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第35話 声にならない声



 ハロウィン祭りの当日、僕は赤ずきんと手を繋ぎ、屋台の並ぶ町並みを歩いていた。


「あれも、食べたい」

「さっき食べたばかりじゃないか」

「……別腹」


 赤ずきんは、たこ焼き、りんご飴、フランクフルトと、次々に屋台を制覇していく。狩人としての矜持よりも、食欲の方が今日は勝っているらしい。頬張るたびに、いつもの仏頂面が、ほんの少しだけ緩んでいるのが可愛らしかった。


 特設ステージでは、カラオケ大会が開催されていた。


「次の方、どうぞ〜」


 司会の呼び込みで登場したのは、シュンだった。マイクを握ると、朗々とバラードを歌い上げ始める。


「……あれ、なんか聞き覚えあるな」


 学生時代、女の子とカラオケに行くとなれば、決まって感動系の歌を熱唱して口説こうとしていた男。あの頃の記憶が、まざまざと蘇ってきた。


(今見ると、なんか寒いな……)


 当時は格好いいと思っていたはずのその歌唱法が、今となっては、なんとも気恥ずかしい代物に見える。だが、ふと隣に目をやると、意外な光景があった。


 いつもシュンにハイキックを飛ばしているあの奥さんが、うっとりとした表情で、その歌声に聴き入っていたのだ。


(もしかして、あの歌で落とされた口か……)


 夫婦の馴れ初めに、少しだけ想像を膨らませながら、僕は思わず笑いをこらえた。


 カラオケ大会が一通り終わると、続いては町のおじさんたちによるバンド演奏だった。ベンチャーズ風のインストや、ビートルズのカバー曲が、ゆったりと会場に流れる。


 この懐かしい光景は、僕が子供の頃、祭りに連れてきてもらっていた頃から、ずっと変わっていなかった。時間の流れの中で、変わらないものがあるというのは、なんだか少し安心する。


 そして、いよいよ、あのバンドの出番がやってきた。


 スタッフの手で、大きな水槽がステージ中央へと運ばれていく。中には、水着姿のにんちゃんが、緊張した面持ちで収まっていた。


(ハロウィンだし、まあ……この町の人たちなら、驚かないか)


 もはや、水槽ごと登場する歌手というシチュエーションにさえ、この町の空気は寛容だった。


 曲が始まった。


 一寸法師の奏でるシンセサイザーの音に続き、うらちゃんの激しいギターリフが会場を切り裂く。金太郎のベースが、チョッパー奏法で弦を弾き飛ばすように鳴り響き、亀のドラムが、凄まじい勢いで叩き鳴らされる。


 先ほどまでの、聴きやすいポピュラーなロックとは、まったく毛色の違う音圧だった。町民たちが、一様に口をあんぐりと開けて、ステージを見上げている。


 やがて、にんちゃんの歌声が、会場に響き渡った。


  深い海の底

  光の届かない場所で

  私はずっと 空を見ていた

  I wanna see the world above

  I wanna know what they call love

  まだ知らなかった

  その願いが

  私のすべてを奪うなんて

  嵐の夜 砕けた船

  黒い波に沈んでいく影

  あなたを抱いて 海を越えて

  初めて触れた 人のぬくもり

  朝焼けの浜辺

  眠るあなたを見つめながら

  名前も告げず

  私は海へ戻った

  あなたが目を覚ますころには

  私はもうそこにいない

  それでも胸の奥で

  何かが始まっていた


 澄んだ歌声の合間に、時折、悲しみを叩きつけるようなシャウトが混じる。それは決して、聴き心地のいい感動バラードではなかった。けれど、その荒々しさの奥に、確かな痛みと願いが滲んでいた。


 そこに、流暢な英語のラップが、鋭く切り込んできた。


  Deep in the blue, I came for you

  Saved your life, but you never knew

  No name, no sign, no proof, no clue

  I lost my world just to get to you


 ウサギだった。あの標準語しか喋らなかった男が、驚くほど滑らかな発音で、言葉を紡いでいく。その姿には、いつもの落ち着きとはまた違う、熱を帯びた集中力があった。

 そして、サビへ。


  CAN YOU HEAR ME!?

  声にならない声で

  何度あなたを呼んだだろう

  I'M RIGHT HERE

  RIGHT IN FRONT OF YOU

  あなたを救ったのは

  私なのに

  叫べない

  伝えられない

  この喉にはもう

  何も残ってない

  I gave my voice

  I gave my world

  ただあなたに

  気づいてほしかった


 にんちゃんのシャウトが、夜空に突き刺さるように響いた。それは、原作の物語そのものを、音楽という形に昇華させたような、凄まじい説得力を持っていた。


 いつの間にか、町民たちは拳を突き上げ、リズムに合わせて体を揺らしていた。


「うおおおお!」

「にんちゃーん!」


 肩車された赤ずきんも、いつもの仏頂面はどこへやら、ノリノリで拳を振り上げている。


 ステージ前方では、シュンが観客たちの手によって、宙高く担ぎ上げられていた。ロックコンサートでよく見る、あの盛り上がり方だった。


「うおおおお、最高だぁぁぁ!」

 だが、その絶叫も束の間。

「シュン!」


 妻の一喝とともに、あっという間に地面へと引きずり下ろされていった。相変わらずの夫婦の絆に、僕は思わず笑ってしまった。


 順位発表のようなものはなかったが、演奏が終わると、割れんばかりの大歓声とともに、幕が下りた。


 汗だくのメンバーのもとへ駆け寄ると、水槽から顔を出したにんちゃんが、満面の笑みで迎えてくれた。


「ちょーー楽しかった〜!」


 その屈託のない笑顔を見て、僕もまた、自然と頬が緩むのを感じた。


 声を失うことと引き換えに、一つの想いを叶えた、あの物語のヒロイン。今度は、失うことなく、その声を、この町中に響かせることができた。


 夜空の下、まだ興奮冷めやらぬ会場の熱気を感じながら、僕は静かに、そんなことを思っていた。


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