にじゅうさん ココロじゅうたいちゅう
「じゃ、じゃあ佐野さんって呼ぶから」
「う、うん……」
もやもやする胸を押さえつけて、私は頷く。“佐野さん”……か。なんか、ちょっと他人行儀な感じだよね。欲張りなのかもしれないけど、少し寂しい。
……でも、“佐野さん”って呼ばれた方が恥ずかしくはないし、むしろ好都合、なのかも?
そう考えたりしたけど、やっぱり寂しいものは寂しい。急にどうしたんだろう?
「えっと、佐野さんの家、ここだよね」
カナくんの言葉に、私は目の前の見慣れたマンションに視線を向けた。「うん」と頷いて、マンションの中に入っていく。
すると、カナくんが少し迷っているような表情をしながら、小さく呟いた。
「あのさ、俺……その、お兄さんに挨拶? とか、した方がいいのかな」
ちょっと不安そうなのが顔に出ている。別に、お兄ちゃんはカナくんがわざわざ何か言わなくても分かってくれると思うし、それに悪いことなんて何もしてないんだからそんなに気にしなくても大丈夫だと思うんだけど。普通に帰ってきましたって感じで私だけ家に帰っても、多分大丈夫だと思うし。
でも、お兄ちゃんからしたらカナくんに会いたいのかも? けどそれをカナくんに押しつけて家に寄ってもらうって言うのも緊張するし恥ずかしいし何よりもカナくんに悪い。うーん、どうしよう。カナくんに聞いてみるしかないかなぁ。
「えっと、別にカナくんがお兄ちゃんに何か言わなきゃいけないことはないと思うけど、もしカナくんがいいなら来てくれてもいいよって感じ……です」
ど、どうしよう。なんか恥ずかしくなってきた、耳が熱い。なんかすごい上から目線になっちゃったし、カナくん引いてないかな?
反省している私に、カナくんは小さな声で一言、行くと囁いた。俯いているから表情はよく見えないけど、少し顔が赤いような気がする。気のせい……かな?
「えーと、じゃあ行こっか」
私はそう言うと自分の家に向かう。カナくん、もしかして緊張してるのかな? ずっと黙ってるから、ちょっと心配だ。
たまに振り返ってカナくんの様子を見てみるけど、変わったことは特にない。居心地悪そうに、きょろきょろしたりカーディガンのボタンを触ったり。顔もまだちょっと赤いみたい。暑いのかな?
そうやって見ていると、急にカナくんが顔を上げた。
「佐野さん? どうかした?」
気づかれないように慌てて前を向いたけど、遅かったみたいだ。うぅ、恥ずかしい……。
「な、何も、ない……」
私まで顔が赤くなっちゃうじゃん。こんなので家に帰ったら余計驚かれちゃうよ……。
あまりの恥ずかしさにぼうっとしていたのか、家の前をとっくに通り過ぎていた。私のバカ。恥ずかしすぎて死にそうだよ。マンションの入り口からはそんなに距離ないのに、カナくんに気を取られてふらふらしてるからこんなことになるんだよ……。本当に、私ってバカだなぁ。ほんと、嫌になる。
「ご、ごめんねカナくん。ぼうっとしてたら通り過ぎちゃってた」
そう言いながら振り向くと、カナくんと目が合った。彼はとても驚いたみたいで、目を見開いている。
「どうしたの?」と尋ねようと口を開く前に、カナくんは私を見ないようにするみたいに、俯いた。そして、ごめん、と消え入りそうな声で謝る。
「別に、いいよ。大丈夫だから」
ぼそぼそとそう呟きながら私の前を歩くカナくんの背中はいつも通り小さくて、でも、男の子だった。
「おー、優樹菜おかえりー!」
満面の笑みを浮かべて私たちを出迎えたのはお兄ちゃんだった。何でそんなに楽しそうなんだろう。
そのあとカナくんを目にしたお兄ちゃんは、抱きつくんじゃないかってくらいの勢いで彼の手を取り、久しぶり~とか言ってにこにこしていた。そんなに久し振りじゃないでしょ。
すると、サユの鳴き声がリビングから聞こえてきた。私は、焦ってしまう。カナくんは犬が苦手なんだったーーーー! でも、それよりも注意しなければいけない人がいたのです。
「優樹菜おかえりっ! 久しぶりね!」
スーツ姿の女性が、私に抱きついた。この人こそ、私にとって久しぶりの。久しぶりの……。
「おかあ、さん……」
「ふっふー。優樹菜ってばまたかわいくなったんじゃないのぉ~? ほんっとに優樹菜は相変わらずかわいいねぇ」
お母さんは楽しそうにそう言った。私の大好きなお母さんは優しくて、私のことをよく褒めてくれる、すごくいい人。そう、なんだけど……。
「って……優樹菜、後ろの男の子誰?」
「う、あ、えっとこの子は……」
母の問いかけに、私はうろたえた。
私の母、佐野優子は、男の子関連のことにとても厳しいです。
「お、お母さん! ほんとに違うんだってばぁ~!」
「違うって、私はあなたのこと心配してるんじゃない! もう二度と優樹菜には傷ついてほしくないの!」
「うぅ……そうだけど、お母さんの言いたいことは分かるけど……」
お母さんは心配性だ。前に私が男の子関連のことで傷ついてから、心配性になってしまった。でもそれって幼稚園の話だし! 恋のうちには入らないよ、多分。情報が古すぎるよお母さん……。
ちなみにここは私の部屋。カナくんも部屋の中に入れられ、おろおろしている。お兄ちゃんはそんなカナくんを苦笑いしながら「大丈夫だよ~」とか諭している感じだ。お兄ちゃん、カナくんのことをまもってくれるのもいいけど、私と一緒に戦ってよ!
「優樹菜が家に男の子を連れてくるなんて……!」
「だからお母さんは大げさすぎるんだってば! めっちゃカナくん引いてるから!」
嘆くお母さんに責任を感じたのか俯くカナくん。心配だったけど、お兄ちゃんもいるし大丈夫だろう。お母さんは盛大に勘違いしているだけだから、誤解を解けば大丈夫なはず。
カナくんがお母さんに嫌われるのは嫌だし、カナくんにもうちの家族を見て「うわあ」と思ったりしてほしくない。それはかなりショックだ。
たしかに、付き合ってもいない男の子の家に行ったり自分の家に招いたりするのは、普通に考えたらおかしいというか、珍しいことかもしれない。けど、好きなんだもん。好きって気持ちに、嘘はないもん。だから。
「仕方……ないんだもん」
私は、自分に言い聞かせるように、誰にも聞こえないように呟いた。お母さんは何となく私が何か言ったことには気づいていたのだろうけど、何を言っていたのかまでは聞き取れなかったみたいで首を傾げている。
別に聞かせるつもりじゃなかったし、独り言だからむしろ聞いてほしくなかったから良かった。
「優樹菜、ちゃんと説明して?」
お母さんが私のことを心配して言ってくれているのはちゃんと分かってる。
ここで好きだとか言うのは本人もいるしお兄ちゃんもいるし、何よりすごく面倒なことになりかねないから絶対言わない。でも、いつまでも言葉を濁しているままじゃだめだよね。ちゃんと、今の状況を伝えよう。
「桧原くんは、私の友達だよ。お母さんが考えているみたいのじゃないから、安心して」
私は、そう言った。私たちは友達。今は、まだ。まだ違う。恋人とか、そんなんじゃない。
……自分で考えといて恥ずかしくなってきた。顔、赤くなったりしてないかな。私、すぐに顔にでるからなぁ。
「本当に?」
お母さんはまだ少し疑っている。だから、違うって。
お兄ちゃんは知らない人の言ったことでもすぐ信じちゃうけど、お母さんは逆に自分の実の娘の言葉も簡単に信じようとしない。少しはお兄ちゃんを見習ってほしい。お兄ちゃんも良くはないけど。というか、足して半分に割ったらちょうどいいんじゃないかと思う。
でも、まあそんな思い通りにはいかないものだよね。
「本当だよ~」
さすがにしつこい。疲れてきたところで、お兄ちゃんがやっと加勢してくれた。助かるけど、遅いよお兄ちゃん。
「優樹菜は本当のことを言ってるよ、母さん。こんな優樹菜が男の子と誰にも相談せずに付き合う訳ないじゃん」
お兄ちゃんはフォローのつもりで言ってくれたんだろうけど、地味に痛い。こんなって、こんな私って何……?
そっか、私って男の子と付き合うような感じじゃないって思われてるのか。そんなことは考えてなかったなぁ。だけど、カナくんのこと好きになっちゃった。付き合ってはないからセーフなのかもしれないけど。
「まあ、そうね。桧山くんだったかしら? ごめんね、暗くならないうちに早く帰った方がいいよね。引き留めちゃってごめんね」
突然名前を呼ばれたカナくんは驚きながらぱっと顔を上げた。まあ、そりゃそうか。名前間違えられてるし。
「あ、いえ、大丈夫です。あ、あと、桧原です……」
さりげなくカナくんは訂正を入れる。けれど、お母さんはあまり気にしていないのか聞いていないのか、桧山と呼び続ける。
「あ、あと桧山くんは本当に優樹菜の友達なの?」
「え、あ、はい。あの、俺は桧山じゃなくて」
もう一度訂正しようとするカナくんのこと場を遮って、お母さんはさらに質問を重ねる。我が母ながら恥ずかしい。
「それなら、ここにいるのはどうして?」
少しだけ口調がきつくなる。お兄ちゃんが止めようとするけど、お母さんは聞く耳を持たない。頭に血が上ってるみたいだ。そんなに興奮しないでほしい。だから、ただの友達なんだってば。っていうか、どうしてここにいるかって聞かれても返事に困るよね。
あ、でも、正直に送ってもらったって言ったら家に行っていたこともバレるわけで。それはだめだ。あれ? もしかして絶体絶命な感じ?
「えっと、それは、その……」
やっぱりカナくん、困ってる。ちらっとこっちを見たような気がしたけど、すぐに逸らされてしまった。ど、どうしよう……。
そんな時、間に割って入ってきたのはお兄ちゃんだった。救世主だ!
「母さん、それくらいにしとけよ。桧原くん困ってるだろ」
「で、でも」
「失礼だろ? 大人げないと思わないの?」
お兄ちゃんはお母さんに向かって大きなため息をつく。お兄ちゃん、こういう時はすごく頼りになる。本当に救世主だ。
お母さんを説得できるのはある意味お兄ちゃんだけだよね。さすがだ。あとでちゃんとお礼言わなきゃ。
「……えへへ~やっぱりそうよね? 桧山くんほんとにごめんね、私ってば疑心暗鬼になっちゃって。じゃあ、優樹菜。ちゃんと玄関まで見送りするのよ」
お母さんはそれだけ言うと私の部屋を出ていった。え、えっと……とりあえず、セーフかな? 良かったぁ。
って、そう言えばカナくんもう名前の訂正しなかったなぁ。もう諦めたのかな。お母さんも普通になってくれて良かった。カナくんに変な人だと思われたら嫌だもん。もしかしたらもう思われてるかもしれないけど。
そんなカナくんはほっとしたような表情をしている。うん、とりあえず一件落着だね。
「お兄ちゃん、ありがとう。おかげで助かったよ」
私がそう言うと、お兄ちゃんはにこにこしながら「かわいい妹のためだからね」と若干シスコンっぽい発言をしてくれた。誤解を招く言い方はやめてほしい。カナくんの前なんだよ。まあでも、お兄ちゃんに助けられたのは事実だし。
安心していると、カナくんが立ち上がった。
「じゃあ、俺帰るね。あ、あとお兄さん、ありがとうございました」
ぺこっと頭を下げるカナくん。お兄ちゃんはおろおろしながら「そんなのいいよ、やめよう」と言っていた。
「それじゃあね」
カナくんはもう一度頭を下げて部屋を出ていく。お母さんに言われたように見送りにいこうと思ったけど、外は寒いかもしれないからいいよ、と言われてしまった。気、使われたのかな……?
そう言われたら仕方がないので、せめてちゃんとここででも見送ろうと手をぶんぶん振ると、カナくんも手を振ってくれた。
ドアが閉まって彼の背中が見えなくなる。するとお兄ちゃんも私の部屋を出て行った。
私、佐野優樹菜は、いつでも全力投球です。……多分。




