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多元人格アルファ―幻都アガルタの自分殺し―  作者: 秋月キアラ
第三巻:真木彼方と零番線
27/82

第三章 非公開記録

 旧新聞部室に戻った時、空はまた雨の色をしていた。


 まだ降ってはいない。


 けれど、窓の外には低い雲が垂れ込め、校庭の砂は湿気を吸って黒ずんでいる。放課後の新校舎からは部活動の声が聞こえていた。体育館のボールが床を跳ねる音。吹奏楽部の音階練習。誰かが友人を呼ぶ声。


 名前を呼ぶ声。


 そのたびに、真昼の胸の奥で小さな棘が動いた。


 雨宮紗良。


 望月莉子。


 御影レイ。


 白瀬真昼。


 真木彼方。


 K-117。


 零番線。


 名前と番号と場所が、頭の中で順番に並ばない。


 並べようとすると、濡れた切符のように滑る。


 真昼は旧新聞部室の扉を閉め、鍵をかけた。


 普段なら鍵などかけない。


 旧新聞部室に盗まれて困るものは多いが、誰かが盗もうと思うようなものは少ない。壊れかけのプリンター、古い切り抜き、剥がれかけた都市伝説マップ、真昼が貼った付箋だらけのホワイトボード。どれも、価値があるようで、世間的にはほとんどない。


 だが今日は違った。


 鞄の中には、雨宮紗良の部屋で撮った切符の写真がある。


 机の上には、相談メールの印刷。


 ノートには、名前を捨てたいとまでは言わなかったが、名前を持っているほうがつらいと語った少女の言葉が残っている。


 それは、誰かが勝手に見ていい記録ではなかった。


 御影レイは、部屋の隅にある古い椅子を引き出して座った。


 椅子は軋んだ。


 いつもなら真昼が文句を言うところだが、今日は何も言わなかった。


 レイはそれに気づいたのか、机の上にコンビニ袋を置く。


「食べる?」


「何?」


「おにぎり」


「差し入れ二回目?」


「昼、あんまり食べてなかった」


「見られていた」


「見てた」


「御影くん、最近ちょっと保護者目線が強い」


「霧生さんから業務委託された」


「嫌な業務委託」


「本人も嫌そうだった」


 真昼は少しだけ笑った。


 笑うと、胸の奥の重さがほんの少し動いた。


 でも、消えはしない。


 机の上にノートパソコンを置く。


 電源を入れる。


 起動音が、いつもより大きく聞こえた。


 画面が明るくなるまでの数秒が、妙に長い。


 《アガルタ観測録》の管理画面には、天沢灯里の記事がまだ表示されていた。


 アクセス数はさらに増えている。


 コメントも増えている。


 新着通知が赤く光っている。


 真昼は、一度だけその通知へカーソルを合わせた。


 指が止まる。


 開けば、また何かがある。


 天沢灯里を知る誰かの言葉かもしれない。


 批判かもしれない。


 零番線に関する新しい投稿かもしれない。


 すぐに読みたい。


 でも、今読むべきなのはそれではない。


 真昼は通知を閉じた。


 レイが、少しだけ目を上げる。


「見ないの?」


「今は」


「珍しい」


「今日だけで何回珍しいって言われたかな」


「記録する?」


「しない」


「成長」


「茶化してる?」


「半分」


「もう半分は?」


「少し安心してる」


 真昼は返事に詰まった。


 レイのそういう言い方には、まだ慣れない。


 無表情で、静かで、けれど妙にまっすぐなことを言う。


 真昼は、照れを隠すようにノートを開いた。


 ページの上部に、すでに書いてある。


 零番線/未公開記録


 その下には、箇条書きで情報が並んでいる。


 匿名コメント。


 零番線では、名前を捨てられる。


 相談者:望月莉子。


 対象者:雨宮紗良。


 症状:署名不能。プロフィール名消失。学生証名欄の薄化。


 本人発言:名前が消えたら、楽になった。


 本人発言:今は、持っているほうがつらい。


 部屋内の無名切符複数枚。


 切符裏面にK-117の文字。


 夢の中で「先生」という声。


 真昼はペンを握った。


 書いた文字を見ているだけで、胸が痛くなる。


 名前が消えたら、楽になった。


 その一文は、今まで真昼が書いてきたどんな記録よりも扱いが難しかった。


 古河千景は、自分のメモ帳に何度も名前を書いていた。


 天沢灯里は、自分の署名を残していた。


 エミー・グレイス・ハーパーは、レイの中から個人名として戻ってきた。


 名前は救いだった。


 そう思えた。


 少なくとも、そう信じることができた。


 けれど雨宮紗良は違う。


 彼女は、名前が消えた時に安心した。


 真昼は、その事実を無理にねじ曲げられない。


「記事にしたい?」


 レイが聞いた。


 真昼はすぐに答えなかった。


 ノートの文字を見つめる。


 零番線。


 無名切符。


 名前を書けなくなる少女。


 旧地下鉄へ向かうかもしれない危険。


 記事にすれば、情報提供が集まるかもしれない。


 同じ切符を見た人が連絡してくるかもしれない。


 失踪を防げるかもしれない。


 同時に、名前を捨てたい誰かに「行き先」を教えてしまうかもしれない。


 零番線という言葉を広めてしまうかもしれない。


 真昼は、ゆっくり息を吐いた。


「したい」


 正直に言った。


「今すぐ?」


「うん」


 レイは何も言わない。


 真昼は続ける。


「だって、危ない。雨宮さんだけじゃないかもしれない。切符が増えてる。零番線って言葉を知ってる誰かがコメントしてる。K-117まで出てきた。放っておいたら、また誰かが下へ行くかもしれない」


「うん」


「記事にすれば、同じ切符を持ってる人が気づくかもしれない。相談してくれるかもしれない。莉子さんみたいに、誰かを止めようとしてくれる人がいるかもしれない」


「うん」


「でも」


 真昼は、ノートの一文を指で押さえた。


 名前が消えたら、楽になった。


「この記事を読んで、零番線に行きたいって思う人もいるかもしれない」


「うん」


「名前を捨てたい人にとって、これは警告じゃなくて案内になるかもしれない」


「うん」


「それが怖い」


 真昼は、ようやくレイを見た。


「名前を消したがってる人の名前を、私が勝手に残していいのかな」


 その問いは、旧新聞部室の中で静かに落ちた。


 窓の外で、まだ降っていない雨の匂いがする。


 レイは、すぐには答えなかった。


 彼は、真昼のノートを見ている。


 雨宮紗良の名前。


 K-117。


 零番線。


 そして、その横に小さく書かれた、真昼自身のメモ。


 今は呼ばない。


 でも、忘れない。


 レイは、しばらくして言った。


「分からないなら、まだ公開しなくていい」


 真昼は、その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけほどけるのを感じた。


 解決ではない。


 答えでもない。


 でも、今立っていい場所が見えた。


「書かないんじゃなくて?」


「うん」


「記録しないんじゃなくて?」


「うん」


「公開しない」


「今は」


「また今は」


「便利だから」


「便利だから」


 二人で同じ言葉を言って、真昼は少しだけ笑った。


 レイも、ほんの少しだけ表情を緩めた。


 真昼はノートパソコンに新しいフォルダを作った。


 公開記事の下書きフォルダではない。


 《アガルタ観測録》の管理画面とも切り離した、ローカルの暗号化フォルダ。


 ファイル名を打つ。


 零番線/未公開記録


 スラッシュは使えないので、実際のファイル名は、


 零番線_未公開記録


 になった。


 それが少しだけ間抜けに見えて、真昼は眉をひそめた。


「スラッシュ使えない」


「ファイル名だから」


「雰囲気が落ちる」


「安全性は上がる」


「情緒がない」


「ファイルに情緒はいらない」


「記録にはいる」


「バックアップにはいらない」


 レイは淡々と返す。


 真昼は少しだけむくれながら、フォルダの中にファイルを作った。


 001_匿名コメント_零番線


 002_相談メール_望月莉子


 003_雨宮紗良_聞き取りメモ


 004_無名切符_写真記録


 005_K-117記載切符_拡大画像


 006_公開保留判断メモ


 最後のファイルを作った時、指が止まった。


 公開保留判断メモ。


 そんなものを、自分が作る日が来るとは思わなかった。


 以前なら、下書きファイルを作っていた。


 仮タイトルをいくつも並べていた。


 零番線の怪。


 名前を捨てる切符。


 旧地下鉄に現れる無名駅。


 そういう言葉が、頭に浮かばないわけではない。


 でも、打たない。


 真昼は、006のファイルを開いた。


 白い文書画面。


 そこに、ゆっくり書く。


 現時点では公開しない。


 理由。


 一、対象者本人が名前の消失に安心を感じているため、本人の名前を公開記録として扱うことが危険。


 二、零番線という言葉が、名前を捨てたい者への誘引になる可能性。


 三、K-117との関連が確認されるまで、観測局・市警への共有を優先。


 四、記録は継続。ただし、公開は保留。


 五、本人が戻れる場所としての記録を維持する。


 真昼は最後に、少し迷ってから一文を追加した。


 記録することと、公開することは同じではない。


 書いてから、胸が痛くなった。


 それは、逃げのようにも見えた。


 公開しないことで責任から逃げているのではないか。


 自分だけが記録を握ることも、別の暴力ではないのか。


 けれど、今の真昼にはそれ以上の答えはない。


 レイが画面を見る。


「いいと思う」


「ほんとに?」


「うん」


「甘くない?」


「甘くはない」


「厳しくもない」


「保留」


「便利」


「便利だから」


 真昼は、小さく笑いながらファイルを保存した。


     *


 黒江透子と霧生仁が旧新聞部室に来たのは、それから一時間後だった。


 真昼は、最初オンライン通話で済ませるつもりだった。


 だが、K-117の文字が出た切符の画像を送った直後、透子から電話が来た。


 画像を開いたまま待っていてください。


 現物はどこですか。


 本人の状態は。


 切符は何枚ありましたか。


 旧地下鉄入口へ向かう兆候は。


 雨宮紗良という名前は、今どの程度記録上に残っていますか。


 質問が速すぎて、真昼は途中でペンを落とした。


 その五分後、霧生からメッセージが来た。


 今から行く。勝手に増やすな。


 何を増やすななのか分からなかったが、たぶん事件のことだ。


 旧新聞部室の扉が開くと、霧生は開口一番言った。


「お前は本当に事件を拾うのが上手いな」


「褒めてます?」


「褒めてない」


「ですよね」


「拾うなとは言わん。拾ったならすぐ渡せ。自分の机で温めるな」


「温めてません。保全してます」


「言い方を覚えるな」


 霧生は、机の上に置かれた印刷資料を見た。


 真昼がすでにまとめた資料。


 匿名コメント。

 相談メール。

 聞き取りメモ。

 無名切符の写真。

 K-117記載切符の拡大。

 公開保留判断メモ。


 霧生は最後の一枚で手を止めた。


「公開保留判断メモ?」


「はい」


「お前が?」


「はい」


「熱でもあるのか」


「ないです」


 レイが横から言う。


「少し成長した」


「御影、お前が言うと妙に重いな」


「本当なので」


「そうか」


 霧生は真昼を見た。


 目つきは相変わらず鋭い。


 だが、いつものようにすぐ怒鳴る雰囲気ではなかった。


「記事にしなかったのは正解だ」


 短く言った。


 真昼は、少しだけ胸を撫で下ろした。


「まだ、です」


「そうだ。まだ、な」


 霧生は椅子に腰を下ろす。


「この件は、通常の行方不明未遂としても危ない。本人が自分で旧地下鉄へ向かう可能性がある。加えて、名前欠落、無名切符、零番線、K-117。役満だな」


「麻雀ですか」


「俺はやらん」


「じゃあ例えが雑です」


「雑でいいんだよ。嫌なものが揃いすぎてるって意味だ」


 透子は、すでに資料へ目を通していた。


 彼女は霧生ほど言葉を荒くしない。


 しかし、顔色はよくなかった。


 K-117の画像を、何度も拡大している。


「この筆跡」


 透子が言った。


「真木彼方さんのものですか」


 真昼が聞くと、透子はすぐには答えなかった。


「断定はできません。ですが、類似しています」


「どの記録と?」


「私が保管していた録音資料に添付されていた、彼方くんの手書きメモです」


 透子の声は静かだった。


 だが、その静けさが痛い。


 真木彼方。


 彼女が救えなかった少年。


 名前を呼んでほしかった少年。


 その痕跡が、雨宮紗良の机の切符に現れた。


「雨宮さんは同魂者ですか」


 レイが聞いた。


 透子は首を横に振る。


「現時点では、その反応は薄いと見ます。御影さんの報告とも一致します。レイ系アニマの混線ではなく、名前欠落誘導に近い」


「名前欠落誘導」


 真昼が繰り返す。


「零番線が呼んでいるということですか」


「仮説です」


 透子は言った。


「ですが、危険な仮説です」


 霧生が、透子を見た。


「零番線ってのは、観測局の資料にあるのか」


「あります」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 真昼は思わず前のめりになる。


「あるんですか」


「はい」


「どこに?」


「境界観測局アガルタ支局の旧記録です」


「内容は?」


「詳細は、私の手元にはありません」


「黒江さんでも?」


「私が閲覧できた資料には、名称と一部の索引だけがありました。零番線。無名駅。記録沈殿層。無記性境界物質採取関連。Null-03との関連記録あり」


 言葉が増えるたび、真昼の手の中のペンが重くなる。


 零番線。


 無名駅。


 記録沈殿層。


 無記性境界物質。


 Null-03。


 全部、つながっている。


「待ってください」


 真昼は、ノートへ書きながら言った。


「無記性境界物質って、黒刃ヌルの素材ですよね」


 透子は、少しだけ目を細めた。


「その可能性が高いです」


「零番線は、その採取場所?」


「観測局の旧仮説では、そう扱われています。ただし、これも断定ではありません」


「また断定できない」


「できません。関連資料が封鎖されています」


 霧生が低く言う。


「封鎖ってのは、観測局の都合か」


「おそらく」


「おそらく?」


 透子は、端末を操作しながら答えた。


「零番線関連は、通常の制限記録ではありません。私が在籍していた頃も、ほとんど話題に出ませんでした。Null-03事故に関する資料以上に、閲覧制限が厳しい」


 真昼は、胸の奥がざわつくのを感じた。


 Null-03事故以上。


 真木彼方が観測不能状態へ移行した可能性のある事故。


 それ以上に、零番線は封じられている。


「そんな場所に、雨宮さんは引っ張られてるんですか」


「その可能性があります」


 真昼は、手の中のペンを握った。


「じゃあ、急いで止めないと」


「はい。ただし、記事ではなく保護で」


 透子は、真昼を見た。


「白瀬さん。今回は、あなたの記事が引き金になる可能性があります」


 真昼は、息を止めた。


 分かっていた。


 それでも、透子の口から言われると重い。


「零番線という言葉が広がれば、名前を捨てたい人が自分から近づく可能性があります。雨宮さんのように、名前が傷になっている人にとって、その言葉は警告ではなく救済に見える」


「分かってます」


「だからこそ、公開を保留した判断は適切です」


 真昼は、少しだけ目を伏せた。


 褒められた気はしなかった。


 適切。


 その言葉は、冷静で、必要で、少しだけ冷たい。


 だが、今はその冷たさが必要だった。


 霧生が資料をめくる。


「雨宮紗良の安全確認は?」


「莉子さんが一緒にいます。本人も、少しだけ待つと言いました」


「少しだけ、な」


「はい」


「信用しすぎるな。名前を捨てたい奴は、夜に一人になると動く」


 その言葉は、妙に現実的だった。


 真昼は頷く。


「本人の家族には?」


「莉子さんが伝えています。ただ、家族との関係が少し複雑で」


「家族が名前で呼ばない件か」


「はい」


 霧生は舌打ちした。


「名前を呼ばない家族と、名前を捨てたい本人と、名前を拾いたい友人。そこへ零番線の切符。嫌な事件だ」


 レイが静かに言う。


「誰も完全に間違ってない」


 部屋が一瞬静かになった。


 その通りだった。


 莉子は友人を覚えていたい。


 紗良は名前から逃げたい。


 家族は、もしかすると悪意なく役割名で呼んでいたのかもしれない。


 真昼は記録したい。


 透子は保護したい。


 霧生は現場から生きて連れ戻したい。


 誰か一人だけが悪いわけではない。


 だから、難しい。


 透子の端末が短く鳴った。


 彼女は画面を見た。


 その瞬間、表情がさらに硬くなる。


 霧生が気づく。


「黒江」


「観測局からです」


「早いな」


「照会したためです」


「誰から」


 透子は画面をこちらへ向けた。


 差出人。


 藍沢環。


 境界観測局記録保全部。


 真昼の胸が冷える。


 以前の事件で会った、あの静かな記録保全官。


 名前より番号を信用し、C-04の名前を開示しなかった人。


 だが、古河千景の名前が戻ったことを、完全には否定しなかった人。


 メール本文は短かった。


 零番線関連記録は、観測記録保全上の最高制限対象です。


 当該名称の公開、拡散、未承認調査を控えてください。


 記録保全部による協議が必要です。


 添付資料の閲覧権限は、現時点で黒江透子氏に付与されていません。


 霧生が、低く笑った。


「ずいぶん親切な脅しだな」


「藍沢さんらしいです」


 透子は静かに言った。


 真昼は、メールの一文を見つめていた。


 当該名称の公開、拡散、未承認調査を控えてください。


 つまり、観測局も零番線という言葉が広がることを恐れている。


 それが被害を広げるからか。


 自分たちの失敗が掘り起こされるからか。


 あるいは、その両方か。


「白瀬さん」


 透子が言う。


「はい」


「非公開記録の判断は継続してください」


「はい」


「ただし、記録は続けてください」


 真昼は顔を上げた。


「続けていいんですか」


「必要です」


「観測局は控えろって」


「公開と未承認調査は控えるべきです。ですが、あなたの記録反応は、この件において重要な手がかりになる可能性が高い」


 霧生がすぐに言う。


「黒江。便利に使うなよ」


「使いません。管理します」


「その言い方も嫌なんだよ」


「では、守ります」


 透子は言い直した。


 霧生は、それ以上言わなかった。


 真昼は、ノートを見る。


 零番線/未公開記録。


 その文字が、さっきより重く見える。


 公開しない。


 でも、記録する。


 それは、半分だけ灯里に似ている。


 名前が怖いなら、今日は呼ばない。


 でも、名前がない人ではないと記録する。


 真昼は、自分のペンを握り直した。


「分かりました」


 彼女は言った。


「記事にはしません。まだ。でも、記録します」


 レイが、横から静かに言った。


「白瀬真昼」


 真昼は、すぐに返す。


「御影レイ」


「戻ってる?」


「戻ってる」


「よし」


 霧生が眉をひそめる。


「お前ら、それいつまでやるんだ」


「必要な間」


 レイが答えた。


「便利な返事だな」


「便利だから」


 真昼とレイが同時に言った。


 霧生は、ほんの少しだけ呆れた顔をした。


 透子は、画面の藍沢からの通知を見つめている。


 最高制限対象。


 零番線。


 その言葉が、旧新聞部室の空気を深く沈めていく。


 窓の外で、ついに雨が降り始めた。


 最初の一滴が、ガラスを叩く。


 ぽたり。


 真昼は、ノートの端に書き足した。


 零番線。


 公開不可。


 記録継続。


 その下に、もう一行。


 名前を捨てたい人のための記録とは何か。


 答えはまだない。


 だが、今はその問いを消さない。


 真昼はペンを置いた。


 雨音が、旧新聞部室を満たしていく。


 その音は、地下から聞こえる水音と、少しだけ似ていた。

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