第12話 自称、静寂の森の狩人
「……ずきん」
女の子は、視線を合わせないまま、蚊の鳴くような声で何か呟いた。あまりに小さくて、ほとんど聞き取れない。
「ごめん、もう一回言ってもらえる?」
聞き返した瞬間だった。
「……っ」
小さな足が、素早く僕の膝関節めがけて飛んできた。反射的に半歩下がってかわすと、蹴りは空を切り、女の子はよろけながらも、すぐに体勢を立て直した。
「ちょ、いきなり何」
答える代わりに、今度は小さな手刀が、僕の首元へと繰り出される。動き自体は、妙に様になっていた。まるで、どこかで本格的に修行でも積んだかのような、無駄のないフォームだ。
「……っ、いてっ」
しかし、振り抜いた手刀は、僕の首をかすめることすらなく、彼女自身の指を痛めただけに終わった。女の子は、突き指した指先を押さえながら、それでも表情ひとつ変えずに、こちらを睨み続けている。中身の緊迫感と、結果のちぐはぐさが、なんとも言えない味を出していた。
「……あの、話す気あるなら普通に話してもらえる? 全然聞こえないんだけど」
仕方なく、僕は膝を折り、女の子の口元に耳を近づけた。至近距離まで顔を寄せると、彼女はようやく、ぼそぼそと語り始めた。
「……もう、二度と、騙されない」
「騙される?」
「……狼に。だから、わたしは……」
小さな声は、一度言葉を切ったあと、覚悟を決めたように続いた。
「『静寂の森の狩人』に、なる」
その瞬間、僕の中で何かが、こらえきれずに崩れる音がした。
「ぷっ……」
思わず吹き出しそうになるのを、なんとか咳払いでごまかす。静寂の森の狩人。中学二年生あたりが、ノートの端に書いてしまいそうな響きだった。しかも、本人は至って真面目な顔で言っている。
けれど、笑いかけたその手前で、僕はふと我に返った。
祖母を狼に食べられ、自身も命を落としかけたのだという。その恐怖と怒りが、こんな形の決意へと結晶したのだとしたら、それを笑うのは、少し違う気がした。中二病めいた響きの裏に、笑い事では済まない過去が横たわっている。
「……まあ、その気持ちはわかるけど」
僕がそう言うと、女の子は初めて、少しだけ視線をこちらに向けた。冷たい目の奥に、ほんのわずかな戸惑いが揺れている。
「わたしを……馬鹿にした」
「してないって」
「した。顔が、笑ってた」
鋭い。誤魔化しは通用しないらしい。仕方なく僕が黙っていると、女の子は突然、地面を蹴って跳び上がった。跳躍からの回し蹴り、狙いはおそらく僕の頭部だった。
「うおっ」
慌てて身をかわす。しかし彼女は、着地の瞬間、地面に転がっていた小石に足を取られ、そのままもんどりうって転んだ。
ごちん、という鈍い音が響いた。
「……っ」
地面に額を打ちつけた女の子は、しばらく無言で固まったあと、じわじわと目に涙を浮かべていった。それでも、声を上げて泣くことはせず、ただ唇を強く結んで、痛みに耐えている。
その姿は、狩人というより、公園で転んだ子供そのものだった。
「……大丈夫か?」
僕が手を差し伸べると、女の子はしばらく躊躇したあと、渋々といった様子で、その手を取った。
「……名前は」
「うん?」
「赤ずきん」
消え入りそうな声で、そう名乗る。額をさすりながら、それでも冷たい目つきだけは崩さないその姿に、僕はなんとなく、この先の付き合いが一筋縄ではいかないことを予感していた。
とりあえず、話は家に入ってからにしようと、僕は赤ずきんを連れて、家の中へと戻った。




