28.けむくじゃらお化けの噂と黒馬
「うわぁすごい、カッコイイ!」
放牧場の柵越しに、ラミーは近寄ってきた馬に感動して撫でようと手を伸ばす。
「危ないッスよ、お嬢さん!そいつは・・」
言いかけた世話係の青年が、続く言葉を飲み込んでポカンと口を開けて佇む。その真っ黒な馬はラミーのすぐ前で止まり、じっと見つめながら撫でられるままになっている。
「初めまして、私はラミーよ。アナタ毛並みもキレイだし、良い目をしてるわ」
しばらくは大人しく撫でられていたが、ブルル、と返事をするように首を揺らし、ふい、と向きを変えて去って行った。
放牧場を見渡すと、他の馬は毛色は茶系で大きさも一回り小さい。黒い馬は体格もさることながら走る姿も優美、たてがみや尾も豊かで毛艶も良く、思わず目を奪われる。
「無事で良かったッス。あいつはちょっと扱いづらくて、人を選ぶンスよ」
慌てて駆け寄りながらそう言って、人のよさそうな青年は少女の無事に胸をなでおろし、ラミーに近づこうとして約二メートル手前で立ち止まった。
飾り気のないパンツスタイル、後ろでざっくり編んだ淡い金糸。陶器のような肌にアメジストの大きな瞳、ほんのり上気した頬に形の良い唇。以前の貧乏実家暮らしと大差のない恰好でも、栄養豊かな食事と侍女の行き届いた手入れで輝きを増した髪や肌は、素材の良さが引き立てられて令嬢後光がさしている。そんなきらきらエフェクトを纏った姿は田舎青年には衝撃的で、これまで出会ったことのない、名画から抜け出したような美少女を前に固まってしまったらしい。
「あ、ああ、あの、ぼ、ぼ、僕は、その、・・・」
ラミーが初対面の挨拶をして微笑みかけると、真っ赤になって口調はしどろもどろに。名はバウム、厩舎で主に馬の世話を担当していると自己紹介するのに、十分はかかったかもしれない。
そんな風にラミーの容姿にド緊張したバウムだったが、気さくで訪れるたびに嬉々として馬の世話をする様子や、全く気取った言動も相手によって裏表もないストレートな性格に安堵し、徐々に打ち解けていく。
その居心地の良さで厩舎を訪れる回数が増えていき、反対に本館内から見たぼっち時間が増えるのを心配されたのか、夕食時にポルテが畑で聞いた噂を披露した。
「ウレシックさんが立入禁止って言ってた川向うの森にね、けむくじゃらの巨人がいるんですって」
白い小鳥か蝶のような影が飛んで行った先に佇む巨人の影が見えたとか、遠くからこちらを伺うような視線に気づいて森の方を見ると大きな影が動いて怖くなって逃げたとか、川の向こう岸の岩陰にうずくまるような大きな影が見えたとか。いずれも夕闇の押し迫った時間でハッキリと確認したことは無いらしいが、年に数回の目撃があるという。
奥はけっこう深い森だし、大型の野生動物がいたとしても不思議ではない。だからこそ、危険で立入禁止にしているのでは?と思うのだが、飛んでいく白い影の向こうに見えるけむくじゃらの巨人、というのが何名かの共通だった。
「夕方は早めに帰った方がいいよ、ラミー」
「けむくじゃらおばけはともかく、野生動物はいそうだもんね」
食堂メニューもすっかり春で、新芽のフリッターや山菜サラダが絶品だなと感心しつつ、
「そうだね、キリシマ強そうだけど私の剣技なんてイマイチだし、気を付ける」
ちょっと心配してくれるご令嬢たちとはズレて理解しているようだ。
「ところで、シルベーヌはずっと執務室なの?」
「そうみたい。この前訪ねたら、迫力のある笑顔で特製の栄養ドリンク飲んでた。そっちのがお化けより怖そうだったよ」
あはははは、ほほほ、と、ハズレくじを逃れた令嬢たちは乾いた笑いを漏らしながら、頑張れ未来の王妃!と、心の中で応援しておいた。
仮に親友シルベーヌが暇を持て余していても、貴族令嬢が進んで乗馬をするとは考えられないし、友人だからと無理に付き合ってもらうつもりもない。ラミーにとってはむしろ馬との自由を満喫出来て、友人と過ごす時とはまた違った充実感のある時間になっている。
休日はもちろん、仕事終わりにも顔を出す日が増え、バウムだけでなく、もう一人の専任担当であるマイペースおじさんのヌガーや、畑作業と兼任の馬の世話に来る人たちとも馴染んで、一か月もすると乗馬の常連兼馬のお世話仲間として受け入れられるようになる。
愛馬は扱いの難しい黒馬キリシマ、滞在時間も日を追うごとに伸びていき、今では休日ともなればランチ持参で入りび浸り、一人きままに離宮内を散策するのが定番になっていた。
「今日もよろしくね、キリシマ!」
午前中は馬の世話や馬房の掃除等を手伝い、早めに持参した軽食でランチを済ませると、ひらりと黒馬に跨る。最初は厩舎で働く皆が心配して見守っていたものだが、すっかり相棒と化すほどに見慣れた光景となりつつある。暖かな日差しと心地よい風を受けて、放牧場の裏から日陰の雪もキレイに無くなって若草の茂る草原を駆けていく。
キリシマも他の馬と同様、騎士団の引退馬らしい。が、現役の頃から能力は高いものの扱いが難しく、特定の人物しか乗りこなせなかったそうだ。走るのはずば抜けて早く、障害を避けるのも上手い。特にジャンプ力は他の馬の倍はあったと言われているが、まともに乗りこなせる人がいなかったので、残念ながらここで実際に見た者はいない。
普通、騎士団の馬は八~十歳で引退するが、キリシマは五歳と早かったのも、以前の乗り手が病で引退したあと、乗れる人がいなかったかららしい。
気性が荒いので馬車を引くにも向いていないし、ここでも扱いに困り、仕事を与えることも出来ずに馬房と放牧場を往復するだけの日々だったそうだ。
それがなぜか、初対面からラミーとだけは気が合うらしい。こうして草原を走れるようになって、キリシマも嬉しそうだとラミーは感じる。離宮の敷地は広いので、あちこち散策するたびに新しい発見があって楽しい。
中でもお気に入りはウレシックもオススメしてくれた湖で、対岸の森とその背後の急峻な山々を水面に映して煌めく風景は、ずっと見ていても飽きないくらい美しい。近づいてみると、意外に深そうで少し足先をつけるのも躊躇われた。
澄んだ水をのぞき込むと、水底に沈む倒木や大きな岩、茂る水草とそれらの隙間をツイ、とすり抜けるように泳ぐ魚が見える。一つだけある小さな桟橋の近くには、二艘の木船が括り付けてあった。
以前、食堂で食材の現地調達の話を聞いたところによると、この離宮には専門の漁師はいないが、希望者がそれぞれの仕事場で調整しながら、時々、魔法道具を使って漁をしているって教えてもらったっけ。
そういえば、見てみたいと思いながら実現してないなぁ。
ぼんやりと景色を目に移して、思考はあちこち逃避する。心地よく、ふわりと頬を撫でる暖かな風、湖のほとりに咲く小さな花々の間を淡い色の蝶が踊るように舞う。遠く近くに鳥の声が響き、葉擦れの穏やかな音に和む。
気性が荒いと評判のキリシマだが、こうしてラミーが呆けていても、近くで水を飲んだり草を食んだりするだけで大人しい。寄り添うほど近くは無いが、ラミーから姿が見える範囲より遠くへは行こうとしない。暴れたり勝手に走り出したりすることも無く、互いに自然体でいられる相棒のようだ。
そのキリシマが近づいてきて、ブルルと何かを訴えるように首を揺らす。どこか行きたい場所が出来たのか、乗れ、と言っているようだ。
ラミーがひらりと跨ると、キリシマは、湖のほとりから川に沿ってゆっくりと歩き出した。
ウレシックが注意していた、立入禁止の境界になる川は、元からあまり広くない幅が、上流に行くにしたがって徐々に細くなる。数十分ものんびり歩けば、向こう岸の浅瀬がはっきり見えるくらいだ。
対岸までは十メートルを超えているが、深い場所は数メートルもなさそうだ。しかし流れは速く特に真ん中あたりの水深はけっこうありそうで、馬でも人でも歩いて渡るのは無理だと思う。
ふと、キリシマの足が止まる。どうしかしたのかと周囲を見渡すと、ちょうど馬上の目線より少し上くらいの高さを、淡く光る白い鳥のようなものが飛んできた。その物体はラミー達がいる場所より三十メートルくらい上流の川を渡り、吸い込まれるようにして森に消えていく。
昨夜聞いた、けむくじゃらお化けの噂を思い出し、ラミーは少し緊張して森に目をやる。慎重に見まわしてみたけれど、けむくじゃらの黒い影は見えなかった。
ガッカリと安堵が混ざった心境で、
「キリシマ、もう少し上流まで行ってみる?」
馬上から首をポンポンと叩きながら聞くと、黒馬は上流を見据えて歩き出す。
ほんの数分、歩いたところでキリシマの足が止まったかと思うと、じっと対岸の森を見ている。
ラミーも目を凝らし、同じ場所を注意深く凝視すると・・・木々の間に動く影が見えたような気がした。
その途端、弾かれたようにキリシマが踵を返したかと思うと、向き直って今度は川に向かって走り出す。ラミーには分かった、これは川を越える気だ!
キリシマの動きに反応し、体制を変える。じっと前を見据えてタイミングを見逃さないよう集中すると、黒馬のジャンプに呼吸を合わせた。
一気に川を飛び越え、対岸の草地へ着地するやいなや、キリシマは森に分け入り進んでいく。
ーうわ、ちょっとヤバいかも。川向うの森は危険だと言われたけど、このキリシマは止めらんないよね。よし、まだ明るいし噂のお化けなら真相を突き止めてやろうじゃない!
覚悟を決めて道なき道を行く馬の背で、枝や葉っぱ、蔓に蜘蛛の巣なんぞを上手に避けていると、次第に視野が開けて森の中とは思えない小さいながらも立派な建物が見えた。
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