災厄の魔女
──それは言うなれば漆黒の泥、だった。
手も足も思うようには動かず、ただ泥の中をもがくことしか出来ない。球状の泥の中は叩いても壊れず、天井から絶えず泥が滴り落ちて彼女に不快感と共に鋭い痛みを与えた。
(あぁ──やっぱりまただめだったんだ)
深い落胆と共に彼女──セレンディアは視線を落とす。
セレンディアの心臓の隣には、強い魔力を求めた両親の手により、『竜の炉心核』と呼ばれる宝珠が移植されている。竜種と呼ばれる種族の中でも、七匹の祖竜と呼ばれる特殊な竜しか持たない稀少な奇跡の宝重だ。
ひとたび使えば嵐を呼び地を沈め海を沸騰させる──そんなことすら可能な奇跡の力は、セレンディアに時を戻す力と未来視を与えた。
自らでは制御できない──偶発的に覗き見た未来は惨憺たるものだった。
セレンディアは十八歳になる頃合いに『竜の炉心核』の制御を完全に失い、自己を崩壊させた彼女は国を、街を、村を炉心核の暴走するに任せて各国を襲い、破壊して回るようになるのだ。
『厄災の魔女』──そう呼ばれ世界中から畏れられる存在となった彼女は、最期には聖女と呼ばれる存在とその仲間たちによって討たれて死を迎え、その遺骸は封印される。それが彼女が見た自分の未来だ。
──助かりたかった。死にたくはなかった。
その悲痛な願いに応えてか、『竜の炉心核』は彼女が死ぬ度時を戻してくれた。
その力で、セレンディアはありとあらゆる可能性を探って自らの死の回避方法を探した。
ある時は魔法の鍛錬に身を費やし、『竜の炉心核』の制御方法を身につけようとしたし、ある時は聖女候補の1人として立候補し、聖女になるには必要不可欠な浄化の力を高め炉心核自体を封印しようともした。ある時は竜種の国で炉心核の制御を学べないものかと国外を目指したが、稀少な『竜の炉心核』を持つセレンディアを逃すまいとした家族からの妨害と、その後の幽閉が待っていた。
今回は自分に直接手を下す事になる聖女との友好を深める事で死を逃れれはしないかと努力してみたが、聖女──リーゼとの間に友誼は結べても、聖女としての優秀な彼女の力を持ってしても炉心核の暴走を抑えることはできなかった。
(それに……もう)
「!!」
不意に胸元からバキリと音がして、全身が痙攣するほどの激痛が走った。炉心核にヒビが入ったのだ。悲鳴すら上げることのできない痛みに喘ぎ、彼女は身を折って耐えるしかない。
「セレンディアさま! 気を確かにして下さい!」
外側でリーゼが必死に呼びかける声が聞こえる。痛む体でかろうじて見下ろしたリーゼは、胸の前で手を組み必死に聖言を唱えていた。
そんな彼女の極近くを、炉心核の暴走によって吹き飛ばされたのだろう石壁の煉瓦が木の葉のように飛んでいく。背後に控えていた騎士の一人が咄嗟に前へと進み出てその背でリーゼを庇った。
聖言など教会のことわりの外にいる竜種には関係がない。あるとすればそれは圧倒的な浄化の力のみだ。それだけが暴走した炉心核を封印することができる。けれどリーゼの力は未だその境地には至っていない。セレンディアが暴走し、災厄の魔女となって世界を破壊して回るようになって初めて高まっていく力なのだ。
「セレンディアさま! お願いあきらめないで!!」
リーゼが悲痛な声で涙交じりに叫ぶ。応える気力さえ失ったセレンディアは、泥に凭れてかすかな笑みを浮かべた。
(ごめんね──もうこれがさいごなの)
炉心核はセレンディアが死を迎える度時を戻して彼女を救ったが、それももう最後だろう。彼女の見た未来では炉心核にヒビは入っていなかった。
おそらく度重なる時間の巻き戻しが炉心核に負担を与えたのだ。
(きっともう時は戻らない──これが最期)
未だ心臓の鼓動と共に痛む胸元をぎゅっと抑え、セレンディアは空を仰ぐ。
何もない真っ暗な空間──炉心核の作り出した次元の塊の中では外の様子をきちんと窺い知ることは叶わない。
わかるのはきっと外では今までの過去と同じ通り、突如現れた漆黒の球体と、そこから放たれる炉心核の魔力余波によって崩れていく街を守るべく、リーゼや彼女に仕える騎士たちが奮闘していることだろう。
(誰かに迷惑をかけるのなら──これが最期だというのなら)
国を焼き街を焼き、『災厄の魔女』として人々に畏れられて人生を終えるくらいなら、今ここで自分で幕を引くのも悪くはない。
もう充分に足掻いたと思う。死の恐怖に怯えながらも、思いつくことは全てやってみた。その結果がこれならば、それはもうきっとセレンディアの運命なのだ。
それならばせめて、災厄など振り撒く前に消えてなくなってしまいたい。
『──さいしょから、生まれてくるんじゃなかった』
ぽつり、といつも胸の内に秘めていた本音がこぼれた。
こんな、無駄な一生を送るのなら。せっかく友達になってくれたリーゼに友人を手にかける苦行を強いるくらいなら。人々に厄災を振り撒く存在にしかなれないなら。きっとはじめから生まれるべきではなかったのだ。
こぼれ出た涙が頬を伝う。それを拭うこともせず、セレンディアは胸に当てた手のひらに魔力を込めた。 竜の炉心核を持つくせにまるっきり五代要素の魔法の才覚のなかった彼女が唯一使える魔法──『同化』の力だ。小さな光が灯り、胸に当てた手のひらがゆっくりと身体の中へ沈んでいく。
「ダメ! やめてセレンディアさま!」
泥に覆われてなおできた隙間からセレンディアのしようとしていることを察したのだろうリーゼの悲鳴が聞こえる。
「……っく」
手のひらが皮膚を通り抜ける感覚が不快だ。炉心核に指先が触れると、火傷しそうなほど熱く痛く、その限界値を物語っていた。
あとはこれを壊すだけだ。こんなにもひび割れているならきっとできる。それでこの苦しみのループも終わるし未来は変わる。
「……っ」
息を飲み、手のひらに力を込めるその瞬間。
『あぁ──かわいそうな小鳥。良い子だからこちらへおいで』
「──え?」
暗く澱んだ空間に光が差し込み、唐突にセレンディアは何者かの腕の中へと抱き込まれていたのだった。
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