第17話 甲羅の重役 耳長の下っ端
玄関の戸を開けた瞬間、僕の視界に飛び込んできたのは、二つの巨大な影だった。
一体は、身長190センチはあろうかという、まさに岩のようなゴツい体格の男。緑がかった肌に、背中には大きく歪な甲羅を背負っている。もう一体は、それより少し低い180センチほどながら、すらりとシュッとした立ち姿で、長い耳を後ろに撫でつけた男だった。
巨躯の男は、僕の顔を見た瞬間、それまでの険しい表情を、まるで別人のようにふにゃりと崩した。
「あ〜、どうもどうも! おはようさんです〜!」
両手をすり合わせながら、揉み手でぺこぺこと頭を下げてくる。声には、隠しようもない関西訛りが乗っていた。
「え、あの……」
「いや〜、朝早うからすんませんなぁ、うるさかったでしょ。こいつがね、挨拶の声、蚊が鳴くみたいに小さいもんやから、つい」
巨躯の男が、親指でぐいっと隣を示す。示された長身の男は、僅かに眉をひそめただけで、特に何も言い返さなかった。
「……おはようございます。ご迷惑おかけしました」
ウサギの方は、対照的に整った標準語で、丁寧に頭を下げた。声のトーンは低く落ち着いていて、育ちの良さのようなものが滲み出ている。あの怒鳴り声の相手が、この物腰柔らかな男だったとは、俄かには信じがたかった。
「あの……お二人は」
「せやせや、名乗ってなかったな! すんませんすんません」
巨躯の男は、そう言うとまた深々と頭を下げた。
「わい、亀ですねん。よろしゅう」
「……ウサギです。よろしくお願いします」
亀とウサギ。その響きに、僕はすぐさま、あの絵本のことを思い出した。昨夜読んだばかりの、かけっこの物語。まさか、あの二匹が、こうして目の前に立っているとは。
「あの、もしかして、かけっこの……」
「よう知ってはりますなぁ! せや、あの話の本人ですわ」
亀は、得意げに胸を張った。分厚い甲羅が、朝日を受けて鈍く光っている。
「昔な、こいつが調子に乗って寝てもうてな。わいが勝ったんですわ」
「油断していたのは事実です。反論はしません」
ウサギは、無表情のまま、淡々とそう返した。感情の起伏がほとんど読み取れない、静かな声だった。
「それで、逆転したっちゅうわけです。今は、わいが上司、こいつが部下。童話の里じゃ、みんな知っとる話ですわ」
どこか誇らしげに語る亀とは対照的に、ウサギの表情は、どこまでも凪いでいた。上下関係が逆転してから、いったいどれくらいの時間が経っているのだろう。その静けさの奥に、なんとも言えない気配が漂っている気がした。
「せや、あんた、ディズ……いや、有名なテーマパークの亀の漫談、知ってます?」
脈絡もなく、亀がそんな話を切り出してきた。
「あ、はい、有名ですよね」
「あれ、わいが教えたんですわ」
「……え?」
「昔、向こうの世界行ったとき、漫談のコツ教えたったんです。間の取り方とかね」
真偽の確かめようがない自慢話に、僕はどう反応していいかわからず、曖昧に頷くしかなかった。ウサギの方をちらりと見ると、彼はただ静かに、遠い目をしていた。何度も聞かされてきた話なのかもしれない。
「あの、亀さんって、おいくつなんですか」
なんとなく気になって聞いてみると、亀はにやりと笑った。
「わい? 永遠の18歳ですわ」
「万年生きてるって聞きましたけど」
「それとこれとは別問題やろ」
理屈になっていない理屈だったが、なぜか妙な説得力があった。
「そんで、部屋なんですけど」
僕は気を取り直し、二人を案内するために家の奥へと向かった。玄関先での立ち話も長くなってきたところだった。うらちゃんが暮らす団地の一室が、ちょうど空いていたはずだ。
「こちらでどうでしょう」
案内した部屋を見て、亀は満足そうに頷いた。
「ええやん、広さも十分や。……あ、ほな、二匹で同じ部屋でええわ」
「……えっ!?」
ウサギの表情が、初めてはっきりと動いた。
「えぇっ!? 同じ部屋、ですか」
「なんや、嫌なんか?」
「嫌というか……その、プライベートな空間くらい……」
珍しく食い下がるウサギに対して、亀はまったく気にする様子もなく、自分の甲羅に手を突っ込み始めた。ごそごそと何かを探るその仕草は、まるでポケットの中を漁るかのように、あまりにも自然だった。
「まあまあ、細かいことはええから。ほら、これ見てみ」
甲羅の奥から、いったい何が出てくるというのか。
僕とウサギは、思わず息を呑んで、その手元を見守った。




