聖女の覚醒
「恥ずかしいかもしれないけれど、小鳥は私から離れてはいけないよ。接触していないと竜気を分けてあげられないからね。大丈夫、必ず炉心核は治るからね」
そう優しく言い聞かせられてしまっては、恥ずかしいからもう嫌だとは完全に言えなくなってしまった。
ヴァルトリウスのことは大国の王で全ての竜種を束ねる主であると言うことしかセレンディアは知らない。
普通もっと緊張、あるいは何故こんなに──それこそ手中の小鳥を大切にするかのように扱うのか──自分をどうするつもりなのか警戒しても良さそうなところを、何故だか妙に逆らえない。セレンディアがまがりなりにも竜の炉心核を持つからだろうか。それとも死にたいとすら思っていたところを救われたからだろうか。ヴァルトリウスのそばにいると炉心核からの痛みが覿面に和らぐからだろうか、警戒だのといった感情が湧いてこないのだ。
後から追いついた神官たちに囲まれ──壊れた街はヴァルトリウスが魔法で立ち所に直してくれた──リーゼと彼女の騎士たちを引き連れ、ヴァルトリウスに抱きかかえられたまま、セレンディアは舞踏会以外で初めて王城へと足を踏み入れたのだった。
「さて──先ずは先に起こった街中での騒動──その全てを解決してくださったことに心から御礼申し上げる」
そう言ってロマニの国王は頭を下げた。そうしてちらりとセレンディアに視線を送った。
「その──娘は」
「彼女は私がもらい受ける──いや、取り戻す、と言った方が正確か」
周囲からざわりと囁きが上がるがヴァルトリウスはこれを全く無視した。驚いてセレンディアが見上げると、これにはにこりと朗らかな笑顔を返す。
「炉心核を含めた竜種の全ては私の翼の庇護下にある。これは自明の理だ。街の修復についても礼は受け取らぬ。私のものが騒ぎを起こしたのなら私が治めるのは当たり前のこと故」
「ヴァルトリウス陛下……おそれながらその娘はエルスナム侯爵の一人娘です。侯爵の承諾なくしては……」
これは政に疎いセレンディアでもわかる。嫁入り前の娘を連れて行きます、はいどうぞ、とはいくら王であっても言ってはいけない言葉だろう。
けれどそれを言わざるを得ない空気がヴァルトリウスにはあった。先程彼が言ったように、セレンディアは彼の庇護下にあるが、それはつまりヴァルトリウスの見えない翼の外は彼が庇護する対象ではないのだ。
「貰い受けると、私は言ったぞ」
瞬間、その場の重力が何倍にも膨れ上がったかのように、王を含めた同席していたロマニ公国の重鎮たちがテーブルに伏した。勢い余って椅子から転げ落ちた者もいる。そばに仕えていた使用人たちもバタバタ倒れていく中、耐えているのは同席を許されていたリーゼとその騎士たちだけだった。一言に耐えると言っても並大抵のことではないのだと、額に浮いた脂汗が物語っている。
これは魔法ではない。竜種の王の覇気だ。
失神してしまわないかが心配で、ヴァルトリウスにやめてもらえるようお願い出来ないかとセレンディアがリーゼに視線をうつした時、彼女は頭を抱えていた。
「……っく、なに、誰──」
「リーゼ様! ヴァルトリウス様、どうかお怒りをといては」
言いかけてセレンディアは黙る。彼の形の良い眉がキツく寄せられ、じっとリーゼを注視していたからだ。ヴァルトリウスの放った覇気が元に収まり、それでもまだその黄金の瞳には嫌悪に近いものが浮かんでいる。
「リーゼ様? 大丈夫ですか?」
「どこか具合が悪いのかい?」
リーゼを騎士たちが心配して周りを取り囲む中、小さな声で何かぶつぶつ唱えていたリーゼが荒々しく顔を上げた。
「信ッじらんない!! これ悪役令嬢ルートじゃん!? 何考えてんのよこのクソ馬鹿聖女!! これじゃ私がヴァル様と結婚できないじゃん!! どうしてくれんのよ!!」
その怒りの表情と咆哮は凄まじかったが、ここにいる誰もが彼女の言う意味を理解できなかった。
ガタリと席を立ったリーゼは音を立てながらヴァルトリウスの元へ歩み寄り、聖女らしく胸の前で両手を組み、いかにも悲しげな哀れっぽい表情を見せた。
「ヴァルトリウス様はその女に惑わされております! それは『災厄の魔女』として世界各地に災いをもたらす悪女です! 直ちに然るべき封印を施して鎮めなければ世界中に災厄が降り注いでしまいます!」
──『厄災の魔女』
今確かに彼女はそう言った。しかしそれはセレンディアの炉心核が暴走し、自我が崩壊して国や街を襲い始めてから初めて呼ばれ始める通り名だ。暴走はしかけたがヴァルトリウスに庇護されたセレンディアはまだ厄災の魔女と呼ばれるような事はしていない──何も。なのに何故彼女は通り名を知っている?
(もしかしてリーゼ様も未来視を使える? でもそれにしたって性格が急に変わるなんて)
セレンディアが思考を回している間もリーゼは必死になって言い募る。
「お願いですヴァル様! わたくしと手をとって、この厄災の魔女を封印いたしましょう! そして私をヴァル様の国にお連れください! 聖女の力で国の淀みを消し去ってご覧にいれますわ!」
最後はとびきりの笑顔で言ったリーゼを不思議なものを見るように見て、ヴァルトリウスはことりと小首を傾げた。自然距離の近かったセレンディアの頭にヴァルトリウスの頬が触れる。
未だ両手を組んでキラキラとした瞳でヴァルトリウスを見上げるリーゼを、ヴァルトリウスはないものとして扱うようにしたようだ。
「世の中わけがわからないことも起こるものだ──巻き込まれて君の身体に障ってはいけない。我々は失礼しよう」
頬を傾けてセレンディアの真珠色の髪にキスをしたヴァルトリウスは、あやすような声で言ってセレンディアを抱き上げた。
カタリと席を立つと、目を回しているロマニ国王に声をかける。
「ご自慢の聖女様は大変にお疲れのご様子だ。早急に休みを取られるが良かろう。我々はこのまま失礼する故見送りは結構」
「えっちょっと、ヴァル様! 私の話を聞いてください! 本当にその女は危険なんです!!」
「は……いえそんな、ヴァルトリウス陛下!」
「世話になった。小鳥は私が幸せにする故心配するなと両親には伝えるが良い。申し立てあるならばドラゴニア帝国へ来られるが良かろう。ヴァルトリウス・ウーサー・ドラゴニア自らお相手申すと伝えてくれ」
ブンと足元で魔法陣が展開する音がして、セレンディアを抱えたヴァルトリウスの姿は瞬時に消えて、魔法陣も跡形もなく消えていったのだった。
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