第31話 人魚姫 BAND
夕方の散歩がてら、僕は町の外れを歩いていた。リフォーム中の家の前を通りかかると、中から言い争うような声が聞こえてくる。
「……あんた、いい加減にせぇよ」
「見てろよ、ぶち抜くぜ、この壁も心もな!」
声の主は、ウサギと亀だった。以前のパワハラ騒動を思い出し、僕は少し心配になって足を止めた。
(また揉めてるのか?)
だが、しばらく耳を澄ませていると、どうやら雰囲気は険悪というより、なんだか妙にリズミカルだった。
「言いたいことは言えるようになったんだな」
僕は、そんな二人の成長ぶりに、思わず微笑ましい気持ちになった。相棒として再スタートを切ってから、この二人の関係は、以前より確実に良くなっている。それは喜ばしいことのはずだった。
だが、ふと違和感を覚えた。
「……ん?」
もう一度、耳を澄ませてみる。
「亀さんよ、あんたの采配、なっちゃいねぇ。段取り悪くて、ため息ばかり」
「なんや、いきなり」
「悩む暇あるなら手を動かせ、迷う前に汗をかけ」
「……お前、なんの話しとんねん」
亀の言葉は、いつも通りの朴訥な関西弁だった。だが、ウサギの言葉だけが、明らかにおかしい。
「あんたの采配」と「ため息ばかり」。
「手を動かせ」と「汗をかけ」。よく聞くと、語尾がすべて綺麗に韻を踏んでいた。日常会話の範疇を、明らかに逸脱している。
(これ、ラップバトルか……?)
僕は、思わず現場に足を踏み入れた。
「あの、二人とも、大丈夫?」
「あ、斗話さん」
声をかけると、亀が振り返って、ばつが悪そうに頭をかいた。
「いや、大丈夫っちゃ大丈夫なんすけど…」
「ウサギの言葉遣い、なんかおかしくない?」
僕がそう指摘すると、亀は深いため息をついた。
「それがな、最近こいつ、動画サイトでラップバトルばっかり見とるんですわ」
「ラップバトル?」
「はい。かっこよくて」
ウサギは、悪びれもせず、そう答えた。普段の落ち着いた標準語からは想像もつかない、韻を踏むことへの妙な情熱が感じられた。
「見てるだけならまだしも、日常会話まで韻踏むようになってもうて。仕事の指示も、いちいちラップみたいになんねん」
「板を切れ、心も磨け。倒壊すんな、後悔すんな」
「ほら、これや!」
亀が、うんざりした様子で頭を抱えた。ウサギ本人は、至って真剣な顔で、韻を踏むことに没頭している。
(まあ……害はないか)
二人なりの新しいコミュニケーションの形なのかもしれない。深く追及するのも野暮な気がして、僕はそのまま「まあ、頑張って」とだけ声をかけ、その場を後にした。
家に帰り、夕食の席で、僕は今日見た光景を赤ずきんに話してみた。
「今日、ウサギがラップみたいな喋り方してたんだ」
「……ラップ?」
赤ずきんは、興味なさそうな顔でとり天を頬張っていたが、ふと、何かを考えるような表情を見せた。
「……敵を倒す歴史残す…」
「……え?」
「………………。」
赤ずきんは、自分の口から出た言葉に、みるみる顔を赤くしていった。狩人としての矜持を保っていたはずの少女が、まさかの韻踏み現象に感染してしまったらしい。
「……忘れて」
「いや、それは無理があるって」
思わぬ伝染力に、僕は笑いをこらえるのに必死だった。この町の童話キャラたちは、揃いも揃って、日本のカルチャーへの吸収力が高すぎる。
その夜、片付けを終えた書斎で、僕はふと本棚に目をやった。
わずかに開いた扉。あの月に一度の夜らしい。
(さて)
棚の中を見渡し、なんとなく気になった一冊を手に取る。表紙には、波間に揺れる、美しい魚の尾びれが描かれていた。
さて、童話を読もうではないか……




