第18話 パワハラ上司と一升瓶
甲羅の奥から出てきたのは、金槌と、ずいぶんと長さのある木材だった。
「……それ、どうやって入ってたんですか」
「甲羅ん中は、わいにもようわからん仕組みになっとるんですわ」
亀はさらりとそう言ったが、まったく説明になっていない。どう見ても、甲羅の大きさに対して、木材の長さが釣り合っていなかった。物理法則を無視した収納力に、僕はしばらく言葉を失った。
「まあまあ、細かいことは気にせんと」
そう言うが早いか、亀は金槌片手に、壁際で何やら作業を始めた。木材をあてがい、寸法を測り、驚くほど手際よく釘を打ち込んでいく。物の十数分後、そこには立派な壁面収納が完成していた。
「勝手に打ちつけていいものなの、それ」
「なんや、文句あります?」
「いや……上手いは上手いんだけど」
結局、僕は許可も出さないうちに、完成品を見せられていた。手際の良さに免じて、なんとなく許してしまう自分がいる。
「実はな、わいら童話の里で、リフォームの仕事しとってん」
「そうなんですか」
「わいは力仕事とモノ作り担当。あいつは身軽やから、高いとこ専門」
なるほど、と僕は納得した。屋根の修理や、高所の作業。ウサギのあの引き締まった体つきは、そのためのものだったらしい。
しかし、その日を境に、僕は妙な事態に気づくことになった。亀が別の部屋に移動しようとするたび、甲羅が戸口に引っかかるのだ。
「……あ」
ゴンッ、と鈍い音を立てて、亀の甲羅が柱にぶつかる。
「これ、真正面じゃ通れへんな」
「そうっぽいね」
それ以来、亀は部屋を移動するたび、体を横向きにして、カニ歩きのようにして戸口を通るようになった。それはそれで、なかなかに珍妙な光景だった。
「よし、それやったら、仕事も紹介してもらお思うんですけど」
亀の言葉に、僕は親戚の建築会社を思い出した。ちょうど人手が足りないと、以前聞いた覚えがある。
全身緑の甲羅を背負った男と、全身白い耳の長い男。二人を連れて事務所を訪ねても、親戚のおじさんは特に驚く様子もなく、拍子抜けするくらいあっさりと二人を迎え入れた。
「おお、若いのが二人も来てくれるとは助かる。よろしく頼むわ」
僕はもう、この町の懐の深さに、いちいち驚くことをやめていた。
二人の新しい生活は、そうして順調に始まったかに見えた。
だが、ある日、僕はスーパーの買い物袋コーナーで、意外な光景に出くわした。
「……ウサギ?」
小魚とニンジンがぎっしり詰まったビニール袋を提げ、肩を落として歩くウサギの姿があった。目に見えて元気がない。
「あ……斗話さん」
「どうした、元気ないな」
僕が声をかけると、ウサギは少し躊躇いながらも、ぽつりぽつりと打ち明け始めた。
「……亀さん、悪い人じゃないんです。ただ、仕事中の言い方が、少しきつくて」
「パワハラ的な?」
「それに近いかもしれません。プライベートな時間も、あまりなくて」
常に落ち着いた話し方をするウサギが、こんなふうに弱音を漏らすのは初めてだった。よほど溜め込んでいるのだろう。
「まあ、そういうときは、ちゃんと言った方がいいと思うぞ」
「……そうですね」
当たり障りのない励ましを口にしたものの、ウサギはそれ以上何も言わず、肩を落としたまま、団地の方へと歩いていった。その後ろ姿は、いつもの凪いだ表情とは違い、明らかに疲れきっていた。
その夜、僕は一人で「たいせい」へと足を運んだ。うらちゃんは今日は休みらしく、店内はいつもより静かだった。
カウンターの端に、見覚えのある大きな背中があった。
巨大な甲羅を背負った亀が、焼酎の一升瓶をテーブルに置き、一人で盃を傾けている。あの愛想の良さも、豪快な笑い声も、今夜だけはどこかに置き忘れてきたような、静かな飲みっぷりだった。
「……亀さん?」
僕が声をかけると、亀はゆっくりとこちらを振り返った。




