じゅう じゅっきょくめは愛の歌?
「佐野さん、佐野さん」
「んぅ~……ん?」
私は頭を上げて声の主を確認した。茶色がかったふわふわの髪にぱっちりした丸い瞳、高めの声。ここまできたらもう即答。桧原奏音くんだ。
「わ、私、もしかして寝てた!?」
「うん、かなりね」
桧原くんはにこにこしながら言う。そ、そんなに寝てた?
そのとき、私は異変に気づいた。慌てて周りを見渡す。そして、それを口にした。
「桧原くんだけなの? 尾川くんと廣山さんは?」
何度も瞬きしながらそう尋ねると、彼は頷く。
「隆夜はドリンクバーで、廣山はトイレだってさ。二人とも遅いなー」
二人……。その言葉に私はビクついてしまった。そうだ。今、私たち二人だけなんだよね。
私は動揺しながら聞きたかったことを聞こうとした。
「あの、桧原くん……」
「ん? なに? ゆき」
「っ!?」
声にならない驚きが全身を駆け巡った。パニックで、頭がついていかない。い、今、ゆきって呼ばれた!
私が聞きたかったことは偶然にもそれだった。なんで佐野さんって呼ぶようになったのって、聞きたかった。だけど、質問する前に下の名前で呼ばれてしまったものだから、どう質問すればいいのかわからなくなってしまう。
しばらく悩んだ末に、こう質問してみた。
「な、なんでさっきまで私のこと佐野さんって呼んでたの?」
「え?」
桧原くんはぱちぱちと瞬きを何度か繰り返してから、ああ、と頷いた。
「人前でゆきって呼ばれるの嫌かなーと思って、佐野さんって呼んでたんだ」
そっちの方が嫌だったらごめんね、と付け足す桧原くんに、私はただただ「あぁー……」と感心するだけだった。
考えてくれていたんだ
嬉しくなってにやにやと笑ってしまう。自分キモい。
しばらくの沈黙のあと、桧原くんが口を開いた。
「二人遅いし、なんか歌う? あ、ゆきしんどくない? 顔赤いけど」
「う、うたいま、す。でも、桧原くんが先に――――」
最後まで口にする前に、人差し指で唇をおさえつけられた。目を見開いて、相手を見つめる。
「ひ、ひはらく、なにして、」
「約束、忘れた?」
上目づかいで訊いてくる桧原くん。私はすでに沸騰状態の脳を必死にフル活動させて考えた。
「あ、う……カナ、くん?」
そういうことか、と考えついた私は、とっさにそう口走った。顔を赤くさせる桧原くん、じゃなくて、カナくんがいる。
照れないでほしい。カナくんには、余裕ぶっていてほしい。恥ずかしいのはこっちだ。それに、そう言わせたのはカナくんだし。
「ああ、もー……」
手で顔を隠してうなだれるカナくん。めっちゃかわいいです、ハイ。
「ゆき、さ。それ、まったく自覚なしでやってる?」
「へ?」
私は首を傾げて間抜けな声を出した。自覚、とはなんのことだろう。私は聞き返した。
「自覚って、なにが?」
そう言う私に、カナくんはまた手で顔を隠し、大きなため息をついた。
「自覚なしか……」とつぶやいていたけど、だからなんのことだろう? よくわからない。
すると桧原くんは突然顔を上げて、リモコン専用のペンを手にとった。ピッピッという操作音が聞こえてくる。
それと同時に、部屋のBGM。なにやってるんだろう?
「これ、歌って」
そう言ってカナくんが差し出したりリモコンには「Dream」と映し出されていた。え、これ、さっき一回歌ったんだけど……。
「これ、一回歌ったよ?」
そう言ってもカナくんは「いいから、早く歌って」と、話を聞いてくれない。
カナくんが手にしたペンの先が、リモコンの画面に触れた。
「あ、ちょっ」
ピッという電子音。数秒後、曲が始まってしまった。前奏が流れ出す。
私は仕方なく歌い始めた。
「うわべだけの関係
そんなのなんて
必要ないって思ってた私
どうしてなのか
分からないけどでも
いつもの場所で
また会いたい」
震える声で歌う。うまくろれつがまわらなくて、噛みそうになった。
「Dream
誰かが願った想いは
ねえいつまでも君の
心の中で眠ってる
Dream」
最後のサビを歌い終わると、私は画面を見た。
「ひゃく、てん」
バグってるんじゃないかと思った。だって私、声震えてたし下手だったし、とても100点なんかとれるような歌じゃなかったはずなのに……。なんで?
「やっぱ、100点じゃん」
「たっ、たまたまだよ!」
私は焦りながら否定した。なんで否定したか、と聞かれればすぐには答えられない。
特にちゃんとした理由はなかった。いわゆる、なんとなくってやつなんだろう。
「たまたまってわけじゃないだろ。二回連続100点とか、才能だって」
なんで、カナくんがそんなこと言うんだろう。そう思った。
別に嫌なわけじゃない。でも、疑問だった。私は、カナくんに褒められるようなことなんてなにもしてないのに。
「違うよ、才能なんかじゃないよ。機械が壊れてるんだよ」
「なんでそんなに謙遜するんだよ」
呆れられた。
そういうつもりじゃない。ほんとに、私のは才能なんかじゃない。そんな少女漫画のヒロインみたいな都合のいい出来事なんて起こるわけがないもん。
「ほんとに、ちがうんだよ」
泣きそうになりながら、私は小さくつぶやいた。ずるかったと思う。
カナくんが、心配そうに私の顔を覗き込んできた。……上目づかい、やめてほしい。かわいすぎる。
「なんか、ごめん」
申し訳なさそうに謝るカナくんに、私は慌てて首を振った。
「ちが、ちがうの!」
謝ってほしかったわけじゃ、ない。カナくんが謝る必要なんて全然ない。そういうことじゃないんだ、私が言いたいのは……。
うつむいた私を見て、カナくんはさらに申し訳なさそうな顔をし、体を小さくさせた。もともと小柄な彼が、余計に小さく見える。
そんなことされたら、こっちが申し訳なくなってしまう。私はすぐに笑顔を作り、カナくんに微笑みかけた。
「大丈夫だから、私。カナくんが心配する必要なんてないんだよ? 謝る必要もない。だって私、カナくんのこと――――」
そこまで言って、私は瞬時に口を閉ざした。わ、私、今なんて言おうとした……?
そんなこと、一瞬でわかる。私、カナくんに告白しようとしてたんだ。無意識に口走ってしまうなんて、と恥ずかしくなる。
顔が熱くなっていくのを感じて、私は顔を手で隠した。
「ごめ、今のはその、ちがくて」
言えない。告白しようとしてたなんて。まだ会ってそんなに経ってないのに告白なんて、無理すぎる。
そんな時とっさに思い浮かんだのは『友達』という言葉だった。
「そうっ、友達! 私、カナくんのこと友達だって思ってるから! だから、謝らないで。遠慮とか、しないで」
最後の方は、だんだん声が出なくなって小さくなってしまった。自然とカナくんの服の袖をぎゅっと握りしめてしまう。
そのあと、自分がしたことに驚きつつ、謝りながら手を離した。よく考えたら、私たちすごく近いところにいたんだ……。今さらだけど、恥ずかしい。
「あのさ、ゆき」
「う、はい」
やっぱり、ゆきと呼ばれるのは少し照れる。カナくんの顔をなるべく見ないようにしながら、うなずく。すると、上から「ちゃんとこっちむいて」という不機嫌そうな声が聞こえてきた。
ゆっくり顔を上げると、真顔のカナくんがいた。なんか、怖い……。
その瞬間、腕を引っ張られた。体の重心がカナくんにかかる。
「……え、」
ぽす。
気がつくと、私はカナくんに抱きしめられるようにして座っていた。ど、どういう状態なの、これは?
「か、カナくん?」
動揺しながら訊く。しかし、返事は聞こえてこない。カナくん、どうしたんだろう?
「ね、ねえカナくん?」
「ゆきさぁ」
彼の顔は見えない。でも、声が低かった。怒ってる……?
「それ、ほんとに自覚ないんだよね?」
「はい?」
さっきも聞かれたけど、自覚ってなんの話? まったく話の内容が読めないんだけど。
「あのさ……ゆき、それやめた方がいい」
「な、なんのこと?」
さっきからカナくんの言ってることが全然わからない。なにをやめればいいの? 主語がない。いや違う。主語は私だから、目的語。目的語がないんだ。
それと、なんでカナくんは私を抱きしめ……う、そうだ。今私、なんでか分からないけどカナくんにぎゅってされてるんだ。ぎゅって。ぎゅ……うわあ! 恥ずかしい!
「か、カナくん離して! 私めちゃくちゃ恥ずかしいから!」
「俺だって恥ずかしいよ!」
カナくんがさけんだ。恥ずかしいんならやめていただきたい。どちらにも得がないのに、どうしてこの体制でい続けなければならないのだろう。
疑問に思いながらも、抵抗せずにじっとしていることにした。離してくれないということは、このままでいないといけないというなにかがあるのだろうと考えたからだ。とゆーか、カナくんの体めちゃあったかい。気持ちいい。
その時、だった。
「なんで抵抗しないんだよ! 危ないだろ!」
「うわびっくりした」
突然カナくんが怒鳴るから、私はびっくりするほどびっくりしているようには思えないトーンの低さでびっくりした宣言をした。どういうこと?
「俺、なんかすごい心配……」
「ん? 大丈夫だよ?」
私がそう言うと、カナくんは頭を抱えて大きなため息をついていた。
「だからさゆき」
「は、はい」
体を引きはがされて、向き合う。果たしてなんの話だろう。
「普通、男子に抱きしめられてそのままなんの抵抗もしないなんてことある?」
「え、え?」
なんでそんなこと言うんだろう。カナくんが離さなかったから私は動かなかっただけである。カナくんが困らないようにしたつもり。なにがだめだったんだろう? フリも大事ってこと?
でも、私、カナくんじゃなかったら黙ってないよ。カナくんだったから、じっとしてただけなんだけど。
「ゆきお前、ほんとなにもわかってない!」
「お、お前!?」
カナくんが壊れた! お前とか言った! ひどい!
てか、何がわかってないって? なんでカナくん、はっきり言ってくれないんだろう。もしかしてバカにされてる?
「私、わからないからはっきり言って? 遠回しに言われてもわかんない」
そう言うと、カナくんはまた大きなため息をついた。なんかごめんなさい。
「だから、もっと危機感持てって言ってんの! 普通なら『友達』に抱きしめられたら引きはがすだろ! なんだよもう、俺ばっかり恥ずかしいじゃん!」
「いや、私も恥ずかしかったよ?」
必死に熱弁するカナくんの言葉にそう言って返事をすると、そういうことじゃないと怒鳴られてしまった。さっきからカナくんはなににたいしてそんなに怒っているのだろう。
「だから俺は!」
カナくんがそう言ったと同時に、部屋のドアが開いた。目を丸くして二人一緒にそっちを見る。そこには、息を切らして肩で息をする尾川くんがいた。
彼は息を整えながら小さくつぶやいた。
「廣山、が……」
そこまで言って、尾川くんは大きく咳き込む。カナくんが支えになって、彼もソファーに座った。
「で? 廣山がどうしたんだよ」
尋常じゃない尾川くんの焦り方に、カナくんは真面目な顔で聞く。尾川くんはゆっくり口を開いた。
「廣山が、熱出して、倒れた……」
「倒れた!?」
二人の声が重なる。廣山さん、たしかに気分悪そうだったかも……。
でも、まさか倒れるほどしんどいのを我慢していたとは思わなかった。なんでそんな無理したんだろう。
「それで、廣山は?」
「店の人が救急車呼んでくれたから、大丈夫。ちょっと疲れたから、寝る、わ……」
尾川くんははあはあ言いながらそう教えてくれ、そのままソファーに寝そべって目を閉じた。
(どうすればいいんだろう……)
不安の渦が巻くって、このことなんだと思った。




