第10話 一番落ち着く場所
召喚から四週間。カグヤが「今日こそ撮らせて」と、カメラ片手に本当にうちへやってきた。
「わ、この家、めっちゃ雰囲気あるじゃん」
玄関に足を踏み入れるなり、カグヤは早速シャッターを切り始めた。古い梁の見える天井、ところどころリフォームで新しくなった床、その境目までもが面白いらしい。
「築何年とか、そういうのわかる?」
「詳しくは知らないけど、祖父母の代からある家だから、結構古いと思う」
「いいなあ、こういうの。歴史ってやつ」
母のいるリビングに顔を出すと、カグヤはためらいなくレンズを向けた。
「おばさん、写真いいですか?」
「あら、いいわよ〜♪」
次の瞬間、母は驚くほど堂々とポーズを決めてみせた。顎を少し引き、目線をやや斜め上、片手は軽く頬に添えて。まるで年季の入った女優のような、隙のない構えだった。
「ちょっと待って、母さんそれどこで覚えたの」
「昔、雑誌の懸賞で読者モデルに応募したことがあってね」
「初耳なんだけど」
「落ちたけどね!」
カグヤはケラケラ笑いながらシャッターを切り続けている。
「おばさん、才能あるじゃないですか!」
「でしょう? 斗話のお父さんにもよく褒めてたのよ、『お前は自意識過剰だ』って」
「それ、褒めてなくない?」
母は気にする様子もなく、続けて謎のキメ顔を三パターンほど披露した。僕の知らない母の顔が、次々とレンズの前で展開されていく。息子としては、複雑な気持ちにならざるを得ない光景だった。
「あ、これ完全に事務所所属できる顔してますね」
「あら、そう?」
「してないから。冗談だから…」
母の目が一瞬、本気で輝いたのを、僕は見逃さなかった。
ひと通り撮り終えたあと、カグヤは奥の書斎に足を向けた。
「あ、ここ……」
本棚のある部屋に入った瞬間、カグヤの表情が、すっと真剣なものに変わった。
「なにか感じる?」
「うん……これ、多分あたしが三十年前にいた場所にあったやつと、同じ本棚だと思う」
「ここにあったんじゃなくて、違う場所ってこと?」
「そうそう。あたしが召喚されたとき、もともといる場所……童話の里、って呼ばれてたとこにも、これと似た本棚があったの」
「童話の里……」
聞き慣れない単語に、僕は思わず繰り返した。
「うん。で、前召喚されたとき、たまってきたギャル雑誌突っ込もうとしたことあるんだけど、全然開かなかった…だから、本棚の角に『GAL』って書いたの、ほらあるでしょ」
よく見ると、本棚の側面の下のあたりにボールペンで書かれている…
「なんで、そんなことしたんだよ」
「開かなくてムっとしたから」
理由になっていない理由だったが、母のと同じ反応が、また出てきたことに僕は内心で驚いていた。押しても引いてもびくともしない、あの扉。場所が違うはずなのに、性質だけは共通している。
「で、カグヤはその後、どうやって、こっちにきたの?」
「それが……よく覚えてないんだよね。気づいたら、また童話の里に戻ってて。それからしばらくして、今度は斗話んちに呼ばれた、みたいな」
カグヤは首を傾げながら、あっけらかんとそう言った。深刻ぶるでもなく、まるで寝坊した朝の記憶を辿るような、軽いトーンだった。
「じゃあ、この本棚は、いつからうちにあるんだろう」
「さあ? でも……」
カグヤは少し考え込むような素振りを見せたあと、こともなげに続けた。
「これと同じ力のやつ、あたしが三十年前にいた頃は、この家になかったと思うよ」
「え?」
「感覚的にだけど。もし三十年前からあったら、斗話のお父さんが呼び出されてても、おかしくないっしょ」
その一言に、僕は言葉を失った。だとすれば、この本棚は、生まれたときからここにあったものではないことになる。物心ついた頃には、確かにこの部屋にあった。それが、いつからなのかまでは、思い出せない。
「深く考えなくていいと思うよ。多分、時期が来たらわかるっしょ」
カグヤは、そう言ってあっさり話を切り上げた。詳しいことは、彼女にもわからないらしい。ただ、この本棚が、ただの家具ではないことだけは、はっきりしていた。
少し重い空気を切り替えるように、僕らは裏山沿いの縁側へと移動した。母が持たせてくれた煎餅をかじりながら、並んで竹林を眺める。
「やっぱ落ち着くよね〜、竹って」
「竹が?」
「うん。なんかさ、人間でいうお母さんみたいなものだからなぁ」
「さっき、お母さんのモデルポーズ見て言うことじゃなくない?」
「それとこれとは別! あたしの中で竹は別枠なの」
適当なようで、妙に強い意志のこもった主張だった。風が吹くたびに、竹の葉がさわさわと擦れ合う音を立てる。その音は、確かにどこか、包み込まれるような優しさを持っていた。
「そうだ」
カグヤが、ふと何かを思いついたように、カメラを構え直した。
「カメラと出会わせてくれたお礼。斗話と、写真撮ろう」
「え、俺と?」
「うん。プレゼント」
プレゼント、という単語に、僕は思わず苦笑した。以前の彼女なら、間違いなく逆だっただろう。もらう側から、贈る側へ。その変化を、こんな形で実感するとは思わなかった。
「……いいけど」
柄にもなく、少しだけ声が上ずった気がした。竹林を背に、二人並んで立つ。カグヤの肩が、思ったよりも近くにあった。
「はい、笑って〜」
シャッター音が、竹の葉擦れの音に混じって響く。
撮れた写真を、二人で液晶越しに覗き込んだ。竹林の緑と、夕方の柔らかい光を背景に、少し照れた顔の僕と、屈託なく笑うカグヤが並んでいる。
「タイトル、『一番落ち着く場所』にしよっと」
カグヤはそう言って、画面にそう打ち込んだ。それから、いつものように、にかっと笑う。
その笑顔に、僕はまた、柄にもなく胸の奥が小さく跳ねるのを感じた。
竹の葉音だけが、静かに、二人の間を流れていった。




