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なんだこれ。なにがどうしてこうなった。
俺は今、何故か師団長さんの腕の中にいる。
頭と腰に回された彼の大きな手でこの身を引き寄せられ、広い胸板に顔を寄せている。嫌という程に密着した身体は細身に見える体躯に反してたくましく、そして温かだ。ついでに男のくせになんか良い匂いまでしやがるから、俺の混乱っぷりたるや想像して頂けるだろう。
「しししし師団長、さンッ!?」
うん、大パニックだ。冷静に保とうと務める気持ちに反して、体が言うことを利かない。顔に熱が昇り、唇はわななき、声も震える。語尾なんて裏返っちまった情けねぇ。
だって出会って二日目の超絶美形に再開して、数分と経たないうちに熱い抱擁をされたんだぞ? そりゃパニックにもなるわ。
断じて俺に男色の趣味は無いが、やはり美形の破壊力は凄まじく、自然と顔に熱が昇っていく。本人は俺の首元に顔を埋めていて表情を確認出来ないが、度々耳に掛かる吐息がやたら扇情的で、それだけで普通の女ならば腰砕けになるに違いない。現に普通じゃない女の俺ですらなんだかやばい。
いつもなら男に迫られた時反射的に出る手も、今は棒立ちになっている身体からだらりと力無くぶら下がっている。
しかしこのままじゃ俺の性癖も貞操(?)も、危険な領域に突入しかねない。ここは一刻でも早くこの男から離れねーと。
「あ、あの、いきなりなんですか!? はなしてください!」
漸く重い両手を持ち上げると、俺はドンッと勢い良く師団長さんの胸を押し返した。
俺に振り払われると思っていなくて油断していたのか、師団長さんの腕は呆気なく俺の身体から解け、そのままの勢いで彼は数歩よろよろと後ずさった。
やべっ。力の加減できてなかったか!?
「す、すみません! だいじょうぶ――」
慌てて取り繕うも、目の前の男の顔を見上げてぎょっとした。
な、泣いてる!?
精巧な人形のように整った顔は先程と打って変わって上気し、そのアイスブルーの双眸からは透明な雫がとめどなく流れ落ちている。
美形の泣き顔もまた絵になるなぁなんて思っている余裕も無く、俺の全身からはみるみる血の気が引いていった。
うえええええ!? ど、どうしよう。俺か!? 俺がこいつの熱烈な抱擁を拒んだから泣かせたのか!? メンタル弱いにも程があるだろ。
つーか自分より上の位の人間に暴力を奮えば悪くて打ち首だが、泣かせた場合はどうなるんだ? え、もしや俺不敬罪で首飛ばされる? 前例が無さすぎてわかんねーんだけど。
ちょ、あんたとりあえず泣き止んでくれよ。頼むから。頭一個分もでかい男に泣かれるとか居た堪れねーわ。
あわあわと咄嗟に己の手で師団長さんの涙を拭う。
超絶美形のお顔に直に触れるのは憚られるが致し方ない。このまま何もしないでいると逆に俺が泣けてきそうだ。
「……変わりませんね」
「へ?」
師団長さんはそれまで強張っていた表情を緩めたかと思うと、爪先立ちしながら彼の涙を拭う俺の手を取った。
ただならぬ雰囲気に、思わずゴクリと唾を飲み込む。
「覚えていますか? あなたが死の間際も、こうして私の涙をその手で拭って下さったことを」
ドクンと、心臓が大きく脈打った。
こいつ、今なんて言った?
俺の死の間際って、それは前世でのことを言っているのだろうか。
いや、待て。どうしてこの男がそのことを知っている?
それに俺が且つてこの男の涙を拭ったって――
ふと、虫の息の俺の下で、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた一人の少女が脳裏に蘇った。
数々の悲鳴や金属音が煩く響く中、何度も何度も繰り返し俺の名前を呼んでいた少女。
……いやいや、いくらなんでもそれはねーだろ。
自分のあまりにぶっ飛んだ想像に内心かぶりを振る。
しかし考えれば考えるほど、目の前の帝国騎士団師団長さんに、且つて苦楽を共にした年若い少女の姿が何故か重なる。
今俺を見る表情だってそうだ。眉を潜め、控えめに瞳を細める様子なんて、あいつの困った時する顔にそっくりじゃーねか。
嗚呼、それじゃあこの男は本当に――
「まだ、私が分かりませんか。アレン様」
キュッと、俺の細い手首を握る大きな手に力が込められる。
『アレン様』
しがない傭兵である俺にそんな畏まった敬称を付ける奴なんざ、前の世で一人しか知らねぇ。
恐る恐る目の前の男を見上げ、半ば確信めいた問いを口にする。
「あんた、姫さんか?」
気付くと俺は再び師団長さんの腕の中にいた。
「あいたかったですアレン様」と嗚咽混じりに何度も耳元で呟く『彼女』の姿が、この非現実的な状況が現実であることを痛いほどに物語っていた。