第14話 狩人ちゃん、奮い立つ
その夜、晩ご飯の食卓には、母と僕と赤ずきんの三人が並んでいた。母特製の肉じゃがを前に、赤ずきんは相変わらず黙々と箸を進めている。
「学校、どうだった?」
僕が聞くと、赤ずきんは箸を止めず、ぼそっと呟いた。
「……楽しい」
たった一言だったが、その響きには、確かな実感がこもっていた。狩人らしからぬその素直さに、僕は思わず頬が緩む。
「そりゃよかった」
「……ただし」
「ん?」
「暴力はダメだと、先生にも怒られた」
やはり初日、何かあったらしい。僕はあえて突っ込まず、ここぞとばかりに念を押しておくことにした。
「うらちゃんのときも言ったろ、人をむやみに蹴ったりするのはダメだぞ」
「……わかった」
ボソッと返ってきた返事は、素直なんだか反抗的なんだか、判断のつきにくい声色だった。母はそんな二人のやり取りを、微笑ましそうに眺めながら、黙って麦茶のおかわりを注いでいた。
「あんな小さな子に、暴力反対って諭されてる斗話、なんだか面白いわね」
「僕が悪いみたいに言わないでよ」
からかうような母の一言に、赤ずきんもわずかに口の端を上げた気がした。狩人としての矜持は保ちつつ、この食卓には、確かに家族のような空気が生まれ始めていた。
それから数日が経った。
登下校の様子を聞く限り、赤ずきんはすっかりクラスに溶け込んでいるらしかった。
「赤ずきんちゃん、一緒に帰ろー!」
「棒、拾ってこうよ!」
「山道通ってこ、探検しよ!」
同級生たちに囲まれ、赤ずきんは戸惑いつつも、まんざらでもない顔をしていた。落ちていた木の枝を拾い、それを剣に見立てて振り回す子、大声で歌いながら歩く子、みんなそれぞれのテンションで下校を楽しんでいる。
「赤ずきんちゃんって、剣道とかやってるの?」
「……剣道じゃない。狩りの技術」
「かりのぎじゅつ!」
「かっこいい〜!」
その一言一言に、子供たちの目はますます輝いていく。大人にとっては、なんてことのない裏山の一角。けれど、子供たちにとっては、そこかしこに秘密基地や宝物が眠っている、無限の探検フィールドらしい。赤ずきんの存在は、いつの間にか、この小さな探検隊の隊長格になりつつあった。
日が傾き、あたりが少しずつ橙色に染まり始めた頃。
「そろそろ帰ろ〜」
誰かがそう声を上げ、一行が帰路につこうとした、その瞬間だった。
前方の茂みが、ガサガサと大きな音を立てて揺れた。
「な、なに……?」
子供たちの足が、一斉に止まる。
茂みの奥から飛び出してきたのは、一頭の猪だった。鼻息荒く、地面を蹴りながら、まっすぐにこちらを睨みつけている。鋭い牙が、夕日を受けて鈍く光った。
「ひっ……」
「こわ……こわいよぉ……」
誰かが泣き出し、その声に引きずられるように、あちこちで嗚咽が広がっていく。子供たちは互いにしがみつき、蜘蛛の子を散らすことすらできず、その場に凍りついたように立ち尽くしていた。
(まずい……!)
もっと離れた場所にいた僕には、その距離を今から詰めることができない。心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
そのときだった。
震える足を、それでも懸命に踏ん張り、たった一人、前に進み出る小さな影があった。
赤ずきんだった。
膝は、はっきりわかるほどガクガクと震えている。心臓の音が、こちらにまで聞こえてきそうなほど、胸元の赤い頭巾が小刻みに揺れていた。それでも、視線だけは、決して猪から逸らさない。
(怖い。わたしは、まだ全然、弱い)
その胸のうちで渦巻いているのは、恐怖と、かつて祖母を失ったあの日の記憶だったのかもしれない。それでも、赤ずきんは、震える拳を強く握りしめた。
(でも……もう、誰も、目の前で失わせない)
大きく息を吸い込む。
「……やるなら」
声は、まだ小さい。けれど、次の瞬間、堰を切ったように、その声は爆発した。
「まず、私を、倒してから、だぁぁぁあああああ!!!!」
空気を切り裂くような絶叫だった。静寂の森の狩人。その名前とは似ても似つかない、渾身の、魂ごとぶつけるような叫びだった。
猪の足が、一瞬、止まる。
「赤ずきんちゃん……!!」
「すげぇ……! 赤ずきんちゃん、めっちゃかっこいい……!!」
「がんばれー!! 赤ずきんちゃぁぁん!!」
恐怖に凍りついていた子供たちの目に、みるみる光が灯っていく。誰かが泣きながら叫び、それが次々と伝播し、いつしか裏山の斜面は、子供たちの熱狂的な声援で埋め尽くされていった。
「赤ずきん! 赤ずきん! 赤ずきん!!」
まるでヒーローショーの舞台のような大合唱。八歳の子供たちの純粋な声援は、恐怖すら塗り替えるほどの熱量を持っていた。
その声を全身に浴びながら、赤ずきんは、震える足を、もう一度強く踏みしめた。
そして、次の瞬間。
猪が、地面を蹴って、まっすぐこちらへと突進してきた。




