第3話「夢共有カード」
そのコンビニは、迷っている人間の前に現れる。
少なくとも、彼はそう思った。
夜の病院は、静かすぎる。
廊下に並ぶ蛍光灯の光が、やけに白い。
青年は、椅子に座ったまま、動けずにいた。
目の前の扉には、「面会謝絶」の文字。
中にいるのは、妹だった。
事故だった。
信号無視の車に巻き込まれ、意識が戻らないまま三日が過ぎている。
医者は言った。
「意識が戻る可能性は、低いです」
その言葉が、頭の中で何度も繰り返されている。
「……ふざけんなよ」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
ただ、何もできないことが、耐えられなかった。
そのときだった。
ふと、視界の端に光が差し込む。
病院の出口の向こう。
見覚えのないコンビニが、そこにあった。
店内は、やはり静かだった。
音が、ない。
レジの奥に、店員がひとり。
ただ、そこにいる。
青年は、まっすぐ棚へ向かった。
考えるより先に、何かを探していた。
“どうにかできるもの”を。
並んでいる商品は、どれも現実から浮いている。
「三秒だけ先が見えるガム」
「感情保存ボトル」
「未来メモ」
そして、その中にあった。
カードが一枚。
透明なケースに入っている。
ラベルには、こう書かれていた。
「夢共有カード」
――“対象と夢を共有できます”
短い説明。
それだけだった。
「……夢」
青年は、カードを手に取った。
もし、会えるなら。
もし、話せるなら。
たとえ現実じゃなくてもいい。
ただ、一度だけでいい。
妹と、もう一度。
青年は、そのままレジへ向かった。
病院に戻る。
夜は、さらに深くなっていた。
面会謝絶の扉の前。
看護師の姿はない。
青年は、静かに中へ入った。
ベッドの上に、妹がいる。
目は閉じられたまま。
呼吸器の音だけが、規則的に響いている。
「……おい」
声をかけても、反応はない。
わかっている。
それでも、呼んでしまう。
青年は、カードを取り出した。
どう使うのかは、直感でわかった。
妹の手に、そっと触れる。
カードを、その上に重ねる。
瞬間。
意識が、落ちた。
目を開ける。
そこは、見覚えのある場所だった。
子どもの頃によく遊んだ、公園。
夕焼けの色が、空を染めている。
「……兄ちゃん?」
振り返る。
そこに、妹がいた。
元気だった頃のままの姿で。
「……お前」
言葉が詰まる。
声が出ない。
ただ、そこにいる。
確かに、いる。
「久しぶりだね」
妹は、少しだけ笑った。
その笑顔は、何も知らない頃のままだった。
事故のことも、病院のことも。
何も知らない。
「……ああ」
青年は、ようやく声を出した。
「元気そうだな」
「うん。なんか、ずっとここにいた感じ」
妹は、首を傾げる。
「兄ちゃんは?」
「……まあ、それなりに」
本当は、全然違う。
だが、言えなかった。
言えば、この時間が壊れそうで。
二人は、しばらく並んで歩いた。
何でもない話をする。
昔の話。
くだらない話。
それだけで、十分だった。
これでいい。
これだけでいい。
そう思った。
だが――
「兄ちゃん」
妹が、立ち止まる。
「帰らなくていいの?」
その一言で、空気が変わった。
「……え?」
「なんか、向こうにあるでしょ」
妹は、遠くを見る。
そこには、何もないはずなのに。
「私、ここでもいいよ?」
笑って言う。
その言葉に、胸が締め付けられる。
「ここなら、ずっと一緒にいられるし」
その“優しさ”が、痛かった。
これは、現実じゃない。
わかっている。
だが――
ここにいれば、失わなくていい。
苦しまなくていい。
選べる。
そう思った瞬間。
視界の端に、誰かが立っているのが見えた。
あの子どもだった。
公園の端に立ち、こちらを見ている。
「……お前」
声をかける。
子どもは、静かに言った。
「それ、共有だよ」
「……何が」
「片方が望めば、もう片方も引っ張られる」
意味が、ゆっくりと理解される。
青年は、妹を見る。
無邪気に笑っている。
だが、それは――
「お前、戻りたくないのか」
妹は、少しだけ考えてから答えた。
「わかんない。でも、兄ちゃんがいるなら、どっちでもいい」
その言葉で、すべてが決まった。
これは、“逃げ”だ。
自分のための選択だ。
妹のためじゃない。
ただ、自分が楽になるための。
青年は、目を閉じた。
そして、妹の手を離した。
目を開ける。
病院のベッドの横。
呼吸器の音が、現実を刻んでいる。
妹は、動かない。
青年は、その場に崩れ落ちた。
「……くそ」
涙が、止まらなかった。
帰り道。
コンビニの前に立つ。
光は、変わらない。
中に入る気にはなれなかった。
ただ、ポケットからレシートを取り出す。
『購入商品:夢共有カード』
『共有時間:12分34秒』
『影響:相互依存傾向あり』
青年は、それを見つめた。
救われたのか。
壊れかけたのか。
わからない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
――“優しさだけでは、正しくないこともある”
コンビニの光は、何も言わない。
ただ、そこにある。
選んだ人間の、結果だけを残して。




