竜種の王
『小鳥。そんなことをしてはいけないよ』
蕩けるような低い声で言って男は炉心核に食い込んだセレンディアの手を元の位置に戻させる。
「……ぁ、ぇ?」
茫然自失になったセレンディアは、ただ真っ直ぐに己を抱き上げている男を見上げて目を見開いた。
肩まで伸びた漆黒の髪に、陶器のように白い肌。頭頂部からは捻れ伸びた漆黒の角が天をついていた。双眸はキラキラした金色で、セレンディアを見つめている。顔だけで国を傾けそうな美形だ。しかも彼女の体を支える腕は頑強で少しのゆらぎもない。
(……ふしぎ)
そうして何故だか、ただ『助かったのだ』、という感覚だけが強く全身に波及していた。名も知らぬ男が現れた、ただそれだけのことが、何かとてつもなく大きなものの庇護下に置かれたような心地をもたらしている。触れていると炉心核の痛みすらもがじわじわと癒やされているような心地になるのが不思議だった。
『ん? ──あぁそうだ、小鳥の名はなんと言うんだい?』
呆然と見つめていると、彼が唸りに近いような低い声で言って小首を傾げた。
「あ──セ、セレンディア、と……」
「あぁ──こちらの言葉のほうがわかりやすいかな」
なるほど先程までは別の言語で話していたのか──言われてみれば今彼が発した言葉は耳馴染みの良い母国語だ。ならば何故自分は聞いたこともない彼の話す言葉を理解できたのだろう──かすかに浮かんだ疑問は、背後から聞こえたリーゼの声によって遮られた。
「セレンディアさま! ご無事ですか!?」
柔らかく長い栗毛の髪を振り乱して、瑠璃のような双眼に涙を浮かべたリーゼがセレンディアのもとへ駆け寄って胸元で手を組む。リーゼの後ろに控えていた騎士たちも小走りに近寄って、ちょっとした人だかりが出来てしまった。
「リーゼさま……私」
「よかった……本当に……っ」
そう言って涙を拭って顔を上げたリーゼが、セレンディアを抱えた男を見て凍りついた。
「ヴァルトリウス陛下……!?」
──ヴァルトリウス。今彼女はそう言ったか。
ヴァルトリウス・ウーサー・ドラゴニア。大陸西方に位置する世界最大の大国ドラゴニア帝国の王にして、すべての竜種の王の名である。長命の竜種故、建国400年以来一度たりとも王位を退いたことのない、また幾たび起こった戦に於いてただの一度も敗北を喫したことのない、有り体に言えば物凄く大きな国の物凄く長く在位している物凄く偉くて強い王である。セレンディアのような貴族の端くれのような小さな家柄であっても、ヴァルトリウスの名前を知らないものはいない。この国と取引の為に来賓するとは知っていたが、他国の王の顔まで知るわけがない。
身体をこわばらせ、ぎこちなく男──ヴァルトリウスを見上げると、彼は「うん?」と優しげな笑みを浮かべて小首を傾げている。
「ヴァルトリウス陛下とは存じず……大変な失礼を……!」
セレンディアはもごもごと動いてヴァルトリウスの腕の中から脱しようとしたが、あっさりと再び抱え直されただけだった。
「良い良い。今は身体が辛いだろう。甘えていなさい」
ひどく親切な言葉も、事実を知った今では放たれる帝王のオーラと共に輝くような顔面で目を焼かれそうだった。
「まさか陛下御身ずからおいでになるとは思わず礼を失しました。どうか寛大な心でお許しを──」
騎士たちと共に一斉に地面へ傅いたリーゼを見下ろしてヴァルトリウスはクツクツと笑う。
「なに、竜気に惹かれて参じたまでよ。顔を上げるがいい」
皆一様に顔をあげ、佇まいを正す。セレンディアだけがヴァルトリウスに横抱きにされたままだ。炉心核の痛みは和らぐが、他国の王に抱き上げられたままでは居心地が悪い。
「お前は聖女の一人だと言うな。各地に湧く『淀み』を祈りを持って浄化するとか」
「は……はい。まだ聖女見習いではございますが。いずれ正式な聖女として世界の為に働けるよう努力する所存にございます」
「そしてお前もだね? 小鳥」
急に水を向けられてセレンディアはぱちりと瞬く。
「わ──私にはリーゼ様のように大きな聖力も魔力もありません。この国一番の聖女は間違いなくリーゼ様でございます」
淀みとは世界中に現れるいわば魔物の沸きどころだ。それは魔界に繋がっているとされ、今のところ強力な炎を発端とした水、風、土、雷の五代属性の力を使った、魔法によって力づくで周辺ごと滅ぼすか、聖女の持つ浄化の力によって二度と現れぬよう浄化するかのどちらかしかなかった。
セレンディアの住むこのロマニ公国はとても小さな国だが、聖女の排出率に於いては他の追随を許さぬ、まさしく『聖女の国』であった。厳しい訓練を経た力を持つ聖女を他国へと輩出する代わりに、他国からの特産品を得るなどして国家の生計を賄っているのだ。
今回ドラゴニア帝国の来賓も、自国のための聖女を賜りたいからではないかというのが大方の見方だ。今のロマニ国での一番の実力者は間違いなくリーゼだ。ドラゴニア帝国は聖女を持たない。淀みが湧くたびに王自ら辺り一体を焼き払うので緑もない。ただ鉱物資源が大変に純度が高く高額で取引されるため、リーゼ獲得のための手段にするのでは、と言うのが漏れ聞こえる市井の声であった。
そう──そんな重大そうな話をしに来たはずの帝王が何故こんな市街地の真ん中で炉心核の暴走に巻き込まれそう──一瞬で制圧されたが──になっているのか。話し合いは大丈夫なのか。あと何故自分を『小鳥』と呼ぶのか──なにゆえお姫様抱っこのまま悠然と立っているのか──話し合いは大丈夫なのか(二回目)。
グルグルと考え込んでいると、城の方から何やらバタバタと足音が近づき、神官らが慌てて走ってくるのが見えた。
「……ヴァルッ、トリウス陛下ッ……ご無事であらせられますか!」
「あぁ。出迎えに来てくれたのか。ご苦労。この通り何もなかったぞ」
「それは……っなにより……なに……」
老体に鞭打ち必死に走ったのだろう神官はゼーゼー言いながら顔を上げ、竜帝と、その腕に抱かれているセレンディアを見て絶句した。
それはなに? どゆこと?
セレンディアは思う。今私は神官が思ったことを一言一句違わずに予言できた、と。
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