わたくしの想いが終わるとき それは新たな想いの始まり
宴は滞りなく進んでいった。
次から次へと挨拶にやって来る客に対し、笑顔で対応していき、顔が引きつるのを久しぶりに体験した。
義姉であるアンシアと共に挨拶にやって来たロベルトは、フィリネグレイアの予想とは裏腹にあっという間に帰って行き、大神官の付き添いで出席していたラオフェントは大神官と挨拶した後何故か1人で戻って来たと思ったらいつの間にか現れた大神官に回収されていった。
懐妊中のルフィエアナも出席しており、彼女の夫である侯爵は始終彼女の心配をしていた。
それぞれ己の道を進み、昔の様に気軽に会えなくなった親しい人たちとこうして会話出来るなら、宴に出るのも悪くないとフィリネグレイアは思った。
宴がお開きになった後、フィリネグレイアは国王に提案する。
2人で後宮の温室に行きたい、と。
照明によって仄かに温室内が照らされている。
「あと少しで婚儀の日ですね」
温室に来るまで2人は始終無言だったが、ここに着てようやくフィリネグレイアが口を開いた。
国王は何も言わず、無言のまま。
別に国王から何か言葉が欲しかったわけではなかったので、フィリネグレイアは別段気にしなかった。
「その前に、陛下にお伝えしたい事があります」
「何だ?」
静かに国王は問う。
フィリネグレイアは大きく心臓が脈打ち、一瞬息が出来なくなった。
それでも彼女には伝えたい事がある。
自分の立場をはっきりと認識する為にも、自分の気持ち的にも。
「わたくしは陛下の思っていらっしゃる人間ではなかったようです」
これだけでは伝えたいことは正確に伝わらないだろうと分かっている。案の定、国王は何を言いたいのかと無言で問いかけてきている。
「つまり、わたくしも臣下である前に唯の女だった、ということです」
フィリネグレイアは笑う。とても悲しげに、そして自分を嘲る様に。
「それは」
「なのでお気を付け下さい。むやみに期待させると、調子に乗ってしまいますよ?」
それきり国王とフィリネグレイアはお互いを見つめたまま何も言わない。
フィリネグレイアは押せ押せと助言してくれたトーチェの言葉を思い出した。
引いてだめなら押してみる。
この場に来る前までは、己の想いをぶちまけ、国王の思惑通りにいかなかったぞと笑ってやるつもりだった。だが、彼女はそうしないことにした。
どうしてここで心変わりしたのか、彼女自身もよく分らない。だが、一つあげるならこの温室が彼女にとって彼との特別な場所だからだろうか。
ここで、彼女は決意した。
フィリネグレイアは終わらせる。これ以上自分のこの想いに煩わされる事を。
自分の想いは目の前の人の近くにいるかぎり変わることは無いだろう。彼女は伝えようと思っていた気持ちを自分の奥底に仕舞い込んだ。
笑みを浮かべ、フィリネグレイアは国王から視線を外し、夜空を見上げる。
いつかこの想いを伝える日が来るのだろうか。長い時を過ごした後、彼に笑いながらその想いを伝えることが出来るなら、そのような未来が来るのなら、自分は・・・。
そこまで考え、フィリネグレイアは目を閉じた。
目を閉じて、思う。自分は幸せだと。
宴で話した人々は良い印象を受けた人もいれば、悪い印象を持った人もいる。その全ての人と協力し、時には対立し、自分は国を、家族を守る。
再び国王を見ると、彼も空を見上げていた。
彼もあと数日で自分の家族になる。
「空、綺麗ですね。温室の照明があるのに、こんなにはっきりと見えるものなのですね」
「ここの周りは林に囲まれているから、他からの光も届きにくい。だからだろう」
「そうですか」
その後、戻ってこないフィリネグレイアを探すミュレアが温室にやって来るまで、2人は空を見ていた。
この数日後国王の婚儀が盛大に執り行われた。
花嫁は公爵家の一人娘。
後に彼女は積極的に公務に取り組み国王を支え続けた。また国を支える役人として女性労働環境の改善を始め、教育方面にも力を注ぎ、多くの人々に必要とされるようになる。
恋愛結婚ではなく、他者の介入によって成立した結婚ではあったが、夫婦仲は良く、公務の際には民衆に仲睦まじい姿を見せていた。
ただ、婚儀の数週間後、王妃となった彼女は実家に戻ってしまった。
当時、彼女は既に国政に加わっていたので、王宮にはほぼ毎日通っていた。だが、自分の家となった後宮には決して戻らず、国王にも会うことはなかった。
何が原因だったのか、当時は役人や貴族の間で噂になったものだ。
ここからは彼らの親しい人たちしか知らない話なのだが、何回も国王は彼女の実家に赴き、彼女が戻って来るように説得しようとした。それは事前に国王が来る事を察知した彼女の兄とその妻によって尽く阻止されていったが、この攻防戦は約一カ月程続き、勝ったのは国王。
それ以来、国王はなかなか彼女を実家に帰そうとせず、王妃を困らせることになる。
貴女の妻となる人が可哀想ですね、と発言したばかりにその可哀想な人になってしまったオイネット公爵嬢は、国王に振り回されたり、逆に無意識のうちに国王を振り回したりしながら、生きていく。
彼女は婚儀の前に己の気持ちを、国王への愛を自分の奥底へ仕舞い込んでしまった。
仕舞い込んで無理やり終わらせたと思いこんだ愛は、その実、終わらせては、消せはしなかったということを彼女は後に思い知ることになる。
いつの間にか始まり、抑えつけたこの想い。
再び息を吹き返すのは、そう遠くない未来。
この物語はいったんここで終わりです。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。