったぞ」
王様は、懐かしむように目を細めた。先ほどまでの尊大な態度とは少し違う、しみじみとした口調だった。
「メープルシロップを使った酒があってな。あれは絶品だった」
「へえ、それは気になりますね」
「うむ。だが……」
そこで、王様の表情が、急に曇った。
「冬は、地獄だったな」
「冬?」
「あの国の冬を、甘く見ておった。今のこの格好では、五分と外にいられんかったわ」
真顔でそう語る王様に、僕は思わず吹き出しそうになった。上半身裸で真冬のカナダに放り出された王様の姿を想像すると、それはもう、地獄というより、ちょっとしたコントだった。
「服、着ればよかったのでは」
「余の威厳の問題だ! ……といっても、あの時ばかりは、さすがに毛布を巻いておったが」
どうやら、命の危険がかかると、威厳よりも生存本能が勝るらしい。ほんの少しだけ、この王様に人間味を感じた瞬間だった。
「その後は、どうなったんですか」
「ん? ああ……あちらの世界に、また戻ることになったな。あの寒さから逃れられたのは、正直、ありがたかった」
少し寂しげな響きも混じるその言葉に、僕はふと、この王様なりの複雑な感情があるのだろうと感じた。見栄っ張りではあるが、根っこの部分では、案外素直な人物なのかもしれない。
そんな話をしているうちに、僕たちは町の中心部に差し掛かっていた。
道行く人々の視線が、次々とこちらに向けられる。
「あら、まあ……」
「今日は、ハロウィンの続きかしら?」
この町の人々の懐の深さは、ここでもいかんなく発揮されていた。誰も、あからさまに驚いたり、非難したりする様子はない。せいぜい、微笑ましそうに見守るくらいのものだった。
しかし、そんな穏やかな空気を切り裂くように、一台のパトカーが、ゆっくりと僕たちの横に停車した。
「……ちょっと、そこの方」
窓を下げて顔を出したのは、制服姿の警察官だった。
「軽犯罪法、知ってますよね?」
その一言に、王様の顔から、みるみる血の気が引いていった。




