崩壊
突如街に現れたヒュドラーはその体躯をねじり、石垣を跡形もなく破壊した。それはベッドの中でただをこねた子どもが、毛布を振り落とすかのように他愛のない一撃だった。
数十秒間、人々はただ唖然としてその姿を眺めた。
飛び散る瓦礫の下敷きになる者、ヒュドラの毒に触れて体が蒸発する者、知らぬ間にはるか上空に吹き飛ばされた者。それぞれの静かな時間はやがて街中に巨大な悲鳴を誘発した。
誰しもが敵国ガイナスの侵攻により、命が危険に晒されることは理解していたはずだ。
ディーヴァはもちろん、魔法を使える兵士たち、武器を持って前線に立つ若者、部屋の隅で農耕用の鎌や料理包丁を携え、子どもを抱きしめる母親。無傷でこの戦いが終わると考えるほど、フラーモの人々は楽観主義ではない。
ガイナスと刺し違えてでも最後の命の輝きを灯せる。そんな決して贅沢ではない理想すらも蹂躙する、おぞましい怪物の侵入は人々に絶望を植え付けるには十分な破壊力だった。ヒュドラーの毒はあっという間に周囲数百メートルを汚染し、あらゆるモノが溶けるように蒸発していく。鼻を覆いたくなるような臭気が蔓延した。
「レアンドラならジートを倒せるはず……でもこれがジートと無関係とは思えない。何が起きているの?」
エリザベスとサクヤ、リューイの3人はヒュドラーのもとへ風のように走っていた。
「やっぱり私が行くべきだったんじゃない?」
サクヤがため息交じりに呟く。本来エリザベスとレアンドラ、リューイの3人がフラーモの警護に残るはずだったが、レアンドラの強い希望によりサクヤはその役割を交代していた。
「ジートが最も嫌っているのがレアンドラよ。昔から水と油みたいな関係だった。適任かと思ったんだけどねぇ」
エリザベスたちは街全体を見渡せる時計塔の頂上に到着すると、体液をまき散らしながら地上で蠢くヒュドラーに視線を落とした。
「さぁ、やるよ。私が包むから2人は蒸し焼きにしてあげて」
エリザベスはそう言って、身の丈を超える長さの巨大な石の杖を床に突き立てた。目を閉じ、腰をかがめ、杖に向かって異国の言葉を小さく呟く。次第に塔が揺れ、ミシミシと石壁にヒビが入り始めた。その振動はやがて大地全体を震わせるほどに大きくなり、突然ピタリと止まる。ほんの一瞬、空を舞う粉塵すらも静止するような静寂が訪れた。
「はっ!」
エリザベスの威勢のいい声が木霊した瞬間、ヒュドラーを包み込むようにして全方角の地面から巨大な石畳が飛び出し、ドーム状にその巨体を覆った。それは幾重にも重なり、寸分の隙間もなくヒュドラーの姿を覆い隠した。
「リューイ、やるよ」
「とっくに準備できてるわ」
サクヤとリューイもエリザベスと同じように杖を地面に突き立て、メロディーを奏でるような澄んだ声で呪文を唱え始めた。石のドームが内側から徐々に赤色に発光し、外気までも熱していく。中のヒュドラーは数千度の炎に焼かれ、大きな金切り声をあげた。
「伝説の怪物なだけあるわね、凄い力」
杖を握るエリザベスの手に力が入り、サクヤとリューイの頬を一筋の汗が伝った。フラーモの地下には多くの水晶や鉱石が眠っており、それを媒介にすることで強い魔術を発動できる。最高のコンディションでのディーヴァの共同魔法。ヒュドラーに対してはそれすらも大きな効果を与えられずにいた。




